急遽、飛び込んで来た、阿部・巨人軍監督辞任のニュースには心を痛めている。

 阿部さんの娘さんのような若い人がChatGPTに相談し、そのアドバイスに従って児童相談所に連絡を取ったこと、すなわち(余り軽々に言ってはいけないのだが)「親子喧嘩」が親子の間にとどまらずに容易に外部が関与する事態に至ったことに、そして母親などではなくチャッピーといったAIに先ずは相談するという時代相に驚かされたが、もはやそんなことにいちいち驚いていてはいけない時代なのだろう。何しろ私たちビジネス・パーソンだってAIなしには仕事が進まない時代である。そうであればこそ、人として、社会として、身の処し方があるはずだ。

 今日の日経新聞朝刊によると、AIは「暴力や自殺といった話題の会話では、やりとりの早い段階で専門の担当者がいる窓口に誘導するよう設計されている」そうだ。特にオープンAIは、「2月にカナダで起きた銃乱射事件では、容疑者がAIと犯行について会話したことを把握したものの、当局に通報しなかったとして、遺族に告訴された経緯がある」ことから、「人命がかかわるようなトラブルに発展した場合に、対応が遅れるのを避けるため」に、そのような技術仕様の改良を行っているというのはよく分かる。オープンAIに限らないだろう。そこで、専門の担当者がいる窓口(児童相談所)が真摯に対応しなければならなかったはずで、すぐに警察に通報したように見える(夜、時間外のため担当者不在で、委託業者が対応したと言われる)。そして警察も真摯に対応しなければならなかったはずで、現行犯逮捕に至った(放っておくと、警察がいなくなった後で問題が再発する可能性があることを指摘する声があって、分からないではない)。さらに読売巨人軍の対応も早く、阿部監督から辞任を申し出たとされているが、昨今の不祥事のぐずぐずを教訓に、トカゲの尻尾切りのような冷酷さで、阿部さんの涙の記者会見を敢行した。

 AIは所詮は人工的な知能として、人の経験を遥かに超える膨大な学習を経ているとは言え、確率論の世界でしかない。AIに相談すること自体は良いとしても、最後は人間が評価・判断を下すのがビジネスの世界の基本であって、それはどこの世界でも同じはずだ。今回の件では、AIが一次対応した後に、人間がしっかりフォローする対応が出来ていたかが問われるわけだが、これまでのところは、どうもマニュアル通り、あるいは昨今の極度な人権重視の御座なりな対応でしかなかった気がしないでもない。が、安全サイドではあるので、よしとしよう。それをマスコミは刺激的に取り上げる。次は、報道を含めた私たち社会の出番である。

 阿部・巨人軍監督の野球人としての将来がこれで潰えるとすれば、阿部さんの娘さんは、一時の感情の昂りが収まって平常に戻ったときに、果たしてどんな気持ちでおられるだろうかと想像すると、娘さんの将来にも影が差しているようで、心穏やかではいられない。親子喧嘩にどこまで社会が介入するかという疑問は残るが、有名税で世間の注目を浴びる事態である。児童相談所、警察、そして読売巨人軍は、とりあえず非難されないだけの迅速な(御座なりの、と言っては気の毒かもしれない)対応を取った。私たちは人として、事実関係をそれなりに確認した上で、どう判断し、オトシマエをつけるのか、私たち社会の態度が問われているような気がする。それで場合によっては阿部さんを救うことが、ひいては安倍さんの娘さんを救うことが、出来るかもしれない。

 AIが社会に組み込まれる時代に、AIとの付き合い方が問われる以前に、そもそも私たち人間は、社会はどうあるべきかがあらためて問われる時代になったような気がする。