JAL123便墜落事件・事故に関する様々な記事を見てきて

    面白い?見方の記事がありましたので、掲載させていただきます。

社会的に大きな事故・事件があると

様々な説が飛び交います。

これもその一つかもしれません


iris blog より


諸悪の根源はドルイド教!!?イルミナティも天皇も元をたどれば
ドルイド教?


あなたが信じている神様は、神を装った悪魔かもしれません。

そして、あなたが見てきたもの教えられてきたものは嘘かもしれません。

キーワードは「ルーツ」です。

例えば、

神道も仏教も、もとをたどれば結局は「ゾロアスター教」という外国から来た宗教で、「ゾロアスター教」は「ドルイド教」がルーツです。

天皇一族も、もとをたどれば韓国・朝鮮半島から渡ってきた一族なのです。

それは「明治維新」の仕組みを見れば一目瞭然です。

日本二大カルトの、創価学会は北朝鮮から、統一教会は韓国から・・・。

今回は宗教を中心に、以下のことについてまとめました。

??ドルイド教の信者による支配?古代アトランティス大陸?
◎アトランティス大陸滅亡前とその後
◎ドルイド教がルーツ!ゾロアスター教・ヒンドゥー教
◎ゾロアスター教が日本にも
◎カトリック教会、反日韓国人
??日本の政治経済もドルイド教徒ばかり
◎明治天皇すり替え説に関連して(全貌)
◎カトリック教会、反日韓国人
 

悪魔って(笑)

ていうかそもそも神様とか信じてない(笑)

・・・日本人はこのように思う人が多いかもしれません。

もしくは、いわゆる新興宗教で崇めている神様を信じて

いる人もいるかもしれません。

しかし!

神様、悪魔、悪魔崇拝は確実に存在し、

神道も仏教も、あがめられている神の正体は悪魔です。

毎日みている占いだって、結局は「ドルイド教」が

ルーツだったりします。

[悪魔崇拝の原点、ドルイド教]

結論から言うと、それぞれの宗教のルーツをたどれば、

古代からの悪魔崇拝組織にいきつきます。

その悪魔崇拝組織、またはその悪魔崇拝組織からの

しあがって富を築き上げてきた悪魔崇拝者による

支配と洗脳が根強く現在まで続いているのです。

その古代からの悪魔崇拝組織とは、「ドルイド教」です。

即ち、「古代ケルト系ドルイド教団」による何千年もの

組織犯罪によって、密かに、わたしたちは支配され、

奴隷となり、悪魔を拝み真の神様から離れさせられているのです。

※ストーンヘンジ↓:多くの謎と秘密を内包するドルイド教
イメージ 1


の信者たち(ドルイド僧は重要な教義は文字として残さないため)

は、今も毎年、夏至の前日にストーンヘンジに集合し、

純白のローブを身にまとい、夜を徹して秘密の臭いが

色濃く漂う儀式を厳粛にとりおこなっている。


??ドルイド教の信者による支配?古代アトランティス大陸?

◎ドルイド教とは?

あまり日本人には馴染みのない宗教ではあるため、

ドルイド教?古代ケルト?なんのことやら・・・となるかもしれません。

わたしがそうでした。

「フリーメイソン」やら「ドルイド教」は、アメリカのテレビドラマで

放送されるほどに、知ってる人は知っているという話なのかもしれません。

まず、ドルイド教とは悪魔崇拝を行なっているわけですが、

その特徴的な例として人身供養の儀式、つまり「生贄」が捧げられます。

ドルイドの生贄の儀式で最も有名なものが「ウィッカーマン」

と呼ばれるものです。

イメージ 2
                ウィッカーマン


これは、木で作られた巨大な人形の檻の中に、多くの犠牲者を詰め込んだ上で火にかけるというもので、そのインパクトある姿は2度も映画の題材にされるほどでした。

人間を生贄にしたり、焼き殺したりというように、日本では考えられないような恐ろしくおぞましいことが行われていました。

また、ハロウィンもドルイド教からはじまりました。

ハロウィンはドルイド教の儀式がもとになっています。

ハロウィンで有名な「Trick or Treat」はもともと「Treat me or I’ll trick you.」から来ており、「私をTreatしなさい。さもなくば、あなたをTrickするぞ」という意味になります。

そしてこの「treat」は基本的には「喜ばせたり、いい感じにしたりするための行為」を意味します。

つまり、ドルイド僧が拝む悪魔「火の神エルフィン」は「わたしを喜ばせろ。でなければ・・・」とドルイド僧に言っているということで、つまりは「生贄を捧げろ」ということなのです。

ハロウィンにわたしたちが参加するのは、ドルイド僧に加担して悪魔崇拝をすることとなんら変わらないことなのです。

ハロウィンはサタニズムへの傾倒であると言えます。

また、ドルイド教は一神教で知られていますが、多神教です。

神は「火の神エルフィン」だけではありません。

「ベル」という神もいます。

「ベル」とは、カナン人(フェニキア人)の信仰する

「バアル」のことです。

聖書では、この「バアル」は「ベルゼブブ」とも呼ばれる悪魔です。

5月1日は女神とその子「ベル」を祝うベルテーン(ベルの火)

の祝祭日ですが、その前日の4月30日にはハロウィーンと

同様に前夜祭が行われます。

この前夜祭は、サバト(魔女のお祭り)と言われます。

この夜はかがり火を焚き、一晩中(乱交など)乱痴気騒ぎをします。

儀式の為に、子供をさらったり、それを殺して食らったりも

しました。

古代の習慣として、世界中に見られた事で、アステカ文明でも、

生贄を捧げ、内臓を食らったりしていました。

このようにとても残酷であるために、ドルイド教は一時的に

人々からの激しい迫害に遭い、異端とされ、一旦はこの世から

姿を消してしまいました。

ですが、それはあくまで表向きの話。

ドルイド教徒たちはその後も密かに世界各地に散らばり、

彼ら自身もドルイドの信仰を守ると同時に、世間一般の

人々の間にもドルイド教を密かに浸透させていきました。

彼らはその国の文化や風習に合わせて、その国の人たちが

馴染みやすいような形で、ドルイド教を浸透させていったのです。

このドルイド教をさかのぼり、起源を辿れば、

アトランティス文明にその由来があります。

◎古代アトランティス

アトランティスは伝説の超古代文明です。

今から1万2,000年前に存在していたといわれています。

イメージ 3


(*そもそもアトランテイス大陸が存在した証拠も
 無いし、化学者の間ではなかったという説が、今
 では有力です)


「アトランティス大陸の王家の末裔」が「ケルト民族」

であるという説があり、またアトランティスは五度に

わたって沈没崩壊を繰り返して、現代の南北アメリカ大陸

になったと伝えられています。

ケルトといえば、「ケルト神話」が有名ですが、

「ハリー・ポッター」と「ロード・オブ・ザ・リング」、

この二つは確実にケルト神話を源流としています。


*写真、ハリー・ポッター

*写真、ロード・オブ・ザ・リング

ケルト神話は、魔法・妖精が格段に強調される神話で、

また両作品ともスコットランドが舞台となっています。

そして、このハリーポッターの作者のJ.Kローリング氏

ですが、ストーリーの書き方が”霊のチャネリング”に

似ているらしいのです。

詳しくは、以下の動画に。

また、ハリーポッターが「神智学」の影響も受けていることもわかります。

「神智学」は悪魔宗教組織でナチスやマハトマ・ガンジーとも関係していま

す。

つまり、ガンジーも結局は偽善者なのです。

この「神智学」というのは、「グノーシス」や「新プラトン主義」

などの西洋思想の中に、「仏教」や「ヒンドゥー教」などの

東洋思想を混入していくことで、悪魔教を見事に一つに集めたような思想です。


話はまた、アトランティス大陸の王家の末裔が「ケルト民族」

であるところに戻って、

アトランティス大陸で権力を持っていたとされるのが

「ドルイド僧」です。

レムリア、ムーではどうであったかは不明ですが、恐らく

支配権を持っていたと思われます。

また、「ドルイド」とは「完全なる知識を所有する人」の意味します。

ドルイド僧は、数かずの驚嘆すべき秘儀、秘術をおこない、

極めて高度な天文学、占星学、数学の知識を身につけていたと

言われています。

そう、いまの占いは占星学がもとであることが大半ですが、

この占星学はドルイド僧も身に着けていたものです。


エサルの『ガリア戦記』によれば、こう書かれています。

ドルイド僧は最大の敬意を払われ、決定権はすべて彼らが

握っていた。命令を下すのは彼らである。

すばらしい宮殿に住み、黄金色の玉座に座っている

王たちは、彼らの召使にすぎなかった。

ドルイド僧は言うなれば“影の支配者”だったのである!!

(ロスチャイルドはイルミナティのトップにいるわけですが、

そのロスチャイルドはドルイド教の神官の末裔なのです。

そのロスチャイルド(ロスチャイルド家)が持つ何千兆円

の総資産というは、彼らが万人の持っていない超越的な知恵

、知識を有していたからに過ぎません。)

しかし、アトランティスは滅亡してしまいました。

◎アトランティス滅亡とその後
ですが、アトランティスが滅亡した後、ドルイド教の神官

たちは世界各地に散らばっていきます。

古代ケルトにおいてはドルイド教の神官となり、

ギリシアではピタゴラス派になり(ピタゴラスの定理)、

古代ペルシャでは「ゾロアスター教」が盛んになりましたが、

これもドルイド僧によるものです。

「ゾロアスター教」のルーツがドルイド教である根拠等は後述します。

また、古代エジプトにも同じように進出し、エジプト王朝を築き上げました。

古代エジプトで栄えた「太陽信仰」は、つまり悪魔崇拝です。

エジプトはピラミッドが有名ですが、ピラミッドはフリーメイソン

のシンボルにもなっています。

イメージ 4
フリーメーソンの目


シンボルといえば、「ドルイド教」のシンボルは以下になります。

イメージ 5
                    ドルイド教のシンボル


新興宗教でもドルイドのマークが見られます。

例えば、ワールドメイト。

わたしは以前ワールドメイトの会員で(母に入会させられる)、

魔除けのシールとしてグノーシスのマークのシンボルを

貼っていたほどです・・・。

また、六芒星もあらゆる点で共通して見られます。

芒星の真相

六芒星は悪魔を呼び出すために欠かせないマークなのです。

なんと日本の神社の位置から見ても、六芒星が隠れています。

イメージ 6
 日本の神社の位置

◎ドルイド教がルーツの「ゾロアスター教」

古代ペルシャでは「ゾロアスター教」が盛んになり、

そのルーツがドルイド教であると前述しました。

というのも、

ドルイド僧は、秘儀・秘術をおこない、高度な天文学、

占星学、数学の知識を身につけていたわけですが、

ゾロアスター教の神官は「マギ」と呼ばれ、不思議な力を

持っていたためです。

この「マギ」は、マジックの語源となるほどです。

「ゾロアスター教」とは、紀元前1400年?1200年頃に

ゾロアスターによって説かれた「善悪二元論」の教えです。

「ゾロアスター教」は「拝火教」ともいわれ、このように「火」

を崇めるのは「ドルイド教」で「火の神エルフィン」を崇めて

いるからなのです。

「ゾロアスター教の神」は「アウラ・マズダー」ですが、

この神は「サナト・クラーマ」(京都・鞍馬寺でも祀られている)

と同一神であり、「ブラフマー」(ヒンドゥー教の最高神)

の精神から生まれたとされています。

また、イランの宗教は、イスラム教の前はマズダー教

(及びその内の多数派であるゾロアスター教)です。
(ウィキペディアより)

このようにイランや古代ペルシャあたりはゾロアスター教が

盛んだったのですが、

そのイランや古代ペルシャがあったカスピ海周辺の民族が

「アーリア人」です。

アーリア人」は重要なキーワードです。(詳しく後述します。)

◎ヒンドゥー教
ゾロアスター教は古代ヒンドゥー教とも共通点があります。

その共通点というのは、ヒンドゥー教で最高神とされる

「ブラフマー」です。

まず、ドルイド教との共通点。

比較宗教学においてドルイドは、古代ローマのフラミネス

(英語版)や古代インドのブラフマンと関連付けられています。
(ウィキペディアより)

また、輪廻転生の思想も共通しています。

(↓ブラフマン)

イメージ 7



次に、ゾロアスター教との共通点。

こちらより、以下に転載。

まず、ゾロアスター教における第一の天使は、ペルシャ語で

「バハマン」あるいは「ヴォフ・マナ」と呼ばれ、

善心や善考と訳されます。

そのバハマンと対比されるインドのブラフマー(デーヴァ)

を生んだ、ブラフマン Brahman (梵)は、宇宙の根源に

ある非人格的な超霊格を示した、抽象・中性名詞でした。

超自然霊としての梵とダイモーン、及び人間を導く「梵天」

とダイモーンを無関係とすることは困難でしょう。

(※梵天(ぼんてん)は、仏教の守護神である天部の一柱)

また、ヒンドゥー教はもともと「バラモン教」でした。

以下はWikipediaより。

バラモン教からヒンドゥー教へ

バラモン教は、インドを支配するアーリア人の祭司階級

バラモンによる祭儀を重要視する宗教を指す。紀元前5世紀頃に、

バラモン教の祭儀重視に批判的な仏教とジャイナ教が成立した。

更にインド北西部は紀元前520年ころにはアケメネス朝ペルシア、

前326年にはアレクサンダー大王に支配された。その後仏教は

アショーカ王(在位紀元前268年頃 ? 紀元前232年頃)の帰依

などにより一時期バラモン教を凌ぐ隆盛を示した。この時期に

ヴェーダを基本とする宗教であるバラモン教は「支配者の宗教」

からの変貌を迫られ、インド各地の先住民族の土着宗教を

吸収・同化して形を変えながら民衆宗教へ変化していった。

このため広義のヒンドゥー教にはバラモン教が含まれる。

(おわり)

このように、バラモン教がヒンドゥー教になったのは明らかで、

バラモン教のきっかけは「アーリア人」にありました。

◎アーリア人がインドへ侵入

「バラモン教」は「アーリア人」によって作られました。

紀元前13世紀頃、「アーリア人」がインドに侵入します。

そして、「アーリア人」は先住民族である「トラヴィタ人」

を支配し、その過程で「バラモン教」が作られたとされています。

紀元前10世紀頃には、「アーリア人」と「トラヴィタ人」の

混血が始まり、宗教の融合が始まり、紀元前5世紀後には

バラモン教が確立する一方で、反発して多くの新しい

宗教や思想も生まれることとなった。

現在も残っている「仏教」や「ジャイナ教」もこの時期に成立。

(バラモン教の特徴として世界を善悪の二つの神のグループの

戦いとして描写する局面を含有しつつも、リグ・ヴェーダ

以来インドで一般に神を意味する単語はデーヴァであり、

悪神はアスラと呼ばれる。アスラ→仏教における阿修羅王)

しかしその後、1世紀にはバラモン教の勢力は失われて

いったものの、4世紀にはインドの民族宗教も取り込みつつ

「ヒンドゥー教」へと発展し、継承されることとなりました。

このようなわけで、インド人のヒンドゥー教徒は皆、自らを

「アーリア人」だと自覚しています。

かのナチス党員も、インド人をアーリア人であると認めて

いたそうです。

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ナチスを作ったヒトラーは、「アーリア人」こそが世界で

最も優秀な民族であり、「アーリア人」による世界帝国を

作ることを目指して、多くのドイツ人から支持を得ました。

また、「アーリア人学説」なるものも存在します。

アーリアン学説(アーリアンがくせつ):アーリア人種論 は、

インド・ヨーロッパ語族の諸言語を使う全ての民族を、

共通の祖先アーリア人から発生したものとする学説。

この場合、アーリア人という名前は拡大解釈される。

この拡大解釈された意味でのアーリア人をアーリア人種

(アーリアじんしゅ)と呼ぶことがある。学説としての

根拠に乏しく、アーリア神話とも呼ばれる。

そしてアーリア人は日本にも来ます。

ちなみに、トランプ大統領もヒトラーと同じことをしています。

しかも、このリンク記事にも書きました通り、

「トランプ」は「秦氏」のエージェントだった「ヒトラー」

と全く同じことをやっています。

「ヒトラー」は「アーリア人至上主義」を唱え、

白人こそが世界で最も優れた民族であると主張し、

「ユダヤ人」を激しく迫害することで「チュルク族(出雲族)」

を叩き潰そうとしました。詳しくは以下のリンクをご覧ください。

○RAPT×読者対談〈第108弾〉世界はアーリア人(秦氏)と

チュルク族(月派・出雲)の抗争の上に成り立っている。

これと同様、「トランプ」も「アメリカ至上主義」を唱えて、

白人(アメリカ人)こそが世界で最も優れた民族で

あると主張し、かつ「イスラム教徒(または移民)」

を激しく迫害することで、「チュルク族(出雲族)」

を叩き潰そうとしています。


◎アーリア人が日本にも!~ゾロアスター教~

~秦氏とゾロアスター教~

インドの宗教であるヒンドゥー教は、もともとバラモン教

だったわけですが、このバラモン教は「アーリア人」に

よって作られました。

日本の宗教もまた同じような仕組みで、「アーリア人」が

深く関係しています。

「アーリア人」である「秦氏」により、「ゾロアスター教」

が持ち込まれまれたことから始まります。

あの聖徳太子や平清盛はゾロアスター教徒でした。

聖徳太子は、実は「秦河勝」であるという説があります。

その名の通り、「秦氏」の一族なのです。

そして、日本人ではなくペルシャ人だったと考えられています。

イメージ 9
                       聖徳太子

※厳島神社の建立は593年で、聖徳太子の統治する時代、平清盛が本殿を建設しました。

広島県宮島・厳島神社と聖徳太子・ペルシャ人との深い関わりとは?

(以下はこちらから引用)

厳島とも呼ばれる宮島には、1400年の歴史をもつ厳島神社があります。

1996年には、その素晴らしさが認められ世界遺産に登録されました。

そんな厳島神社に関する逸話があります。

驚愕の事実!厳島神社と「ゾロアスター教」の意外な

共通点とその深い関係

一説によると、厳島神社とゾロアスター教には深い

関わりがあるそうです。

ゾロアスター教は、西暦200年ごろに繁栄した

ササン朝ペルシャの国教のことです。

紀元前1400年~1200年頃に預言者ゾロアスターによ

って始められ、日本では「拝火教(はいかきょう)」として知られます。

「拝火」とは文字通り「火を神に見立てて祀る」と言ったことになります。

ゾロアスター教と厳島神社を結びつける4つの根拠

実は、このゾロアスター教と厳島神社を結びつける根拠が4つあります。

①厳島神社が北西を向いていて 水辺に建てられている

これは、イランに残るゾロアスター教の寺院の造りと同じだそうです。

②昔、厳島神社に大願寺の弁財天が祀られていた。

厳島神社の今の社殿は平の清盛が建てたものですが、お宮としては

それより古く、593年に建てられました。

ちょうど、推古天皇・聖徳太子の時代です。

現在は、市杵島姫命(いちきしまひめのみこと)、田心姫命

(たごりひめのみこと)、湍津姫命(たぎつひめのみこと)の

宗像三女神が祀られていますが、創建当初はもう1柱御祭神が

祀られていたそうです。

それは、現在は大願寺で秘仏となっている

「弁財天(べんざいてん)」です。

この弁財天の起源は、ペルシャ地方の神話に出てくる

ゾロアスター教の海の神様「アナーヒター」だと言われています。

③毎年元日に行われる舞楽の演目がペルシャ人にちなんでいること

厳島神社の高舞台では、毎年元日の日の出から3時間の間、

舞楽「抜頭(ばとう)」が行われます。

抜頭とは、厳島神社の有名な舞楽であり、厳島神社に古くから

伝わる中国風の唐面を装着して舞う舞楽です。

イメージ 10
 写真、厳島神社の有名な舞楽

これは厳島神社の神職に伝わる舞です。

舞楽は単に舞うだけではなく、物語があり、

その内容を舞で表現します。

その物語とは「西域の胡人(ペルシャ人)が猛獣に

父をかみ殺されたので、山に入りその猛獣を見つけて

復讐をする」というものです。

この抜頭が異国人と思しきお面を付けて舞われます。

④平清盛はペルシャ人の血を引いていた可能性がある

厳島神社は、平清盛により現在の建築様式が確立

されましたが奈良興福寺の「大乗院寺社雑事記」には、

「外来人が営む蔵が京都三条坊門にある。彼らは外国

との貿易などをしているが、そのことごとくは

「”平”の性」を名乗っている」という記述があります。

すなわち、平清盛はペルシャ人の血をひいていた可

能性が指摘されているのです。

えぇっ?!聖徳太子は間違いなくペルシャ人だった!?

実は上記の「抜頭の舞」は、渡来人であり聖徳太子の

参謀であった「秦河勝(はたのかわかつ)」の子孫に

より舞われていたようです。

秦氏は京都や畿内(近畿地方)を本拠地にした豪族で、

後に九州地方へも進出しています。

伏見稲荷大社を創建したとされる秦氏(秦伊呂具/はたのいろぐ)

も同様に秦氏であり、秦氏は日本の歴史に大きく関与しています。

秦河勝は、秦氏のリーダー的存在で日本の歴史で言う

ところの弥生時代から古墳時代に(西暦200年初頭から中期)

に朝鮮半島から日本へ渡ってきた渡来人であり、

大陸の進んだ文化を当時の日本へ持ち込み、日本で

大出世を果たした一族です。

当時の政治の中心にいた聖徳太子からも厚い信頼を

得ていました。

古代からの書物をまとめた「群書類従(ぐんしょるいじゅう)」

によると、秦氏が渡来人であった証拠が記載されている

ことがわかります。

また、太子最古の記録「上宮聖徳法王帝説

(じょうぐうしょうとくほうおうていせつ)」によると、

太子の母親の名前は「穴穂部間人(あなほべのはしひと)」とあります。

実は、この「はしひと」と言うのが、聖徳太子がペルシャ人

であると言う説を実証へ導く回答の1つであり、一説によると

「はしひと」というのは、ペルシャ人のことを

「パルシーグ(パルシング)」と呼んでいた事に

由来するといわれています。

他にも聖徳太子がペルシャ人であったとされる説があり、

一番の有名所では「その身長は優に180cm以上ほどあった」

と云われています。

当時の日本人の男性の平均身長が150cmから155cmで

あった時代に、明らかに不釣り合いな身長差が生まれており、

この当時の人物としては飛び抜けて長身であったと思われます。

このことからも、聖徳太子や平清盛はゾロアスター教徒であったのです。

また、上記にもあるように、「秦氏」は「稲荷神社」の

建立に深くかかわっており、そのほか、「八幡神社」の

建立にも関わっています。

これは俗説ではなく、定説としてあります。

----------------(以下、こちらから転載)

秦氏は広隆寺をはじめ、八幡 神社や稲荷神社等、多くの寺社の

建立に長年関わってきたことが知られています。

----------------(転載ここまで)

 

~秦氏vs出雲族~

この「秦氏」ですが、もともとは「出雲族」であったと考えられます。

ですが何らかの理由で、出雲族ではなくなりました。

その結果、「秦氏」と「出雲族」は争うようになりました。

また、この世の図は「秦氏」と「出雲族」の争いであると言えます。

「出雲族」とは「チュルク族」のことであり、「チュルク族」

はもともとロシアのこれは厳島神社の神職に伝わる舞です。

舞楽は単に舞うだけではなく、物語があり、その内容を舞で表現します。

その物語とは「西域の胡人(ペルシャ人)が猛獣に父をかみ殺されたので、山に入りその猛獣を見つけて復讐をする」というものです。

この抜頭が異国人と思しきお面を付けて舞われます。

④平清盛はペルシャ人の血を引いていた可能性がある

厳島神社は、平清盛により現在の建築様式が確立されましたが奈良興福寺の「大乗院寺社雑事記」には、「外来人が営む蔵が京都三条坊門にある。彼らは外国との貿易などをしているが、そのことごとくは「”平”の性」を名乗っている」という記述があります。

すなわち、平清盛はペルシャ人の血をひいていた可能性が指摘されているのです。

えぇっ?!聖徳太子は間違いなくペルシャ人だった!?

実は上記の「抜頭の舞」は、渡来人であり聖徳太子の参謀であった「秦河勝(はたのかわかつ)」の子孫により舞われていたようです。

秦氏は京都や畿内(近畿地方)を本拠地にした豪族で、後に九州地方へも進出しています。

伏見稲荷大社を創建したとされる秦氏(秦伊呂具/はたのいろぐ)も同様に秦氏であり、秦氏は日本の歴史に大きく関与しています。

秦河勝は、秦氏のリーダー的存在で日本の歴史で言うところの弥生時代から古墳時代に(西暦200年初頭から中期)に朝鮮半島から日本へ渡ってきた渡来人であり、大陸の進んだ文化を当時の日本へ持ち込み、日本で大出世を果たした一族です。

当時の政治の中心にいた聖徳太子からも厚い信頼を得ていました。

古代からの書物をまとめた「群書類従(ぐんしょるいじゅう)」によると、秦氏が渡来人であった証拠が記載されていることがわかります。

また、太子最古の記録「上宮聖徳法王帝説(じょうぐうしょうとくほうおうていせつ)」によると、太子の母親の名前は「穴穂部間人(あなほべのはしひと)」とあります。

実は、この「はしひと」と言うのが、聖徳太子がペルシャ人であると言う説を実証へ導く回答の1つであり、一説によると「はしひと」というのは、ペルシャ人のことを「パルシーグ(パルシング)」と呼んでいた事に由来するといわれています。

他にも聖徳太子がペルシャ人であったとされる説があり、一番の有名所では「その身長は優に180cm以上ほどあった」と云われています。

当時の日本人の男性の平均身長が150cmから155cmであった時代に、明らかに不釣り合いな身長差が生まれており、この当時の人物としては飛び抜けて長身であったと思われます。

このことからも、聖徳太子や平清盛はゾロアスター教徒であったのです。

また、上記にもあるように、「秦氏」は「稲荷神社」の建立に深くかかわっており、そのほか、「八幡神社」の建立にも関わっています。

これは俗説ではなく、定説としてあります。

----------------(以下、こちらから転載)

秦氏は広隆寺をはじめ、八幡 神社や稲荷神社等、多くの寺社の建立に長年関わってきたことが知られています。

----------------(転載ここまで)

 

~秦氏vs出雲族~

この「秦氏」ですが、もともとは「出雲族」であったと考えられます。

ですが何らかの理由で、出雲族ではなくなりました。

その結果、「秦氏」と「出雲族」は争うようになりました。

また、この世の図は「秦氏」と「出雲族」の争いであると言えます。

「出雲族」とは「チュルク族」のことであり、「チュルク族」はもともと

ロシアのバイカル湖付近にいた民族です。にいた民族です。

舞楽は単に舞うだけではなく、物語があり、その内容を舞で表現します。

その物語とは「西域の胡人(ペルシャ人)が猛獣に父をかみ殺されたので、山に入りその猛獣を見つけて復讐をする」というものです。

この抜頭が異国人と思しきお面を付けて舞われます。

④平清盛はペルシャ人の血を引いていた可能性がある

厳島神社は、平清盛により現在の建築様式が確立されましたが奈良興福寺の「大乗院寺社雑事記」には、「外来人が営む蔵が京都三条坊門にある。彼らは外国との貿易などをしているが、そのことごとくは「”平”の性」を名乗っている」という記述があります。

すなわち、平清盛はペルシャ人の血をひいていた可能性が指摘されているのです。

えぇっ?!聖徳太子は間違いなくペルシャ人だった!?

実は上記の「抜頭の舞」は、渡来人であり聖徳太子の参謀であった「秦河勝(はたのかわかつ)」の子孫により舞われていたようです。

秦氏は京都や畿内(近畿地方)を本拠地にした豪族で、後に九州地方へも進出しています。

伏見稲荷大社を創建したとされる秦氏(秦伊呂具/はたのいろぐ)も同様に秦氏であり、秦氏は日本の歴史に大きく関与しています。

秦河勝は、秦氏のリーダー的存在で日本の歴史で言うところの弥生時代から古墳時代に(西暦200年初頭から中期)に朝鮮半島から日本へ渡ってきた渡来人であり、大陸の進んだ文化を当時の日本へ持ち込み、日本で大出世を果たした一族です。

当時の政治の中心にいた聖徳太子からも厚い信頼を得ていました。

古代からの書物をまとめた「群書類従(ぐんしょるいじゅう)」によると、秦氏が渡来人であった証拠が記載されていることがわかります。

また、太子最古の記録「上宮聖徳法王帝説(じょうぐうしょうとくほうおうていせつ)」によると、太子の母親の名前は「穴穂部間人(あなほべのはしひと)」とあります。

実は、この「はしひと」と言うのが、聖徳太子がペルシャ人であると言う説を実証へ導く回答の1つであり、一説によると「はしひと」というのは、ペルシャ人のことを「パルシーグ(パルシング)」と呼んでいた事に由来するといわれています。

他にも聖徳太子がペルシャ人であったとされる説があり、一番の有名所では「その身長は優に180cm以上ほどあった」と云われています。

当時の日本人の男性の平均身長が150cmから155cmであった時代に、明らかに不釣り合いな身長差が生まれており、この当時の人物としては飛び抜けて長身であったと思われます。

このことからも、聖徳太子や平清盛はゾロアスター教徒であったのです。

また、上記にもあるように、「秦氏」は「稲荷神社」の建立に深くかかわっており、そのほか、「八幡神社」の建立にも関わっています。

これは俗説ではなく、定説としてあります。

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秦氏は広隆寺をはじめ、八幡 神社や稲荷神社等、多くの寺社の建立に長年関わってきたことが知られています。

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   長くなりそうですので次回につづく