この記事は4月15日姫路城を投稿した際に予約投稿した物です。
 
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    水口城
 
    現在では水口城資料館となっているそうです。

    因みに”みなくちじょう”と言うそうです。

    なんで世界遺産で国宝の姫路城の次に取り上げたかと言うと

    とても大切なブロともさんが幼少期をこの城から徒歩5分ぐらいの

    ところで過ごされたそうだからです。

    子供の頃に城のそばで育つと言うことは大なり小なり日本人に

    掛け替えのない心を育まれたことでしょう。

    子供の頃の環境はとても大事に思えます。

    フィリピンの多くの貧困層が暮らす環境は、自然児が育つ環境

    ですね。それが良いとか悪いとかは抜きにして、日本人の私から

    みると伸び伸びし過ぎていて、周りに対する気配りが出来ないよう

    です。最近の日本人もそういう子供や大人がいますが、”思いやり”

    って大事だと思います。

    さあ水口城について行って見ますか。

    そうそう私の勝手で水口城だと思い込んでいるもので、違って

    いたら
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                             です。

    Wikipediaより

    水口城(みなくちじょう)は、滋賀県甲賀市水口町水口にあった

    日本の城。城跡は県指定史跡である。

    
別名     碧水城
城郭構造 梯郭式平城
天守構造 不明
築城主 徳川家光
築城年 寛永11年(1634年)
主な改修者 小堀政一
主な城主 加藤氏
廃城年 1873年(明治6年)
遺構 石垣、堀
指定文化財 滋賀県史跡
再建造物 復興櫓・復興高麗門・復興土塀

     関ヶ原の戦い後、徳川氏の直轄地となった水口は、東海道の

     宿場町に指定された。

     その後、3代将軍徳川家光が寛永11年(1634年)、

     京都への上洛の際の宿館として、道中の水口に築かせた。

     これが水口城(水口御茶屋)である。

     作事奉行は小堀政一(遠州)が務め、城内には二条城の御殿を

     模した豪華な御殿が築かれた。

     しかし、この御殿が将軍の宿舎として使われたのは、この家光

     上洛の1回限りで、その後同城は、幕府の任命した城番が管理

     する「番城」となった。

      1682年(天和2年)に加藤明友が2万石で入城し、水口藩が成立

      した。

      それまで、幕府お抱えの宿館として城番をおいて管理して

      いたが、水口城は同氏の居城となった。

      鳥居氏が一時藩主となったが、再び加藤氏が2万5千石で藩主

      となった。

      歴代水口藩は、同城を幕府から借りている城として大切に管理

      し、特に居城であるにもかかわらず、本丸部の御殿を使用しな

      かった(藩の行政諸々は二の丸で行った)。

      本丸御殿は家光上洛以後使われることなく正徳年間に解体。

      本丸は空き地のまま使用されることなく、明治維新を迎え、

      水口城は廃城となった。


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    蓮華寺に移築された水口城、御殿の玄関


    小堀遠州が作事奉行をなさったとは、現存してればさぞ素晴らし

    かったでしょう。

    さあ次はどの城にしましょうか。