日本という国は、大変歴史のある国です。(長いということ)
それが大東亜戦争をやらされて、敗戦国となってしまったのです。
その直ぐ後に占領軍がアメリカを中心にやってきます。
進駐軍等と聞こえの柔らかい事を言っていましたが、”占領軍”です。
その占領軍がいたころは、日本のあちらこちらに占領軍基地がありました。
今日の話の中心がその頃の話に端を発しています。
大きな占領軍吉と言うと、東京周辺では横田基地(現存)
厚木基地・立川基地等がありましたが、立川は変換されて自衛隊が使っているところと
昭和記念公園になっています。その立川基地での話です。
(長くてごめんなさい!)
『砂川事件(すながわじけん)』は、
東京都北多摩郡砂川町(現・立川市)付近にあった
在日米軍立川飛行場の拡張を巡る闘争(砂川闘争)
における一連の訴訟である。
特に、1957年(昭和32年)7月8日に特別調達庁東京調達局が
強制測量をした際に、
基地拡張に反対するデモ隊の一部が、
アメリカ軍基地の立ち入り禁止の境界柵を壊し、
基地内に数メートル立ち入ったとして、
デモ隊のうち7名が
日本国とアメリカ合衆国との間の安全保障条約第三条に基く
行政協定(現在の地位協定の前身)違反で
起訴された事件を指す.
当時の住民や一般人の間では主に「砂川紛争」と呼ばれている。
全学連も参加し、その後の安保闘争、全共闘運動の
さきがけとなった学生運動の原点となった事件である。
第一審(判決)
東京地方裁判所(裁判長判事・伊達秋雄)は、
1959年(昭和34年)3月30日、
「日本政府がアメリカ軍の駐留を許容したのは、
指揮権の有無、出動義務の有無に関わらず、
日本国憲法第9条2項前段によって禁止される戦力の保持にあたり、
違憲である。
したがって、刑事特別法の罰則は日本国憲法第31条
(デュー・プロセス・オブ・ロー規定)に
違反する不合理なものである」と判定し、
全員無罪の判決を下した
(東京地判昭和34.3.30 下級裁判所刑事裁判例集1・3・776)
ことで注目された(伊達判決)。
これに対し、検察側は直ちに最高裁判所へ跳躍上告している。
最高裁判所判例
事件名 日本国とアメリカ合衆国との間の
安全保障条約第三条に基く行政協定に伴う
刑事特別法違反被告事件
事件番号 昭和34年(あ)第710号
1959年(昭和34年)12月16日
判例集 刑集13巻13号3225頁
裁判要旨
憲法9条は、わが国がその平和と安全を維持するために
他国に安全保障を求めることを、何ら禁ずるものではない
のである。
条約について裁判所が違憲審査権を行使する場合は、
一見極めて明白に違憲無効であると認められないか否かに
限って審査すべきである。
アメリカ合衆国軍隊の駐留は、
憲法9条、98条2項および前文の趣旨に適合こそすれ、
これらの条章に反して違憲無効であることが一見極めて
明白であるとは、到底認められない。
大法廷
裁判長 田中耕太郎
陪席裁判官 小谷勝重 島保 齋藤悠輔 藤田八郎
河村又介 入江俊郎 池田克 垂水克己
河村大助 下飯坂潤夫 奥野健一 高橋潔
高木常七 石坂修一
意見
多数意見 田中耕太郎 島保 齋藤悠輔 藤田八郎
河村又介 入江俊郎 池田克 垂水克己
河村大助 下飯坂潤夫 高木常七 石坂修一
意見 小谷勝重 奥野健一 高橋潔
『反対意見 なし』
参照法条
憲法9条、98条2項、日本国とアメリカ合衆国との間の安全保障条約、
日本国とアメリカ合衆国との間の安全保障条約第三条に基く
行政協定に伴う刑事特別法
最高裁判所判決
最高裁判所(大法廷、裁判長・田中耕太郎長官)は、
同年12月16日、「憲法第9条は日本が主権国として
持つ固有の自衛権を否定しておらず、
同条が禁止する戦力とは
日本国が指揮・管理できる戦力のことであるから、
外国の軍隊は戦力にあたらない。
したがって、アメリカ軍の駐留は憲法及び前文の趣旨に反しない。
他方で、日米安全保障条約のように
高度な政治性をもつ条約については、
一見してきわめて明白に違憲無効と認められない限り、
その内容について違憲かどうかの法的判断を下すことはできない」
(統治行為論採用)として原判決を破棄し
地裁に差し戻した
(最高裁大法廷判決昭和34.12.16
最高裁判所刑事判例集13・13・3225)
差戻し審と確定判決
田中の差戻し判決に基づき再度審理を行った
東京地裁(裁判長・岸盛一)は
1961年(昭和36年)3月27日、
罰金2,000円の有罪判決を言い渡した。
この判決につき上告を受けた最高裁は
1963年(昭和38年)12月7日、上告棄却を決定し、
この有罪判決が確定した。
砂川事件判決の論点
最高裁判決の背景
機密指定を解除されたアメリカ側公文書を日本側の研究者や
ジャーナリストが分析したことにより、
2008年(平成20年)から2013年(平成25年)にかけて
新たな事実が次々に判明している。
まず、東京地裁の「米軍駐留は憲法違反」
との判決を受けて当時の駐日大使ダグラス・マッカーサー2世が、
同判決の破棄を狙って外務大臣藤山愛一郎に
最高裁への跳躍上告を促す外交圧力をかけたり、
最高裁長官・田中と密談したりするなどの
介入を行なっていた。
跳躍上告を促したのは、通常の控訴では訴訟が長引き、
1960年(昭和35年)に予定されていた条約改定
(日本国とアメリカ合衆国との間の安全保障条約から
日本国とアメリカ合衆国との間の相互協力及び安全保障条約へ)
に反対する社会党などの
「非武装中立を唱える左翼勢力を益するだけ」
という理由からだった。
そのため、1959年(昭和34年)中に(米軍合憲の)
判決を出させるよう要求したのである。
これについて、
同事件の元被告人の一人が、
日本側における関連情報の開示を最高裁・外務省・内閣府の
3者に対し請求したが、
3者はいずれも「記録が残されていない」
などとして非開示決定。
不服申立に対し外務省は「関連文書」の存在を認め、
2010年4月2日、藤山外相とマッカーサー大使が
1959年4月におこなった会談についての文書を公開した。
また田中自身が、マッカーサー駐日大使と面会した際に
「伊達判決は全くの誤り」と一審判決破棄・差し戻しを
示唆していたこと、
上告審日程やこの結論方針をアメリカ側に漏らしていたことが
明らかになった。
ジャーナリストの末浪靖司がアメリカ国立公文書記録管理局で
公文書分析をして得た結論によれば、
この田中判決はジョン・B・ハワード国務長官特別補佐官による
“日本国以外によって維持され使用される軍事基地の存在は、
日本国憲法第9条の範囲内であって、
日本の軍隊または「戦力」の保持にはあたらない”
という理論により導き出されたものだという。
当該文書によれば、田中は駐日首席公使ウィリアム・レンハートに
対し、
「結審後の評議は、実質的な全員一致を生み出し、
世論を揺さぶるもとになる少数意見を回避するやり方で
運ばれることを願っている」と話したとされ、
最高裁大法廷が早期に全員一致で米軍基地の存在を
「合憲」とする判決が出ることを望んでいたアメリカ側の
意向に沿う発言をした。
田中は砂川事件上告審判決において、
「かりに…それ(駐留)が違憲であるとしても、
とにかく駐留という事実が現に存在する以上は、
その事実を尊重し、これに対し適当な保護の途を講ずることは、
立法政策上十分是認できる」、
あるいは「既定事実を尊重し法的安定性を保つのが
法の建前である」との補足意見を述べている。
古川純専修大学名誉教授は、田中の上記補足意見に対して、
「このような現実政治追随的見解は論外」と断じており、
また、憲法学者で早稲田大学教授の水島朝穂は、
判決が既定の方針だったことや日程が漏らされていたことに
「司法権の独立を揺るがすもの。
ここまで対米追従がされていたかと唖然とする」
とコメントしている。
自衛隊および集団的自衛権の根拠となりうるか
本判決は、駐留米軍に関する事案であったこともあり、
日本独自の自衛力の保持について
憲法上許容されているか否かは明らかにしていない。
判決文には"9条2項が
いわゆる自衛のための戦力の保持をも禁じたもので
あるか否かは別として"と述べており、
個別的自衛権行使の為の戦力保持が
合憲か否かについても判断を避けている。
つまり、自衛権そのものは認めているが、
自衛権行使の為に自衛隊を保持することが
合憲とは言っていない。
事件後
当時の被告は、有罪判決は誤りであり
破棄して免訴とするよう
地裁・高裁・最高裁・に再審請求をするが、
全てにおいて、再審請求・特別抗告は棄却されている。
*Wikipediaより
***
『砂川事件、判決原案を批判する「調査官メモ」見つかる』
2020/6/13(土) 朝日新聞 DIGITAL
極めて政治性の高い国家行為は、裁判所が是非を
論じる対象にならない――。
この「統治行為論」を採用した先例と言われる砂川事件の
最高裁判決で、言い渡しの直前に、
裁判官たちを補佐する調査官名で
判決の原案を批判するメモが書かれていたことがわかった。
メモは「相対立する意見を無理に包容させたものとしか
考えられない」とし、
統治行為論が最高裁の「多数意見」と言えるのか
と疑問を呈している。
統治行為論はその後、政治判断を丸のみするよう
裁判所に求める理屈として
国側が使ってきたが、その正当性が問い直されそうだ。
メモの日付は1959年12月5日。
判決言い渡しの11日前にあたる。
B5判8枚。冒頭に
「砂川事件の判決の構成について 足立調査官」
と記されており、同事件の担当調査官として重要な役割を担った
足立勝義氏がまとめたとみられる。
判決にかかわった河村又介判事の親族宅で、
朝日新聞記者が遺品の中から見つけた。
砂川事件では日米安全保障条約が違憲かどうかが争われ、
最高裁全体の意見とみなされる多数意見は、
判事15人中12人で構成された。
安保条約に合憲違憲の審査はなじまないと
「統治行為論」を述べる一方で、
日本への米軍駐留は「憲法9条、98条2項および前文の
趣旨に適合こそすれ」と事実上合憲の判断を示している。
多数意見に加わらなかった判事のうち2人が
「論理の一貫性を欠く」と判決の個別意見で指摘している
ことは知られていた。
メモはさらに踏み込んでおり、
原案段階での多数意見の内訳を分析している。
安保条約を合憲とする田中耕太郎長官らは、
合憲違憲の審査はできないとする
藤田八郎、入江俊郎裁判官とは本来「相対立する」とし、
田中長官らはむしろ、多数意見とは別の理由で
「合憲の判断を示すことができる」とした判事らと
一致していると指摘した。
そして統治行為論を述べたものは最多でも
裁判官15人のうち半数に足りない7人に過ぎないとし、
多数意見としてくくられた考えが
「果たして多数意見といえるか否か疑問である」
「相対立する意見を無理に包容させたものとしか考えられない。
しかも、その包容の対象を誤っている」とした。
そのうえでメモは「応急の措置」として
判決の構成を変えることを提案。
「多数意見」をなくし、
個別意見などはすべて「意見」にと改める――という内容だ。
砂川事件の最高裁判決の多数意見をめぐっては、
「論理がわかりにくい」と憲法学者らから繰り返し指摘されて
きた。メモが生まれた経緯などは不明だが、
判決の構成という核心部分について、
最高裁内部でも異論があったことがわかる。
最終的な判決をみる限り、
メモが受け入れられることはなかった。(編集委員・豊秀一)
◇
<砂川事件> 1957年、
東京都砂川町(現立川市)の米軍基地拡張に反対する
学生ら7人が基地に立ち入り、刑事特別法違反の罪で
起訴された。同法の前提である米軍駐留について
東京地裁は59年3月、憲法9条2項が禁じる戦力にあたり
違憲と判断。
全員に無罪を言い渡した。検察が跳躍上告し、
最高裁は「日米安保条約は違憲とは言えない」
との結論を裁判官15人の全員一致で出したが、
理由付けは12人の「多数意見」と、
それとは異なる3人の「意見」に分かれた。
<最高裁調査官>
15人の最高裁裁判官を補佐するために
実務経験が豊富なキャリア裁判官があてられる。
民事、行政、刑事の三つに担当が分かれ、
約40人いる。
事件が最高裁に送られると、担当の調査官が記録を精査し、
争点を整理。
論点について判例や学説にあたって報告書などを作成、
最高裁裁判官が判断するための資料として提出する。
朝日新聞社
***
私見結論
これ等の事を鑑み、日本は未だに主権国家とは
言えない。つまり大東亜戦争敗戦後、独立国
ではなくなってしまった。
サンフランシスコ講和条約で見せかけだけの
主権国家となったが、それもアメリカのご都合に
よるものだ。
要するにアメリカの植民地と言える。
ここ20年~30年あからさまに日本の金を
アメリカ国債等を買うことにより、上納
させられ、日本の一般国民の生活は
良くなるどころか、困窮生活になって
しまった。
一時、貿易赤字、不均衡貿易だと言っていた
アメリカがその件では殆ど何も言わなくなった。
今の日本政府はアメリカにモノが言えない。
飛びぬけた世界一の対外純資産国なのは
表面だけ、対外純資産を金に変えて、国民に
配ることなど到底できない、植民地である。
国民を騙す為に、日本政府・政治家は
ある。いるのである。
のほほ~んとしていると日本は消えてなくなる
かも知れません。
それでも宜しいのでしょうか???
