標高1100mの高原に移住をした、

マクロビ料理家の三田実由です🎵


今年の冬は、2月が暖かくて、

春が早いかも…と呑気に過ごしていたら、

3月に入ってから気温が下がり、

雪の日が多くて、しかも降ればどか雪⛄

春分の日は荒れに荒れて吹雪で、

20~30cm積もって

さすがにゲンナリだった😖⤵️


駐車場スペースは、
祐くん(夫)と力を合わせて
なんとか2台分を死守している💪

ようやく翌週に入って、
晴れ間が増えて、一気に気温が上がり、

雪がようやく解け出した🌤️


久々に大好きなお散歩に🚶‍♀️🎵
雪解けで出来たせせらぎに癒される↓

ふきのとう発見!↓

いよいよ美しい季節に突入だ~😃💕

飯綱高原に移住をして、
日々、四季の変化を実感する🔁
目からはもちろん、空気や香りでも…
ほんと、生きてるって気がする♥️

冬の寒さと豪雪、虫や動物や雑草等々、
びっくりしたり、うんざりしたり、
いろいろあるけれど、
自然と抗うことの愚かさも知った。
人間は自然の中で生活して来たのだから、
共生することを考えないとね🎵

そして、大変だなと思った時に
「不便を楽しむ🎶」
と言う初心を思い出す⤴️
楽しめる許容範囲がまだまだ小さいけど😂

そんな春を待ち焦がれていた3月9日。
母が突然亡くなってしまった😢
兄からの電話での第一声が
「驚かないで…」で、その後の言葉は、
聞く前にわかった💡

と言うのも、2年前に心不全になり、
冬になると不調になるようで、
今年は1月後半から3週間ほど、
入院をすることになった🏥

心臓だから苦しいはずなのに、
がんばり屋の母は、その入院中も、
寝てばかりいたら動けなくなる。
と言って、昼間はベッドから出て、
椅子に腰掛けてテレビを観たり、
歩行器を使って歩いたりして、
退院後に普通に生活出来るよう、
心掛けていて、気力は衰えていなかったp(^^)q

退院後は実家での一人暮らしを続行。
訪問診療やお掃除やデイサービスなど、
お世話にはなっていたけど
食事の支度や洗濯は自分でしていた🧺

ただ、年齢(97)に加え心不全となると、

さすがに体力は確実に落ちていて、

私と兄には不安があった。


実は、入院した日の明け方に

夢に父が出てきた✨

(その時は入院することを知らない)

愉快であっさりした性格の父だから、

亡くなってから夢に現れたことがなかった。


父は椅子に腰掛けて足を組んで、

タバコを手に持ち、

ふわ~っと煙を吐き出しながら、

私ににっこり微笑んだ💕

会話などなく、そのシーンだけ。

だいたいタバコは60代で止めたから、

夢の中の私は、不思議に感じた。

でも、仕草や笑顔が父らしい(-.-)y-~


母が入院をしたと兄から連絡があり、

直ぐにお見舞いに行って、

母の顔を見た瞬間、嫌な予感がした😓


でも、退院してから、
華道教室も再開したりして、
いつもの日常を取り戻し、
驚いたのは、亡くなる前日に、
展示会があるためそのお花を生けて、
生徒さん達にも指導したそうだ。
亡くなった後に生徒さんたちから聞いて、
私と兄はびっくりだった🤪

そんなだから、私にとって母は
ずっと変わらず『お母さん🎽』

子供の頃と同じように、

お母さんはいつも家に居てくれる🍀
と、思っていた。(自覚は無かったが)
だから、予感がありながら、
喪失感は予想外の大きさだった⤵️

兄がLINEで「悲しいね」と、
ぽつりと送ってきた時には
独りで涙涙だった😭😭😭💦 

そんな時、友人たちから涙活を薦められて、
泣きたいときは我慢せずに泣いていたら、
(祐くんは側にいて気づかっていて、
申し訳なかった😣)
悲しみは執着。お釈迦様の言葉通り、
執着は苦しむを生むだけだ。
忘れることなんて出来ないけど、
受け入れようって決心( ̄□ ̄)!!
そしたら、涙があまり出なくなった。

母の死から今日で1ヶ月…
ようやく、母の話を、涙せすに、
語れるようになった。
でも、日常の中で、習慣的に、
『お母さん、今どうしてるかな?
電話してみよう…』と、思って、
直ぐに居ないことに気付き、
もう話が出来ないことが、寂しい。

母親って特別な存在だとつくづく思う。
型に収まりたくない私は、
小さな頃から母とよくぶつかった⚔️
何せ、母は風紀委員長だから(笑)
でも、大好きだった💕
だから、長野に移住してからも
毎月会いに行くのが楽しみだった🎵

てことで、元気にしてますんで(^^)v
↓本日の私σ(^_^)