(新)日本の黒い霧  より

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(新) 日本の黒い霧

ひふみよいむなやこともちろらねしきるゆゐつわぬ

そをたはくめかうおえにさりへてのますあせゑほれけ

123便事件 - 事故とすませたい心


2018-08-12 09:55:16 / JAL123便墜落事故

またこの日が訪れました。あの忌まわしい惨劇から33回目

の8月12日です。夕刻6時過ぎに羽田を離陸した日本航空123便

の推定不時着時刻は18:55頃です。

読者様におかれましては、どうかその時刻に、全ての犠牲者

のご冥福と、残されたご遺族様の心のご安寧をお祈りください。

* * *

私は、本件に関しては「事故」とか「墜落」と言う言葉を

なるべく使いたくありません。何年もの調査の結果、

それが事実でないことを確信しているからです。

そして、何かの利害のため、とてつもなく大きな権力が、

本件を事故で終わらせようと画策してきたことを肌身で感じています。

私と同じように、この件が事故でないことを凡そ理解・認識

していながら、私に向かって「恐ろしくないのか?」、

「命が惜しくないのか、手を引け」とアドバイスして

きた方は何人もいらっしゃいます。これらのご親切には

御礼を申し上げると同時に、丁重にお断りを申し上げてきました。

私だって、恐ろしいと思ったこと、手を引こうと思ったことは

何度もあります。それでもこうして調査研究を継続し、

時に間違え、馬鹿にされながらもその結果をこうして

ブログで発信してきたのは、勇気だとか正義だとか

そんな聞こえの良い理由からではありません。

信仰心というのもまた違います。

自分の心中が一番わからないものですが、敢えてその理由を

説明するなら、やっぱり恐ろしいから、そして悲しいからです。

人がその目で物を見ようとせず、積み重ねた経験と知識に

反してまで物を見ないことの正当性を考える。

それって、本当に自分の人生を生きていると言えるのでしょうか?

世の中全体がそうなってるとしたら、この世界とはいったい何

なのでしょうか?

「あれは事故だった」。そう報道するマスコミや関係機関への

疑いを一切排除し、自分の関心事にのみ気持ちを向けるのは

確かに楽ですし、賢明な生き方とも言えます。

私がそれに賛同し得ないのは、本件で犠牲になられた方々

と自分の間に大きな違いはなく、昨日までの平穏な人生が

一転して悲劇となり、それが誰にも理解されず、事故犠牲者

という憐みの対象としてこの世から簡単に葬り去られること、

そうなる事に対し何か本質的な違和感を感じるからです。

「事故ですませたい」。その心は同時に、何か大事な物を

失っているように思うのです。


戦争の悲劇ですませたい…

広島・長崎の原爆も、123便事件同様、嘘で固められた史実で

あることがわかってきました。


RESPONDIT IESUS ET DIXIT EIS ET SI EGO TESTIMONIUM
 PERHIBEO DE ME IPSO VERUM EST TESTIMONIUM MEUM QUIA 
SCIO UNDE VENI ET QUO VADO VOS AUTEM NESCITIS UNDE 
VENIO AUT QUO VADO
イエスは答えて言われた。「たとえわたしが自分について
証しをするとしても、その証しは真実である。
自分がどこから来たのか、そしてどこへ行くのか、
わたしは知っているからだ。
しかし、あなたたちは、わたしがどこから来てどこへ行くのか、知らない。」 
(ヨハネの福音書 第8章14節)


キリストの御国にて記す
管理人 日月土

(新)日本の黒い霧

 に書かれた日航123便の事に関する記事は沢山あります。

 多くのJAL123便に関する記事の中でも、多くの人がこの方の

 記事が、真相に近いのではないかと言っております。

 興味があるとか、ないとかの問題ではなく同じ日本に生まれてきた

 人として、是非とも一読なさって下さい。

 日本と言う組織、機構の一端を垣間見ることができると思います。

 ただ漠然に歳をとるだけと言う恥ずかしい、もったいない生き方は

 されないようにしたいものです。

 今の世の中があるのは先輩たちのおかげだと言います。

 しかし、現状のような日本にしたのもその先輩・私たち年寄りと

 よばれる人間なのかもしれません。恥ずかしくない年寄りでいる為にも

 目を見開いて現状等を知ることです。

 あなたは『何のために生きているのですか?』

 『生かされているのですか?』

 自分自身のためにも自分を磨きましょうよ!