こんばんは。華でございます
今日の大阪は結構本気で雪が降っちょりました。今は雨
かな?
さて。今更ながらですが。
ミュージカル版「ロミジュリ」へのつぶやき。続編です。
たかだか、いち一般人のつぶやきですが。
余計な先入観を与えてしまう可能性はあります。
まだ一度も舞台をご覧になってない方、めっちゃ楽しみに観るよん
という方は、今日はお引取りいただく方がよいやも知れませぬ。
ちゃんとゆーたよ
だいじょぶだよん
な方だけ、お読みくださいねん
--
--
まず。わたしが今まで見た「ロミオとジュリエット」を、見た順番で並べると、
ロミオとジュリエット (1968年の映画。ジュリエット役:オリヴィア・ハッセー)
ロミオ+ジュリエット (1996年の映画。ロミオ役:レオナルド・ディカプリオ)
ロミオとジュリエット'99 (1999年宝塚花組バウ公演。ロミオ役:水夏希)
ロミオとジュリエット (2005年の舞台。演出:蜷川幸雄。ロミオ役:藤原竜也)
ロミオとジュリエット (2011年宝塚雪組大劇)
こんなカンジ。
今回のミュージカル版を観るまでに、4パターンのものを観てます。
最後の2つ以外はテレビ
やらビデオ
やらで見たものです。
(華のヅカ歴は2001年からスタートしますゆえ、スター
のロミオは生で観てないのです。残念
)
ちなみに「ロミオとジュリエット」という言葉を初めて知ったのは、「キャンディキャンディ」の仮面舞踏会のところです。
ウィリアム大おじさまがキャンディのところに、ロミオの衣装とジュリエットの衣装を送ってくるんですわ。
プレゼントの箱
を開けたキャンディが、「私の性別忘れちゃったのかしら?」って、ゆーんです。
ほんでから…
え~い、そんなことはどうでもいいっ
(ノ-_-)ノ ~┻━┻
(つづきが気になる方は、単行本の3巻か4巻くらいを読めばよいかと思います。ちなみに華はテリィ派
です。女子は一度は不良に惹かれるものさ
)
さて。
最初に、
映画(1968年版)を真剣に見たのは、高校生だったかなぁ。もうちょっと前かなぁ
とにかく最初に見たときの感想は、
「なんなん?これ・・・
」
でした。
なんであんなに次から次へと、うまくいかんことが起こるんだ?
なんでもーちょっと我慢ができんのだ?
なんで甥が死んで間もないのに、娘を結婚させんとあかんのだ?
なんで誰もヒトの話をちゃんと聞かんのだ?
なんでちょっと落ち着いて、もいちど考え直さんのだ?
わけわからんーーっ
めちゃめちゃイライラするーーーっっっ
あれはひばりや。早よ帰りーーーっっ
わたしにとって、「ロミジュリ」というのは、これです。
この、イライラ、歯痒さ、腹立たしさ
「もぉぉーーっっっ
」って机叩きたくなるような苛立ちの連続。
「なんで?
」の蓄積。
エンドクレジットが出た後にも、幕が下りた後にも、消えないうんざり感
これです。
これこそが、「ロミジュリ」の醍醐味だとわたしは思います。
「かわいそーだったねー。でもてんごくでむすばれてよかったねー
」
なだけの話なら、何世紀にもわたって演じられてこないと思うんですよねぇ。。。
今回のミュージカル版も、イライラ感はもちろんあります。
でも、その感情が持続しないし、蓄積しない。
シーンごとに、みょ~におさまっちゃうんです。
その理由の1つに。
キャストがみんな、「
オレはほんまはこんな人間やねーーん」ってくどくど熱唱するから。
とくに、ジュリパパソング。
家庭を省みず~
勘弁して欲しい。。。
確かにそうかも知れん。娘のこと考えてたのかも知れん。
でも、あーいったことは、役者が役作りの1つのネタとして自分の中で考えればいいことで、作品の中で歌われる必要ないと思うんですよねぇ。
もちろん、それぞれの人物がどんな事情を抱えて、今こんなヒトになっているのかというのを知ると、人物に対する理解は深まるし、理解不能に思える言動にも納得がいくようになるかも知れない。
でも、それって作品を観てる瞬間、必要なのかなぁ。
その場その場で種明かしをされて、いちいち納得することが、イコール、作品の面白さ
になるとは思えないんですよねぇ。
観終わった後、各々が勝手に妄想すりゃいい話じゃないのかなぁ。と。
「きっと子供のころから周りに叩き込まれちゃったから、あんななっちゃったんやよ
」とか。
づかファンの得意技
ですよね(笑)
全部を見せられてないからこそ感じられる面白さ
って、あると思うんです。
でもって。そこらへんをお茶会で言ってくれたら、さらに楽しい
ジュリパパの話に戻りますと。
「なんなんこのワンマンおやぢーーっっっ
」って怒りが、見てる側にも沸くからこそ、
それに歯向かいきれないジュリエットの弱さが際立って、より哀れに感じられるし、歯痒さも感じるし、よりジュリエットの感情に"乗れる"と思うんです。
だけど、あんな歌が入っちゃうと、
「あーこのヒトもほんとは悪いヒトちゃうねんや。いつの時代もおとーさんは大変やなぁ
」
って、おとーさんにも一理あるモードになっちゃって、そこで感情のスピードが落ちてしまう。
で、傍観者の立場に落ち着いてしまう。
従来の「ロミジュリ」を観たヒトの多くが感じる
「ちょっと落ち着いて考えればいいのに
」
という感想。
これは、裏を返せば、それだけ「ロミジュリ」にはスピード感
が必要だというあらわれではないかと。
観客の感情も巻き込んで転がっていくくらいの勢いが大事なのではないかと。そう思うのです。
次から次へと運命のいたずらに翻弄され、悲劇への坂道を転がり落ちていくような2人を見ながら、観客自身もつんのめるような感情を一緒に抱いていく。
そして最後に、「もっと早くにこうしてたなら」と、取り返しのつかない虚しさを感じる。
「ロミオとジュリエット」を観た後は、いつも決まって「なんだかなぁ
」感が残りました。
だから、今まであんまり好きになれない話でした。
でも、今回のミュージカル版を観て、今までの「ロミジュリ」を観た後に必ず残った、あの簡単に片付けられない感覚こそが醍醐味なんだと気づきました。
そんなわけで、わたしにはこのミュージカル版は物足りないのです。
曲は素晴らしいんですけどね。

今日の大阪は結構本気で雪が降っちょりました。今は雨

さて。今更ながらですが。
ミュージカル版「ロミジュリ」へのつぶやき。続編です。
たかだか、いち一般人のつぶやきですが。
余計な先入観を与えてしまう可能性はあります。
まだ一度も舞台をご覧になってない方、めっちゃ楽しみに観るよん

ちゃんとゆーたよ

だいじょぶだよん


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まず。わたしが今まで見た「ロミオとジュリエット」を、見た順番で並べると、
ロミオとジュリエット (1968年の映画。ジュリエット役:オリヴィア・ハッセー)
ロミオ+ジュリエット (1996年の映画。ロミオ役:レオナルド・ディカプリオ)
ロミオとジュリエット'99 (1999年宝塚花組バウ公演。ロミオ役:水夏希)
ロミオとジュリエット (2005年の舞台。演出:蜷川幸雄。ロミオ役:藤原竜也)
ロミオとジュリエット (2011年宝塚雪組大劇)
こんなカンジ。
今回のミュージカル版を観るまでに、4パターンのものを観てます。
最後の2つ以外はテレビ


(華のヅカ歴は2001年からスタートしますゆえ、スター


ちなみに「ロミオとジュリエット」という言葉を初めて知ったのは、「キャンディキャンディ」の仮面舞踏会のところです。
ウィリアム大おじさまがキャンディのところに、ロミオの衣装とジュリエットの衣装を送ってくるんですわ。
プレゼントの箱

ほんでから…
え~い、そんなことはどうでもいいっ

(ノ-_-)ノ ~┻━┻
(つづきが気になる方は、単行本の3巻か4巻くらいを読めばよいかと思います。ちなみに華はテリィ派


さて。
最初に、


とにかく最初に見たときの感想は、
「なんなん?これ・・・

でした。
なんであんなに次から次へと、うまくいかんことが起こるんだ?
なんでもーちょっと我慢ができんのだ?
なんで甥が死んで間もないのに、娘を結婚させんとあかんのだ?
なんで誰もヒトの話をちゃんと聞かんのだ?
なんでちょっと落ち着いて、もいちど考え直さんのだ?
わけわからんーーっ
めちゃめちゃイライラするーーーっっっ
あれはひばりや。早よ帰りーーーっっ
わたしにとって、「ロミジュリ」というのは、これです。
この、イライラ、歯痒さ、腹立たしさ

「もぉぉーーっっっ

「なんで?

エンドクレジットが出た後にも、幕が下りた後にも、消えないうんざり感

これです。
これこそが、「ロミジュリ」の醍醐味だとわたしは思います。
「かわいそーだったねー。でもてんごくでむすばれてよかったねー

なだけの話なら、何世紀にもわたって演じられてこないと思うんですよねぇ。。。
今回のミュージカル版も、イライラ感はもちろんあります。
でも、その感情が持続しないし、蓄積しない。
シーンごとに、みょ~におさまっちゃうんです。
その理由の1つに。
キャストがみんな、「

とくに、ジュリパパソング。

勘弁して欲しい。。。

確かにそうかも知れん。娘のこと考えてたのかも知れん。
でも、あーいったことは、役者が役作りの1つのネタとして自分の中で考えればいいことで、作品の中で歌われる必要ないと思うんですよねぇ。
もちろん、それぞれの人物がどんな事情を抱えて、今こんなヒトになっているのかというのを知ると、人物に対する理解は深まるし、理解不能に思える言動にも納得がいくようになるかも知れない。
でも、それって作品を観てる瞬間、必要なのかなぁ。
その場その場で種明かしをされて、いちいち納得することが、イコール、作品の面白さ

観終わった後、各々が勝手に妄想すりゃいい話じゃないのかなぁ。と。
「きっと子供のころから周りに叩き込まれちゃったから、あんななっちゃったんやよ

づかファンの得意技

全部を見せられてないからこそ感じられる面白さ

でもって。そこらへんをお茶会で言ってくれたら、さらに楽しい

ジュリパパの話に戻りますと。
「なんなんこのワンマンおやぢーーっっっ

それに歯向かいきれないジュリエットの弱さが際立って、より哀れに感じられるし、歯痒さも感じるし、よりジュリエットの感情に"乗れる"と思うんです。
だけど、あんな歌が入っちゃうと、
「あーこのヒトもほんとは悪いヒトちゃうねんや。いつの時代もおとーさんは大変やなぁ

って、おとーさんにも一理あるモードになっちゃって、そこで感情のスピードが落ちてしまう。
で、傍観者の立場に落ち着いてしまう。
従来の「ロミジュリ」を観たヒトの多くが感じる
「ちょっと落ち着いて考えればいいのに

という感想。
これは、裏を返せば、それだけ「ロミジュリ」にはスピード感

観客の感情も巻き込んで転がっていくくらいの勢いが大事なのではないかと。そう思うのです。
次から次へと運命のいたずらに翻弄され、悲劇への坂道を転がり落ちていくような2人を見ながら、観客自身もつんのめるような感情を一緒に抱いていく。
そして最後に、「もっと早くにこうしてたなら」と、取り返しのつかない虚しさを感じる。
「ロミオとジュリエット」を観た後は、いつも決まって「なんだかなぁ

だから、今まであんまり好きになれない話でした。
でも、今回のミュージカル版を観て、今までの「ロミジュリ」を観た後に必ず残った、あの簡単に片付けられない感覚こそが醍醐味なんだと気づきました。
そんなわけで、わたしにはこのミュージカル版は物足りないのです。
曲は素晴らしいんですけどね。