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    現状の日本を見ると大東亜戦争敗戦による影響が大きく

    今の日本にあるように思えます。


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     CIAのスパイ』

一九四七年に設立されたCentral Intelligence Agency(CIA)は、
米国の国益・国防のため世界中から情報を収集・
分析し、大統領に報告をする世界一大きなスパイ機関である。
三〇年ほど前には暗殺団も存在し、敵を抹殺していた。

暗殺禁止令がホワイト・ハウスから出されるくらいだったので.
本当の話であろう。二〇〇一年九月十一日から開始されたテロリスト
撲減のために、新しい暗殺軍団が設立された。CIAの前身は、
第二次世界大戦で大活躍した米政府の実戦スパイ機構であった
OSS(Office of Strategic )。OSSのスパイたちは、日本軍を撹乱
させるため満州でも数々の爆破テロ作戦を実行した。



martin310.exblog.jpより『浮世風呂』さんの転載の転載


日本の政界、財界、マスコミ、学者、評論家、右翼・暴力団など
あらゆる分野に張り巡らされたCIAのスパイ・エージェントの数は
一体どのくらいになるのであろうか。
日本で活動する実行部隊(オペレーション担当)は工作員指揮官として、
まず3人の現地工作員の指揮に当たる。
そして、工作員はそれぞれ3人の配下(協力者)を抱え、3人の配下
もさらに3人の部下を抱える。つまり、1人の指揮官が3×3×3=27人
の工作要員を指揮して情報収集などに当たっている。CIAエージェントと
される中には、本人が意識せずにCIAに対して情報提供をする者も含まれる。

外交官や軍人に偽装するOCS(Official Covers)と民間人に偽装
するNOCS(Non Official Covers)とに分かれ、それぞれ活動
しているというが、最近はNOCSを増やしつつあると分析されている。
その理由は、2001年9月11日、米国で起きた同時多発テロが関係する。
 要するに、通常総勢、数百人もの工作要員が活動しているというので
ある。それが東日本大災害による福島原発の破壊に伴うデーター収集や、混乱に乗じたる各国のスパイの増員により、CIAも当然増員されているものと思われる。
ようするに、スパイ防止法すらない日本はまさにスパイ天国というわけ
である。)

    自民党は自分の党の庇護のためかスパイ防止法を制定

    しようとしたのですが、当時の野党、世論の反対にあい

    実現しませんでした。

    今では自衛隊法の中でもその他の法律の中でも、特別機密

    保護法の中でもそれに該当するような法律があります。

    しかし、法律と言うのは解釈の仕方によりいつでも体制の味方

    となってしまうのです。

    小沢一郎さんをはじめ多くの方がその洗礼にさらされました。

    元TPP大臣?の甘利は”白”です。

    ね!体制の味方法律です。


正力松太郎

「A級戦犯」としてGHQ(連合国軍総司令部)に逮捕された正力松太郎
は、特別の使命を帯びて、戦犯刑務所・巣鴨プリズンを出所したと
言われている。つまり、正力は、無罪放免と引き換えに、GHQ
(連合国軍総司令部)の工作員(スパイ)となり、新聞やテレビを通じて、
日本国民の中から湧き上がるであろう反米思想や反米活動を抑制し
弾圧すべく、情報工作活動を行なうという使命を帯びて、巣鴨プリズン
を出所していたのである。

ちなみに、公開された「米国公文書」によって、スパイ・正力松太郎
コードネームは、「ポダムpodam」、

そしてCIA・米軍の日本支配組織としての読売新聞、日本テレビ、
プロ野球・読売巨人軍のスパイ組織暗号名は「ポハイクpohike」
だったということも、確認されている。
読売新聞経営者。敗戦当時、日本にはテレビ局はNHKしか存在しなかった。

米軍は3S作戦実行のため、戦前からのCIAスパイである読売新聞の創立者、正力松太郎とその部下渡辺恒雄(現在の読売新聞・経営者)に「命令」し、CIA直営のテレビ局として日本テレビの創立を命令する。

CIAスパイエージェント正力松太郎は、CIAの資金で読売新聞を日本最大
の新聞に育て上げるが、戦争中読売新聞は、日本の中国侵略と日米戦争を大々的に「アオッタ」新聞である。

日本に中国侵略と日米戦争を行わせる事は、CIA新聞である読売新聞を
使った米国の戦略であった。

正力松太郎と渡辺恒雄がCIA工作員として、読売新聞、日本テレビ、
プロ野球・読売巨人軍を創立し、その経営資金がCIAから出ている
事実は、米国政府の心理戦争局の内部文書Records Relating to the
 Psychological Strategy Board Working Files 1951-53に明記されている


Wikipediaによれば

日本における原子力発電は、1954年3月、改進党の中曽根康弘・稲葉修
・齋藤憲三・川崎秀二らにより原子力研究開発予算が国会に提出された
ことがその起点とされている。この時の予算2億3500万円は、ウラン235
にちなんだものであった。

1955年12月19日に原子力基本法が成立し、原子力利用の大綱が定められた。
この時に定められた方針が「民主・自主・公開」の「原子力三原則」
であった。そして基本法成立を受けて1956年1月1日に原子力委員会
設置された。
初代の委員長は読売新聞社社主でもあった正力松太郎である。
正力は翌1957年4月29日に原子力平和利用懇談会を立ち上げ、さらに同年5月19日に発足した科学技術庁の初代長官となり、原子力の日本への導入に大きな影響力を発揮した。このことから、正力は日本の「原子力の父」とも呼ばれている。



『吉田茂』

 幼児に横浜の富裕な貿易商、吉田健三の養子となり、東京帝国大学
  政治科を卒業後、外務省に入省した。
 大久保利通の次男、牧野伸顕伯爵の長女、雪子と結婚。
 天津総領事、奉天総領事、イタリア大使、イギリス大使を歴任した。
 吉田茂は取り巻く人間を通して、ロスチャイルドの影響を受けていた。

 太平洋戦争の前夜に日本の対米英戦争を決定した1941年9月6日の
 「帝国国策遂行要領」に関する所謂「御前会議」の内容を細大漏らさず、
  敵米国の駐日大使に通報していた、日本最大の売国スパイ=
  暗号名「ヨハンセン」とは吉田茂

 元自民党総裁=麻生太郎の祖父。

 *現総理の縁戚。


『緒方竹虎』

 コードネーム「POCAPON(ポカポン)」
 朝日新聞社副社長・主筆、自由党総裁、自由民主党総裁代行委員、
  国務大臣、情報局総裁、内閣書記官長、内閣官房長官、副総理などを
  歴任。栄典は正三位勲一等旭日大綬章。三男の緒方四十郎は
  元日本銀行理事。

 緒方は12月にA級戦犯容疑者指名、1946年8月に公職追放、1947年9月
  戦犯容疑解除、1951年8月に追放解除となっている。
  A級戦犯容疑者指名がなければ、敗戦で社内の緒方派と反緒方派の
  対立が再燃して自らも調停に乗り出し、村山長挙社長が辞任していた
  朝日新聞社の社長に就任するはずであった。
 追放解除の翌年にあたる1952年10月、第25回衆議院議員総選挙で福
 岡1区(当時)から出馬し、中野正剛の地盤を引き継いだうえに地元財界
 の支持を得て当選する。

 第4次吉田内閣で当選1回ながら、国務大臣兼内閣官房長官、さらに
  副総理に任命され、翌1953年5月成立の第5次吉田内閣でも副総理に
  就任した。この政界での急速な階梯昇段の要因には、吉田茂の政治
  指南役だった古島一雄の紹介や、吉田が重光葵の後任として
  東久邇宮内閣外務大臣に就任したのが、近衛文麿と緒方の推薦に
  よるものだったことなどが挙げられる。

 なお、緒方は政界復帰前の1952年4月、吉田茂、村井順とともに、
  アメリカのCIA、イギリスのMI5、MI6などを参考にして、内閣総理
  大臣官房に「調査室」という小さな情報機関を設立した。
  これが現在の内閣情報調査室の源流である。


     緒方竹虎の子、四十郎の妻が貞子である。

    緒方貞子、国連・JICA等で活躍なさり、私もお会いした事のある

    立派な方だと思っていましたが、この方もヒョッとして・・・


 『岸伸介』

 系譜の政治家は、CIAのスパイである。
 政治的に岸は日本の歴代首相のだれよりも右寄りだった。
  岸は、APACL(アジア人民反共連盟)、MRA(道徳再武装運動)、
  統一教会など、右翼組織やCIAのフロント組織に深く関わっていた。
 首相をしりぞいた二年後の1962年9月には、東京で5日間にわたって
  開催されたAPACLの会合で基調演説を行なっている。 
 
 また、日本郷友連盟や祖国防衛同士会など、民主主義の粉砕と
  天皇の政権復帰を擁護する極右団体の顧問もつとめた。

 岸は首相在任中に、日本を訪れたMRAの代表達に次のように挨拶して
 いる。
 「諸君は全世界に対して道徳的バックボーンを与えるようにしておられる。
  私はMRAが6週間にわたって(1960年5月から6月までの期間)
 我が国に与えた圧倒的な影響力に対して感謝の気持ちを表明したい」
  時あたかも、岸打倒を叫ぶ運動がピークに達しており、MRA代表団の
  訪日のタイミングのよさには目を見張るものがあった。

 岸は日本でもっとも反動的な首相だった。1957年から60年までの短い
  首相在任中に、岸内閣は史上まれに見る反進歩的な法案を提出した。
  一つは1958年、警察官の権限を拡大強化する警職法(警察官職務執行
 法) 改正案であり、もう一つは1948年に廃止された紀元節の復活であっ
 た。
  統一教会といえば、CIAの命によりKCIA(韓国中央情報局)
 が組織し、操る宗教団体であることが後に明らかになった。
  岸と教会との密接な関係を示す一例として1974年5月、東京の帝国
 ホテルで開かれた『希望の日』実行委員会主宰の大晩餐会がある。
 『希望の日』とは、教会の世界的宣伝キャンペーンの一環の集会名だが、
  同実行委員長が岸信介だった。(『週刊新潮』1974年5月23日号より)>

 *現総理の母方の祖父



『辰巳栄一』

 コードネーム「POLESTAR-5」
 元陸軍中将
 戦後の連合軍占領中は旧軍の反共主義工作機関「河辺機関」を率い
 た。
  警察予備隊の幹部人選に駐英武官当時からの上司であった吉田茂の
  腹心として関与。
 内閣調査室や後の自衛隊の設置に関わる資料をアメリカ政府に流して
  いた事が2009年10月、有馬哲夫・早稲田大学教授のアメリカ国立公文書
  記録管理局における機密解除資料調査で確認された。



『東久邇稔彦』

 旧皇族、陸軍軍人、陸軍大将。位階は従二位。勲等は大勲位。
  功級は功一級。皇籍離脱後は東久邇 稔彦(ひがしくに なるひこ)
 を名乗った。
 第二次世界大戦後、敗戦処理内閣として憲政史上最初で最後の皇族内
 閣を組閣した。連合国に対する降伏文書の調印、陸海軍の解体、
 復員の処理を行い、一億総懺悔を唱え国内の混乱を収めようとしたが、
 歴代内閣在任最短期間の54日で総辞職した。


『辻政信』

 元陸軍大佐。政治家。衆議院議員(4期)、参議院議員(1期)。
 旧軍人グループとの繋がりで反共陣営に参画。著書を次々出版し
 ベストセラー作家としての知名度を確立した。
 旧軍の参謀だったという要素がプラスに働き、追放解除後の1952年
 に旧石川1区から衆議院議員に初当選。

 自由党を経て自由民主党・鳩山一郎派、石橋派に所属。石橋内閣時代
 に外遊をし、エジプトのガマール・アブドゥン=ナーセル、ユーゴス
 ラビアのヨシップ・ブロズ・チトー、中国の周恩来、インドの
 ジャワハルラール・ネルーと会談している。

 衆議院議員4期目の途中だった1959年に岸信介攻撃で自民党を除名
 されて衆議院を辞職し、参議院議員(全国区)に鞍替えして第3位
 で当選した。
 2005年(平成17年)に公開された、米中央情報局(CIA)極秘文書には
 『辻政信ファイル』が存在する。しかし、経験不足で諜報活動は失敗に
 終わった」としているほか、日本の再軍備をもくろんでいたとして
 アメリカ側が警戒していたことが記されている。


『五島慶太』

 1944年(昭和19年)、東條英機内閣の運輸通信大臣に就任し、
 名古屋駅の交通緩和や船員の待遇改善などに貢献する。
 終戦後の1947年(昭和22年)、東條内閣の閣僚だったという事で
 連合国軍最高司令官総司令部(GHQ)によって公職追放者指定を受け
 た。
 公職追放後も影のご意見番として事実上企業活動に参加。
 大東急分割騒動の際も、むしろ自ら企業分割を推奨し大東急再編成の
 推進役を果たした。東急電鉄創業者。


『服部卓四郎』

 戦時中からアメリカのスパイであることが疑われる。
 元陸軍大佐。
 1942年(昭和17年)8月に始まったガダルカナル島の戦いにおいては、
 現地を視察した際、「補給路が確立されつつあり、この点について
 問題なし」と実情とかけ離れた報告をした。結果、陸軍は3万人以上
 の部隊を投入したが、撤退できたのは僅かに1万人足らずだった。
 終戦後は、チャールズ・ウィロビーの元で日本の再軍備にかかわる。

 当初は、創設される警察予備隊の幕僚長に任じられる予定であったが、 
 公職追放された人物を入隊させることはできないと民政局及び吉田茂
 首相(吉田に進言したのは辰巳栄一元中将を中心としたグループ)が
 反対したため、服部の幕僚長就任は実現しなかった。

 1952年(昭和27年)10月31日付のCIA文書によると、服部らは、
 自由党の吉田茂首相が公職から追放された者や国粋主義者らに
 敵対的な姿勢を取っているとして、 同首相を暗殺し、民主党の
 鳩山一郎を首相に据える計画を立てた。

 辻政信が「今はクーデターを起こす時ではない」と服部らを説得し、
 服部らはクーデターは思いとどまったものの、政府高官の暗殺を
 検討したという。


『賀屋興宣』

 コードネーム「POSONNET-1」
 広島県広島市出身の大蔵官僚~政治家。
 大蔵(現財務省)官僚は、アメリカCIAのスパイである。
 戦後A級戦犯として極東国際軍事裁判で終身刑となり、約10年間巣鴨
 プリズンに服役。
 1955年(昭和30年)9月17日に鈴木貞一、橋本欣五郎らと共に仮釈放。
 1958年(昭和33年)赦免。同年第28回衆議院議員総選挙に旧東京3区
 から立候補し当選(以後5回連続当選)。
 岸信介首相の経済顧問や外交調査会長として安保改定に取り組んだ
 ほか、池田内閣の法務大臣、自民党政調会長などを歴任し、自由民主 
 党右派・タカ派の政治家として有名だった。
 1972年(昭和47年)、政界引退。「自由日本を守る会」を組織、
 中華民国擁護など独自の政治活動を続けた。

 アメリカ共和党、中央情報局(CIA)や中華民国の蒋介石政権と
 強固な人脈を持ち、日本遺族会初代会長となる等、国際反共勢力、
 自民党、右翼のトライアングルを結ぶフィクサーとして国内外の
 右翼人脈を築いた。2007年(平成19年)に開示されたアメリカ
 国立公文書記録管理局所蔵の文書に、CIAの協力者
 (日本反共化のためのスパイ)だったことが記されている。


『久原房之助』

 明らかにスパイ。
 衆議院議員当選5回(16、17、18、19、25回総選挙)。
 逓信大臣、内閣参議、大政翼賛会総務、立憲政友会(久原派)総裁を
 歴任。
 日立製作所創立の基盤となった久原鉱業所(日立銅山)や久原財閥の
 総帥として「鉱山王」の異名を取った。

 義兄の鮎川義介と共に「政界の黒幕・フィクサー」と呼ばれ、右翼に
 資金を提供して二・二六事件に深く関与した。
 戦後はA級戦犯容疑者となり、公職追放となった。
 明治の政商として活躍、藤田組を創業した藤田伝三郎は父・庄三郎の
 実弟にあたる。なお、庄三郎は伝三郎が「藤田伝三郎商会」
 (後の藤田組、現在のDOWAホールディングス)設立の際には共同経営
 者として名前を連ねている。

 2回結婚しており(最初の妻が鮎川義介の妹・キヨ)、妾腹の子を
 含めると3男10女計13人の子に恵まれた。
 長女は元衆議院議長・石井光次郎に、三女は大隈重信の孫・信幸に、
 四女は元東京急行電鉄社長・五島昇に、八女は元スタンレー電気社長・
 北野隆興に嫁ぎ、九女と十女は米国人と結婚している。

 孫にシャンソン歌手の石井好子と元東急建設社長の五島哲、
 スタンレー電気社長の北野隆典がおり、曾孫に詩人・フランス文学者の
 朝吹亮二が、玄孫に小説家で第144回芥川龍之介賞を受賞した朝吹真
 理子がいる。


***

アメリカでCIAにスカウトされた日本人の話
ーー
 CIAについては、個入的な話がある。時効になったと思うので、話す。
 「CIAに入れ」と誘われた。
 シアトル、一九七六年六月、博士号取得から一〇日目。私は三十四歳
 だった。
 私のアパートの電話が鳴った。相手は、CIA・サンフランシスコである。
 私と会いたいと言う。昼食を一緒にしようと誘われた。
 私も会って話を聞きたかった。私の名前と電話番号と学位取得を
 知っていたCIAは、ワシントン大学の教授に、将来CIAのスパイとして
 有望な留学生を探させていたのだろう。

 一九四七年に設立されたCentral Intelligence Agency(CIA)は、
 米国の国益・国防のため世界中から情報を収集・分析し、大統領に
 報告をする世界一大きなスパイ機関である。
 三〇年ほど前には暗殺団も存在し、敵を抹殺していた。
 暗殺禁止令がホワイト・ハウスから出されるくらいだったので.
 本当の話であろう。二〇〇一年九月十一日から開始されたテロリスト
 撲減のために、新しい暗殺軍団が設立された。

 CIAの前身は、第二次世界大戦で大活躍した米政府の実戦スパイ機構
  であったOSS(Office of Strategic )。OSSのスパイたちは、
 日本軍を撹乱させるため満州でも数々の爆破テロ作戦を実行した。
 私がCIAの面会要請に応じたのは、国家にとってスパイ機関は
 必要不可欠であり、CIAはアメリカが最強国であるために重要な役割
 を果たしていると信じていたので、CIAに強い興味を持っていた
 からだ。また、マッカーサーの「日本占領」について博士論文を
 書くため、公開が始まったぼかりの米国極秘文書を国立公文書館の
 暗い地下室で読んでいた。

 「大統領の目だけに」と注の付いたOSSの最高極秘の報告書も数多く
 読んでいた。例えぽ、OSSは「東條英機の自宅に石を投げている人たち
 がおります」と、戦争が終わりに近づいていたことを予告していた。
 OSSの工作員たちが東京からさえも、戦時日本について明細な
 (今の言葉で「リアル・タイム」で)情報を大統領に伝えていたことは、
 戦後の平和学校で洗脳され、日本は「東洋のスイスならん」と夢見て
 いた私にとって、衝撃であった。もちろん、日本帝国の極秘は
 アメリカに筒抜け。

 平成日本には、CIAのようなスパイ機関もないし、「スパイ罪」もない。
 憲法第九条の御法度で「軍隊」が存在しないので、日本で「国家安全
 の極秘」を盗んで巷アメリカのように極刑もない。日本では、ただの
 窃盗罪。日本は国際スパイたちの天国だ。

 日本版CIAが必要なのだが、日本国民が米国追従を「平和的」と錯覚し、
 スパイ情報機関なぞ必要ないと思っている。
 日本は無知のまま、強欲な諸外国に手玉に取られ、カネと威信をむしり
 取られ世界中で笑いものにされているのだ。

 日本もCIAに負けない人材を養成すべきである。
 日本は経済・技術大国であり、守らなければならたいモノが沢山ある。
 北朝鮮のスパイに日本人を拉致されたら、その人たちを速やかに奪回
  できるだけの組織を日本国は持っていなければならない。

 米国民が拉致されたら、巨大な航空母艦に護られた勇敢な海兵隊が
 出動し入質奪回を行う。
 ちなみに、CIAの年間予算は、公開された額が七兆円。隠し予算が、
 この額の二倍あると思うのが常識だ。

 CIAの話し上手なパームさん(仮名)との昼食は、三時間以上続いた。
 彼の出身校は「プリンストン大学だ」と教えてくれた。
 長い会話のなかで、強く印象に残っている事柄がある。

 彼が、「東京は安全で、ライフルの弾も飛んでこないし、とても楽しい
 街だ。私の仕事は人と会って、話を聞いて、情報を集めることなんだ。
 仏教によれぽ、人間は一〇八の煩悩を持っているというが、ボクの勘定
 では、もっとあると思う」と言った。

 「人の欲望や煩悩ををくすぐれば、バームさんの言うとおりに動く
 のですね」
 「ボクの経験では、ほとんどの人は原始的な欲望一・二・三で堕ちる。

 第一は、お金

 第二は、女、セックス、愛人、情婦、男色

 第三は、名声、名誉、勲章、プレステージ

 これらを組み合わせると、皆さん喜んで私たちに協力をする」
 「日本に、CIAの協力者は大勢おりますか」
 「かなりいる。東京は世界中からスパイが集まるところだ。
 事実、日本はスパイだらけ。居心地もいいし、日本の警察も公安庁も
 私たちを監視していないので、のびのびと動けるんだ。エジプトの
 カイロでいがみ合ってたソ連のスパイに、六本木でバッタリ出会い、
 二人で大笑いしたよ」

 「大使館や領事館に、盗みに入られるのですか」
 「本当に貴重な情報は、中に居る人が『これは重要機密です』
 と持ち出してきたモノだ」
 「東京に在る諸外国の大使館の職員に極秘を盗ませるのには、
 人の好みや弱みを掴み、永い月日を費やさねばならないのでしょう」
 「一〇年、二〇年、三〇年かけて、内部に『モグラ』を育てるのだ。
 アメリカも、ソ連のために動き回っていた『モグラ』にFBIやCIAの
 国家機密が長期にわたり盗まれた。アメリカの友達イスラエルでさえ、
 アメリカの極秘を盗んだんだ。スパイ活動をしない国が賢くない、
 と思うよ」

 「日本では、どんな人がモグラですか」
 「それは言えない」
 「私が今『CIAに入ります』と言うと、教えてくれるのでしょう」
 「ウーン、教える」
 「企業の大物や国会議員や著名なジャーナリストもアメリカのモグラ
 ですか」
 「ウーン、居ないこともない」
 「国会議員で、何人いるのですか」
 「ウーン、not less than ten(一〇人以上だ)」

  私の表情が険しくなったのか、パームさんが「驚くほどの数ではない。
 よその国の議会なぞ半数の議員が私たちの協力者だ」と私を慰める。
 「自民党、社会党、共産党の議員も、モグラになっているのですか」
 「私たちはモグラのイデオロギーに興味がない。お金に、国境や
 イデオロギーの壁はない。カネのためならなんでもする人が多いよ」

 「産業スパイも養成されているのですか」と私が話題を替えた。
 「アメリカと日本が技術で世界独占を競っている時、産業スパイは
 国家の戦略として当然の政策だ」
 「日本の産業スパイは、アメリカでたびたびお縄をちょうだいして
 いますが、アメリカの産業スパイは日本で捕まりません」

 パームさんが綺麗に並んだ白い歯を見せ、声を出さず大きく笑った。
 「アメリカの産業スパイが日本で捕まらないのは、内部の日本人が
 機密を盗んで持ち出しているからだ。日本人がアメリカで逮捕される
 のは、素人の自分たちで盗むからだ。日本人は基礎ができていない」
 理想論、倫理観、希望的観測に縛られていない者が自国の国益のため
 には手段を選ばないという現実を見せつけられ、私は反論をすることも
 ままならず圧倒された。本能と理性が戦った時、本能が勝つ。

 「ところで、ドクター西は何に弱い」
 「私は、長い間、奨学金で貧しい学生生活をしていましたので、
 お金が欲しい」
 パームさんは胸の内ポケットから一枚のリストを取り出し、テーブル
 に広げ「連邦政府の給料表だ。ドグター西は博士号を持っていて、
 三十四歳なのでこのあたりだ」と真剣な顔を作って私の年俸額を
 指さした。パームさんのハンサムな顔に一瞬私の弱みを捕らえたか
 のような喜びが走ったが、「カネが欲しい」と言ったのは本当かと
 私の顔を見つめている。

 「ドクター西、女は好きか」
 「大好きです」
 「東京の一等地に、すばらしいオフィスを構え、美しい秘書を二人
 ほど座らせて、羽振りのいいビジネスマンになってはどうか。
 もちろん、運転手兼ボディーガード付きだ。
 ドクター西、何になりたい」「大学教授になりたいと思っていますが」
 「なぜそれを早く言わないのだ。すぐなれる。電話一本だ。
 日本人は教育が好きで、教授は社会的な地位が高いから、その方が
 ドクター西も動きやすいかもしれたいな」

 「大学教授にもモグラがいるのですか」
 パームさんは当たり前だろうという顔で答えない。
 CIAが「原始的な三大欲望」と呼んでいる「カネ」「女」「地位」
 がパームさんの口からすらすらと出てきた。

 私は侮辱されたと腹が立っているどころか、彼のなめらかさに感心し、
 私もこれらの欲望で自分の歩みを決めてきたのかと自問をしながら聞
 き入っていた。

 「ドクター西は、カネ、女、名誉のエサでは動かないのでは……」
 「全部大好きです。他に何かありますか」
 「ある」パームさんは笑みを浮かべ、私を睨んでいる。

 「西のような男には『CIAで人生最高の冒険ができる』と言う。
 西は自分の才能、能力、野心を試すことのできる冒険の場を絶えず
 求めており、その冒険のためならカネも女も地位も捨てる男。

 西が今までで一番興奮し、生き甲斐を見つけたと思っていたのは、
 己を賭けた冒険をしていたときだ。
 学問の世界に入ったのも、無限の冒険を求めていたからだ」
 「冒険adventure」を連発され、私は魔術に掛かったかのように
 コクリコクリと相槌を打っていた。
 パームさんは「西の説得は終わった」という笑顔をしていた。
 互いを見つめ、これ以上説得の必要がないと解った。
 私は新しい世界が目の前に広がってゆくのを感じ、CIAのスパイ
 としてアジア・太平洋の舞台で大冒険をするぞ、と決心し始めた。
 パームさんがブリーフ.ケースから、三センチほどの厚さである書類
 のようなモノを取り出し、「これは願書。提出して欲しい」
 .
 パラパラと捲ってみた。私の性格、好き嫌い、西一族の歴史、
 私の政治及び倫理観念について解剖をされているような徹底した
 調査である。
 「ドクター西は日本国籍を捨てて、米国籍を取って欲しい。
 手続きは私たちがする。CIAの中に入る人は、米国籍でなければ
 ならないのだ」
 「国籍なぞ替えると、母が泣きますよ」と逃げたら、パームさんは
 「母親には黙っていればいいではないか」
 と言った。この一言で、私は口説きの催眠術から目が覚めた。
 母親に隠さねばならない職につくのか。
 「スパイ」という職業に対して、私はなんと甘い考えをしていたのか。
 私が米国市民になるためには、星条旗と米国憲法と国家安全の維持に
 「忠誠」を誓わねぽならない。
 この忠誠は抽象的な儀式ではない。「日本」か「アメリカ」のどちらか
 を選べの瀬戸際に追いつめられた者でなければ分からない苦渋の
 ジレンマである。

 日本で生活をしていて、「日本に忠誠を誓う」とか「日本のために」
 とかの選択はしなくてもよい。戦後日本ではそのような切羽詰まった
 機会もない。平成日本で「忠誠・愛国心」という発想さえもない。
 そんな言葉は死語に近く、口に出す人も居ない。口に出せば、
 「悪い右翼」または「戦争を始める」とのレッテルを貼られ、
 日本社会で村八分の憂き目を見る。

 在米の友人たち(日本人)は、退職後もここアメリカに永住したいと
 希望し、国籍を「米国」に替えた。彼らはビジネスマンや大学教授で
 ある。私の場合は目的が違う。日本を敵に回す可能性があるスパイ活動
 のために国籍を替えるという極限の選択である。

 パームさんの一言で、私は「自分は日本人」を白覚させられた。
 日本で日本人の父と母の間に生まれ、日本語で育ち、日本文化の
 恩恵を受け成長した私は、日本人を辞めて「アメリカ人」になると
 いう発想もできなかった。誕生した時から、私の精神文化はすでに
 芯まで「日本」で染まっており、またそれを誇りとして私は偉大な
 異国アメリカで勉強かつ生活をしていた。三十四歳になって、
 大冒険をさせてくれるかもしれないCIAが「アメリカ人になれ」と
 言っても、母国を捨てられなかった。
 「日本の国籍」を捨てることは、自分の存在を否定し、自分の思い出
 までも拒絶し抹殺することだと思った。
 日本人としての誇りを白分の中核として生きてきた私は、「日本」
 をなくして何になるのだろう。日本人としての誇りを捨てた後、
 根無し草のように放浪をするのだろうか。
 私が日本を捨て得るのなら、「アメリカ」をも簡単に裏切れる。
 信念もなく、信じ切れるモノを持たない男は「カネ.女.地位」が欲しい
 がために国を売り、人を売る。
 CIAはそんな男を雇うべきではない。パームさんにそう話した。
 彼は優しい目にうっすらと涙を浮かべ、「CIAはお前のような男が
 一番欲しいのだ」とつぶやいた。

 「日本はスパイだらけ」と言ったパームさんの言葉が永く脳裏に
 残っていた。戦後六〇年間、憲法第九条と国連神社の日陰で「平和」
 のためにお祈りをしながら、在日米将兵四万人に毎年五〇〇〇億円を
 支払っている。現実から遊離した平和願望を大切な国策としてきた
 日本国民は、強欲の牙をむき出しにしている国々がすぐ近くに存在する
 ことさえも認識していないような生活をしている。
 全霊で信じていた「永久平和」の神話が崩れてゆくのを知りつつも、
 それを目撃しなけばならない激痛に耐え切れず、懸命に無関心を装
 っているのだろうか。現実からの逃避で、日本はどこへ逃げて
 ゆくのだろう。
 ーー(日米魂力戦 西 鋭夫)



    実は私も30代の時、在籍していた企業で後から入社してきた

    者に声を掛けられた事があるのです。

    真実かどうかはわかりませんが、その頃の私は独り身でした。

    私とあと一名のやはり独り身の方が選択されたらしいのです。

    その方によると、この企業に入社したのはある目的のためですと

    いうのです。どうやら話の内容はその方は西側系の外国の人材

    スカウトの為にその企業に入社したようなのです。

    どうもハッキリとは言わなかったのですが、諜報員(スパイ)

    の仕事らしいのです。(どこの諜報員かは、不明)

    取り合えず真面目で仕事の出来る人間を探していたようです。

    私がそれに該当するかどうかは別として、独り身で身軽だった

    事は確かです。興味があればもう少し詳しく話すと言うので

    多少の興味があったので、話を聞きたいむね告げると、では

    日本の代表者に会ってからにして欲しいと言うのです。

    ところが、その代表者は病気で入院していると言うので

    後日その病院まで面会に行きました。

    なんと代表者たる方は60代のおば様だったのです。

    私をスカウトしようとした人物と久しぶりに会うらしく

    『君,今何という名前を使っているの?久しぶりね。』

    ウン?

    名前が幾つもあるのかこの人は・・・

    そのおば様の話によると、仕事は日本と外国になります。

    まず現在の名前は削除して新しい名前にして下さい。

    国籍もアメリカにして下さい。

    それらの手続きはすべてこちらでします。

    その前に半年ほど四国の研修センターで基本の研修を受けて

    ください。英語教育は基礎ですが様々な研修があります。

    アッ、その前に報酬の話は聞いた?

    ○○さん、○○さんだったわよね!
    
    すでに報酬の話は聞いていたのですが、年棒○千万円という

    そうビックリするような額でもありませんでした。

    そんな事が合って考える時間を欲しいと言って1~2ヶ月後

    ○○さんに合って丁寧にお断りの話をする時、もう一方の方

    どうされたのですか?と聞いたところ「彼は引き受けて今

    四国の研修センターに行っているはずです。」との答えでした。

    本文の西さんとは大分話が違いますが、似たような話があった

    ものだと思い出されます。

    この話が本当だとして、もっと詳しく聞くことが出来る段階

    まで進めて四国の研修センターへ行っていたら、今頃フィリピン

    いる事はなかったでしょうね。

    でも私の心情として日本を売る事は間違っても出来ません。


本当にどこまで日本は追い込まれなければ気つかないのか。

いや、追い込まれているというとも思っていないのかな。

ー以上


    途中に私の話も入れさせていただきましたが、お分かりになり

    ましたでしょうか?

    大東亜戦争で負けてA級戦犯の方は命が無いかも知れなかった

    のです。

    はしこい人間のA級戦犯の中から日本の中枢を担う者を

    アメリカのスパイとなる条件で釈放し、それなりの地位に付けさせ

    ます。

    『金』・『名誉』・たぶん『女』もあてがったのでしょう。

    そういう奴らが戦後の日本の中枢となって現在に至るのです。

    スパイが総理をやっているのですから、日本国のことなど考える

    筈がありません!

    基本がアメリカなのです。

    ここフィリピンでOFWが真面目に仕送りを家族にしているのと

    同じです。金が出来ればアメリカに献上です。

    全てがアメリカに有利なように仕組むのが当然なことです。

    かくして、現在の日本の現状の通りになっています。

    長くなりましたが、ここに書いてある事は常識ある知識人なら

    皆知っている事です。

    戦後の日本は絵空事です。

    大東亜戦争に敗れて独立国日本は無くなってしまったのです。

    残念で残念でなりません。


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