前回は明治維新の廃仏毀釈によって壊されたと言っても良い
日本最古に近い寺、兵庫県の獨鈷山 鏑射寺について突然と
ご紹介する話でしたが、この寺が昭和・平成に復興されつつ
あるのはどういう経緯だったのか、ご住職である中村公隆さん
が書かれた物の一部をご紹介しましょう。
”戦争に負けたのは明治の「廃仏毀釈」が原因ではないかという意見が
大勢を占めた。”
2018/2/22(木)
〈いのち〉の宝庫を開く 中村公隆 春秋社
” 鏑射寺人山(かぶらいじ)”
遍路から帰ってきて休んでいましたら、「学校に戻ってこい」
と言われました。仏教学の中野義照先生、当時の学長さんで
したが、大事にしてくださって、「何とか帰つてこい」と言って
いただきました。中野先生には、ずいぶん可愛がっていただきました。
しかしその頃、学生時代から話のあった一件が具体化してきた
のです。その話とは、ある時、東大の佐藤輝久先生がやって
来られまして、学生課から呼び出しがあり、
「お客様が見えているから応接間へ」と。
「その方は存じ上げませんが」と言うと、「佐藤先生はよく
ご存じのような話だから、まあ、行ってみなさい」と。
そこで一時間近く話して行かれたのですが、何のために会いに
おいでになったのか、わからないままでした。
いろいろなことを調べに来られたのですね。
後になってみたら、母親の里から皆、調べてあったような気がします。
また半年ほどしたら、今度は栗山奉行師という神主さんが
やって来られた。また何のことやらわからない。
ただ歴史の話をあれこれなさっていかれた。
古事記とか、万葉集の話に飛んでみたりとか、いろいろとお話になる。
いったい何だろうなと。
そうしたら、いよいよ海軍大将だった山本英輔氏がいらしている
と言う。「おまえ、いったい何してるんだ」と、学校側が
不思議がり出した。
それで分かったのは、日本が負けてどうやったら立ち直らす
ことができるかを考えているグループの、中心人物の一人が
佐藤輝久先生だった。
遍路で四国を回って、弘法大師のご意見を聞こうじやないか
という話が出たらしい。東大の佐藤先生が四国を回る役目
でしたが、学生時代の私の話をあちらこちらで聞かれていたようです。
元海軍大将(山本英輔氏)がいらしたときに、久適宮様という話が
ちらっと出たんです。戦争に負けてしまって、どうやったら国を立て直す
ことができるか。
明治の廃仏毀釈が原因ではないかという意見が大勢を占めた。
それなら、まず日本を明治まで支えてきたような本当にすごい寺で、
廃寺になっているような寺を、皆でお詫びがてら復興しよう
ではないかと。
どこからやるかということになったときに、ここ「とつこ山」
鏑射寺のことが出たらしいですね。
誰にやってもらうかということで、私が引っ張られたようです。
それで佐藤先生などが聞いてこられた。人物試験だったのでしょうね。
私が全国を遍路して元気に帰ってきたことはすぐに東京にも
知れていたようで、東京へ出てこないかと、山本英輔氏から
お誘いがありました。
くにのみや様とお会いするためでした。夜に迎えられて
行った先は、酒落た料亭でした。
その日は空模様が少しおかしかったのです。
しばらくして、話している最中に女将が入ってきた。
テレビができてまだ間なしの頃で、床の間に置いてありました。
女将が横から手を出して、テレビのスイッチをそろつと入れて
下がっていった。
どうしたのかと思ったら、頼まれていたのですね。
「台風情報を知りたいから、時間が来たら」と言われていた
ようでした。私は台風が来ていたのを知らなかったのです。
みんながふっとテレビの方を向いた。
台風情報を聞いて、いまは亡くなった財界の方が、
「こちらに来ないで良かったですね」と言った。
すると「くにの宮」様がすかさず「君、どこへ来ても困るよ」
とおっしゃった。その言葉で私は心が決まりました。
「どこへ来ても困るよ」と。
「ああ、宮様は常に国全体のこと、国民みんなのことを思って
おいでか」と感じ入りましたので、「わかりました」と、
その場でお引き受けしました。
本当にびっくりしました。私がもしあの人だったら、やはり
あのとき「こちらに来なくて良かったですね」と言ったかもしれない。
宮様は「どこに来ても困るんだよ」と言われた。
「ああ、これはけたが違う」と思いました。
くにの宮(久邇宮邦彦王・昭和天皇の香淳皇后の父)様は、

「君は行って拝んでくれていたらいい」と
言われました。「あとのことは自分らで組織もこしらえて、
バックアップの体制はつくれると思うから」ということでした。
しかし、ここへ入山して間なしに宮様は亡くなられたのです。
それで、どうしようかとだいぶ考えましたが、約束したこと
だから、ここでしっかりやろうと腹を固めました。
かえって誰の制約も受けないし、思うようにやれるではないか
と思い直したのです。
しかし、現地には栗山師と親しい禅僧の小林慈海師や田中実道師
という方々も、鏑射寺復興を願って動いておられました。
入山して間なしに、右翼の大立者で頭山満の養子になった
渥美圭石というお医者さんが、「ご苦労かけているんじゃなあ」
と言って来られました。
「なにも特別な応援はできないけれど、どうしてもこれが
あったらいいと思うものがあれば、一つぐらいは何とかするから」と。
「それなら、お不動さんの、すごいのを頼みます」とお願いしました。
そうしたら、名仏師といわれる村岡久作先生をお連れくださいました。
村岡先生はちょうど、浅草の浅草寺の山門にある仁王様を仕上げ
られたところでした。
それで彫っていただいたのが、ここのお不動様です。
そこからスタートしました。
廃仏毀釈は、神道を国教化する運動へと結びついてゆき、
神道を国家統合の基幹にしようとした(ウイキ)
戦後、天皇は神でなくなったが、新たな神(邪神)が現れた
マッカーサー米軍である。
これが居座る限り日本は浮かばれる事はない~
米ぽちアベを見れば分かろうかというものだ。
米国に頼ろうとするから日本が分断されるのだ。
いなくなれば、意識の集中が起こるだろう。


獨鈷山 鏑射寺 護摩堂の不動明王

ここを訪れた方がブログに書いています。
毎月22日に中村公隆大阿闍梨の護摩堂で、護摩供が
行われ、最後に法話が聞けるので出かけたのですが、
すごい人の数に驚き、すべての行事が終了すると、
帰る一人一人に和尚さまは、挨拶をしてくださいますので、
長い列が出来ていました。
お寺でなく、キリスト教の教会に似ていると思いました。
本来のお寺はこうであったのかも知れません。
次に続く・・・
