ブログの第616回で、失語症の直後に医師と看護婦さんのいうことがずいぶん違ったという事をお話ししました。医師は私と同じ研究者の匂いがしましたが、看護婦さんは全く違って介護のプロでした。その後、病院から退院したら、世間の風に吹かれ、この病気(脳梗塞)の患者(私)に対する対応がいろいろだということを強く感じました。
それらの対応は、およそ3種類に分類でき、面白かったです。以前と変わらず話をしてくれた人が、一番多かったのはありがたかったです。お話をしていると、言葉の間違いが出てしまうことがあったのですが、そういう人とは普通に話をできたのです。第二のタイプの人は、私の病気をとても気にしてくれて、そういう人とは失語症で起こる様々な現象などを話すことになります。ある意味で、その時期には私の最大の関心事は失語症の後遺症である言葉の間違いに対してどう対処するかということでした。したがって、そうした会話から色々と学ぶことも多かったと思います。
そして、第三のタイプの人は、脳梗塞を患った人は、この世からは社会的には亡くなったと同じだと思っているらしく、私が現れると亡霊を見るような感じで、どうしたら良いか分からなくなってしまう人です。私もそういう人にどう対応したら分からないので、早々に失礼します。
私が入院した病院は国立の大きな総合病院だったのですが、40年以上前には失語症の人に対する言語聴覚士という専門職の人がいませんでした。それで、私のリハビリをしてくれたのは、理学療法士の人でした。まだ、そういう時期だったということだったと思います。それと同じように、一般の人にもそのようの病気に対する理解はほとんどなかったのではないかと思います。それで私を幽霊のようにびっくりする人もそれなりにいたのでした。
以上は42年前の話です。それでは7年前の脳梗塞右半身不随の時はどうだったでしょうか?実は、あまり気が付かなかったのですが、この病気になって以来、同病の人が非常に多いということに気付きました。発作以前、つまり自分が麻痺のなかった時期は、麻痺の人をほとんど意識していなかったので、世の中にどのくらい麻痺の人がいるかということに、思い至らなかったのです。それと車椅子の人はあまり表に出てこないということもあるでしょうし、杖の人も家に閉じこもりがちということもあると思います。
しかし、自分が半身不随から、色々な段階を踏んで、回復してくると、同じような症状の人が多くいることに気がつきました。そうすると、恐らくリハビリのやり方によると思うのですが、回復度合いが人によって実に様々だということにも気付きました。発作以降、ずっと車椅子の人もいますし、歩行器で移動している人もいます。また、杖でしっかり歩いている人もいたり、杖もなく一見普通に歩けるようになっている人もいます。
リハビリの技術と同時に、患者本人の意識が非常に重要だと、私は感じています。
次回は、「閑人閑話 その186(眼帯をした人を見て思い出したこと)」です。
