応神天皇陵とされる「誉田御廟山古墳」の横にある誉田八幡宮、

応神天皇の諱が「誉田別尊」であることや、地名に縁があるとされていて、

主祭神は応神天皇なのに、なぜ八幡宮なのかと思い、由緒・沿革を読むと、

おそらく八幡宮信仰がさかんになり中世以降、応神天皇=八幡神として社殿が建立されたのだろうとのこと、なるほど。(母の神功皇后とともに応神天皇も謎の多い天皇です)

ずっと変わらずに御陵を護り続けておられるということなのですね。

古墳はたくさんあれど、珍しいことでもあります。

 

 

 

応神天皇陵へつながる放生橋は、小さな石橋ですが、その反りの大きいこと。

秋の大祭には、この橋を渡って応神天皇の神霊が神輿渡御したそうですが、

現在は横の平橋をゆくそうです。

 

 

埴輪が佇む放生池。

さすが古市古墳群の地だと思いましたが、それより、龍の迫力が目を引きます。

 

 

お守りが並ぶ中に、小さな笛が。

なぜか、持っていてもいいかなという気になりました。

家の鍵と一緒に持ち歩きましょう。

 

 

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