朝日新聞DIGITAL より
「憲法季評」 真実に生きる 自らの言葉と歩む天皇 (蟻川恒正)
2017年4月20日
2017年4月20日
『やはり真実に生きるということができる社会をみんなで
作っていきたいものだと改めて思いました」「今後の日本が、
自分が正しくあることができる社会になっていく、そうなれば
と思っています。みながその方に向かって進んでいけることを
願っています』
これは、2013年10月27日、熊本県水俣市を初めて
訪れた天皇が水俣病患者の話を聞いた後に述べた言葉である。
事前に用意された「おことば」ではない。
天皇が返礼に自らの思いを述べるのは異例である。
日本の公害の原点とされる水俣病は、胎児も含め、筆舌に
尽くし難い病苦を患者に与えただけでなく、差別や偏見の
故に患者であることを隠す生き方までを多くの患者と家族
に強いた。

土下座してそれまでの発言を水俣病患者に陳謝する石原慎太郎
石原慎太郎氏は、長く自民党の国会議員でした。
彼が1977年に環境庁長官であった当時、水俣病患者の直訴文に
「IQの低い人が書いたような字だ」
と言い放ちました。さらに、患者さんの中に「偽患者もいる」と発言し、
これらの発言を厳しく追及されました。
石原氏はついに、1977年4月22日、患者団体と水俣病患者に
直接謝罪しました。冒頭の写真は石原氏が胎児性水俣病患者である
藤吉美智子さんらに土下座している場面です。

石原氏の傍若無人の発言は枚挙に暇がありません
普通に魚を食べて、手足が麻痺し、脳が蝕まれ、ついには狂って
しまう。 これが水俣病です。もう少し専門的に言えば四肢末端の
感覚障害、運動失調、 求心性視野狭窄きゅうしんせいしやきょうさく、
中枢性聴力ちゅうすうせいちょうりょく障害を主要な症状とする
中枢神経系の疾患です。
1968(昭和43)年にそれぞれチッソ株式会社、昭和電工株
メチル水銀を垂れ流し続けたのが発覚したのです。
その苦しみに寄り添い「真実に生きる」ことを励ます天皇の
言葉は、当時、優しい言葉と報じられた。
優しい言葉である。だが、優しい以上の言葉である。
差別と偏見の只中(ただなか)にあって自らを晒(さら)す
ことは勇気と覚悟を要するからである。それを励ますことは、
ひとつの生き方を励ますことである。その生き方こそ
「真実に生きる」ことである。
「真実に生きる」という言葉、殊(こと)にその「に」には、
どこか日本語として聞き慣れない響きがある。
英語に堪能な天皇はlive trueという表現を想起して
いたかもしれない。live true (to)は、何かに
忠実に生きるということである。
「真実に生きる」とは、あるべき自分の生き方に忠実に生きる
ことであり、それを天皇は、全ての個人に励まし、それができる
社会へと向かう努力を自他に求めたのである。
天皇にとって、それは自らがそうありたいと思う生き方であったに
違いない。2013年4月28日、政府は「主権回復の日」の式典を
挙行した。第2次世界大戦後占領下に置かれた日本が独立したのが
1952年4月28日。沖縄は本土復帰が叶(かな)わなかった。
その61周年を祝う式典への出席を求める政府の事前説明に対し、
天皇は「その当時、沖縄の主権はまだ回復されていません」と
指摘した(毎日新聞2016年12月24日付)。
先の大戦で国内最大の地上戦の戦場となった沖縄に対して、天皇は
特別の思いを寄せ続けている。その天皇が、国政に関与したとの
疑いを抱かれないよう細心の注意を払ってした発言が、この指摘であ
る。
この指摘は、短いが、あるべき自分の生き方に照らしての真実から
する指摘であった。皇太子時代の1975年、沖縄を初めて訪れる
ことになった天皇は、本土復帰から3年での訪問に「何が起こるか
わかりません」と危惧した関係者に対し、「何が起きても受けます」
と答えている。「受ける」という言葉には、父たる昭和天皇の名で
行われた大戦で沖縄に甚大な被害を「与えた」以上、沖縄から何かを
「受ける」のは自分であるとする苛烈(かれつ)な覚悟が見える。
はたして、沖縄入りしたその日、過激派から火炎瓶が投げつけられた。
その夜、皇太子(現天皇)は異例の談話を発表している。
「払われた多くの尊い犠牲は、一時の行為や言葉によってあがなえる
ものではなく、人びとが長い年月をかけて、これを記憶し、一人ひとり、
深い内省の中にあって、この地に心を寄せ続けていくことをおいて
考えられません」
即位後の天皇は、あるべき自分の生き方として自らのこの言葉に忠実に
生きる道を選んだ。
「長い年月をかけて、これを記憶し」、「深い内省の中にあって、
この地に心を寄せ続けていく」は、ほかならぬ天皇自身の今日までの
歩みそのものだろう。「一人ひとり」がすることをおいて考えられない
ことを、天皇自らがする。それは天皇が国民「一人ひとり」を「象徴」
しているということではないか。天皇は、沖縄の人々をめぐって国民と
自己との間に作られることを願った、ここに見たような関係の在り方に、
憲法に書かれた「象徴」という概念の生きた姿を見出(みいだ)した
ように思われる。
「真実に生きる」ためには、あるべき自分の生き方に忠実であろうと
する意思が必要である。天皇の場合、「日本国の象徴であり日本国民
統合の象徴」(憲法1条)であるとはいかなることかを考え、
絞り出すようにして出したその答えにふさわしく生きることが
「真実に生きる」ことであった。それは、あるべき自分の生き方に
しっかり向き合うこと――do justice (to)――であり、
そうすることが「自分が正しくある」ことにほかならない。
沖縄の人々が「屈辱の日」と呼んだその日を「希望と決意を新たにする
日」(安倍晋三首相)と呼んで祝う式典――それが象徴するのは「国民
統合」ではなく分断だろう――に天皇は出席した。それは、天皇にとっ
て、「真実に生きる」ことではなく、「自分が正しくある」ことでもない。
その半年後、天皇は、水俣病患者たち、そして全ての個人に、
「真実に生きる」こと、「自分が正しくある」ことを励ましたのである。
天皇退位をめぐる政府の検討が大詰めを迎えている。
天皇が自らの歩みをもって国民に問いかけ続けた「象徴」に関する
議論は、まだほとんど聞こえてこない。
皇太子妃 旧姓小和田雅子さんの母方の祖父江頭豊はチッソ株式会社
の社長・会長を勤め、あの水俣病の元凶であり、その祖父は水俣病の
原因が会社の工場であると発覚しても操業し続けた人のようである。

チッソ水俣工場
それに乗じたか現皇后陛下の事を悪く言う者もいる。
現皇后陛下の妹さんが第二水俣病と言われる元を作り出した
昭和電工の社長の安西家に嫁いだと言うのである。
それは事実としても現皇室に血筋としては全く関係の無い
事である。
しかも小和田家の方は家系に怪しいものがあるというのである。
その雅子さんが今上天皇退位後は皇后になるというのであるから
天皇家も問題である。

せめて現皇太子に男の子がいなかったのが幸いか。
しかし、今上天皇崩御後に女帝天皇を認める皇室典範の
改定が無いとは言い切れないので心配である。
現在皇位継承権第二位の秋篠宮様には継承権第三位の悠仁様が
おられます。母君である旧姓川島紀子様は由緒正しい家系の方だ
そうです。少なくとも皇室典範が現在のままであれば次の次の
天皇はれっきとした日本人の血であることは間違いありません。
因みに以前も書いたことですが、私の家系は戦国時代・
江戸時代は地方の半農・半士であることが、祖父の弟の
ルーツ調べで判っています。
半農・半士って帯刀が出来た武士階級であったようです。
とは言っても自慢ではありませんが、最下級武士だった
ようです。その下には中間と小者という者が居て士分では
なかったようです。藩により多少の違いがあったのかも
知れません。
ある方の調べでは江戸時代の何時ごろのことかわかりませんが、
年間5両と米俵4.5俵という給金が出たそうで食べていけるだけの
ものではなかったそうです。
今現在の私はというと、日本を離れルソン人との間に子供を
儲け、とてもご先祖様に自慢できるものではありませんが、
これも人生と困窮邦人に納得せざるを得ない状態です。
しかし、日本人としての誇りは私一代は持ち続けたいと思います。
子供は大変でしょう、フィリピン人のプライドと日本人の
誇りを持つのですから・・・まだ2歳
フィリピン人の貧困層はじめ多くの方が知らない『人間の尊厳』
を伝えることが出来れば幸いです。
