最近は

先の大東亜戦争で亡くなった方たちを慰霊することが

美徳のように言われている。

毎年のように公共機関、私的機関でそうとうな費用を

費やして慰霊祭とやらが行われている。

「慰霊」とは死んだ人や動物の霊を慰めること。と、辞書にはある。

これは生きている人間の慰めでしかない。

”慰霊”ということによって、自己満足をしているだけである。

”死”んだらそれでその方、その物はお終い。

肉体も魂もなくなってしまうのである。

そう言ってしまえば実もふたもないが、事実である。

全てが生きてる人間の自己満足でしかない。

これは人間だけが持っているものであろう。

言っては何だが、昭和天皇の全国行脚は慰霊のためだけではなく

生き残った人たちへの励ましの部分が大きかったように思える。

今の上皇もそれを引き継いだように聞いている。

つまり公的機関がやる”慰霊祭”とは税金を使い、やる、公的機関の

宣伝にしか過ぎない。

それなら困窮している方の多い現在では、社会福祉予算に

回す方がよっぽど良い。

社会福祉予算に回すべき税金は沢山ある。

しかし、一つ一つの積み上げが大切である。

東京オリンピックなどというものは莫大な税金を

投じている。やるべきではない。


そもそも”慰霊”とは一人ひとりの心の中で行うべき

ものだ。

私は墓参りは暫くしていない。

墓地という物は亡くなった先祖の骨を埋葬して

おく所だ。

だから墓は必要であるが墓参りに行ったという

自己満足だけでしかない先祖の供養は必要ない。

私の両親や先祖は常に心の中にいる。

幸いなことに、両親と祖父の顔は覚えている。

会いたければ脳裏でいつでも会える。

わざわざ墓参りに行く必要もない。

墓の草むしりは墓守がやってくれるはずだ。

墓に行けるときは草むしりに行くようなものだ。


よって全国慰霊祭なるものは公共機関が行う

ものではない。

”長崎・広島の原爆の日~”

も止めるべきだ。ただし学校教育等でアメリカが

日本に原爆を投下したことだけは教えるべきだ。

忘れてはならないことだ。

大東亜戦争でアメリカが無差別殺人を行ったことは

事実なのである。

戦後直ぐのアメリカが行った善行も付け加えよう。


しかし、今までの世界の紛争は殆どがアメリカが

おこしたものであるとも言えよう。

大東亜戦争についても然り。

日本に戦争を始めるようにしむけたのである。

ペルーが日本に武力の後ろ盾で開港を迫ったのも、

日本をアメリカのものにしたいがためであるように思われる。

つまり、遥か昔からアメリカを牛耳る似非ユダヤ人

(ハザールに起源のあるユダヤ教徒のふりをした連中、

真正なユダヤ人ではない)にとって日本人が怖かったのである。

世界の中で一番人間として優秀な日本人に、似非ユダヤ人たちは

牛耳られるのではないかと思っていたのである。

今でもそう思っている節がある。

だからやつらが作った国連において敵国条項を削除できないのである。


この地球上に住む人類にとっての敵とは、アメリカを牛耳る

似非ユダヤ人であり、その仮の母国”イスラエル”なのである。

残念ながら”イスラム世界”もこの似非ユダヤの術中に完全に

嵌ってしまった。

言っておくが、今でもアメリカの仮想敵国に”日本”がなっているのを

ご存知だろうか?


長くなりそうなのでこの辺でやめるが、

慰霊祭はやるべきではない。