玉造、地名の由来は、古墳時代に勾玉を作る「玉作部」があったからだからそうです。

まずは、玉造教会(大阪カテドラル聖マリア大聖堂)へ。

以前、大阪歴博や難波宮跡へ行った折に、

細川ガラシャゆかりの「越中井(戸)」の近くで見かけ、気になっていたカトリックの教会です。

 

 

広く明るい聖堂、ステンドグラスもきれいでした。

マリア様は、堂本印象の絵、和風です。

右は細川ガラシャ、左は高山右近が描かれています。

若いころ、一度、京都の堂本印象美術館へ行ったことがあります。

その頃は、私設美術館でしたが、今は京都府に寄贈されて京都府立になっているようです。

 

 

越中井へ行きました。

ここは、大阪城三の丸にあった細川忠興の屋敷の台所跡。

有力大名の家族を人質にして戦いを有利にしようとした三成の命を拒んだ明智光秀の娘玉子(ガラシャ)の壮絶な最期の場所です。

キリスト教信者は自死が許されないので、家老が解釈したとのこと…

 

 

前回は気づかなかったのですが、由来書きには、「牧村史陽識」とありました。

大阪の郷土史家として知る人ぞ知る牧村史陽さんの著書を読んでみたくなりました。

 

 

戦国の世に、運命に翻弄されつつも、

気位高く、自分自身を見つめて生きたガラシャの辞世の歌、

〝散りぬべき時知りてこそ世の中の 花も花なれ人も人なれ〟

散る=死、なのでしょうけれど、

今を生きるわたしは、晩節を汚すなという意味に取りたいと思います。

 

 

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戦争のない世界を希求します。