
MAG2 NEWS
「日本とベルギーの絆」
(2016年3月29日)
今年で友好150周年を迎える日本とベルギー。
先日、首都ブリュッセルで起きた連続テロ事件で悲しみに
包まれるベルギーの人たちに、私たちが力になれることは
ないのでしょうか? 無料メルマガ『Japan on the Globe
-国際派日本人養成講座』では、日本とベルギーが古くは
大正時代から、お互いの苦難を何度も支え合って乗り越えた
「絆」の歴史を紹介しています。
日本・ベルギー交流史
東京墨田区にある東京都復興記念館には、有島生馬が描いた
1枚の絵が掲げられている。どす黒い煙が上がる暗い色調の
中で傷ついた人々がうごめき、地面には多くの死体が横たわり、
キャンバスの右脇には1台の車が停車。その側に双眼鏡を手に
した山本権兵衛首相が描かれている。
この絵は言うまでもなく関東大震災を描いたものだが、山本首相
の傍らに白い夏服を着た外国紳士と赤い服の小さな女の子が立っ
ている。いったいこの2人は何者であろうか。有島生馬は誰を描
いたのだろう。じつはこの疑問を解明していくとき、近代日本の
知られざる横顔が見えてくる。
周知の通り、大正12年9月1日、関東一帯を襲ったマグニチュード
7.9の巨大な地震は未曾有の被害をもたらした。とくに東京・横浜
の被害は目を覆うばかりで、全壊したり焼失した家屋は約50万戸、
死者・行方不明者は10万人を超え、その他の被災者は約240万人以上
にものぼったという。この大震災の二ュースは世界各国に報道され、
諸外国から援助の手が差し伸べられることになるが、群を抜く支援
活動を見せたのがべルギーだった。
9月3日に報せを受けたべルギー本国では、5日には「日本人救済
べルギー国内委員会」が結成されて活動を開始。上智大学教授の
磯見辰典氏によれば、「音楽会、講演会、バザー、さらに『日本の日』
が各地で催された。…新聞はもとより、カトリック教会もこのキャン
ぺーンに積極的に参加した。この活動の結果、約264万2,000フラン
を集めて日本に贈ったが、これはアメリカ、イギリスに次ぐ多額の
援助金となった」(「文藝春秋」1997年4月)という。
このときべルギー国内で配布された「元兵士へ」(1923年)と題する
日本への支援を訴えた文書を見ると、9年前の第1次世界大戦の際、
ドイツ軍の侵略と戦うべルギー軍兵士に対して数々の援助を尽くして
くれた日本人への賛辞が述べられ、べルギーの元兵士はこのときの
恩義を今こそ日本に返そうではないかという趣旨が書かれているの
である。
これがべルギーが関東大震災に見舞われた日本に惜しみなく最大級
の援助を施した歴史的背景にほかならない。ではわが国は第1次世界
大戦中のべルギーにどのような支援をしていたのだろうか。
苦難のべルギーを支援した大正日本
周知のように第1次世界大戦に際してロシアおよびフランス
と戦うことになったドイツは、フランスを一気に叩くために
べルギー領内を通過して攻め入ろうとした。当然、永世中立
を標榜するべルギーはドイツ軍の無法に対して立ち上がったが、
圧倒的優位を誇るドイツ軍の前に国内は蹂躙されていった。
それでも、当時の国王アルべール1世は、フランス国境の
フェルヌに近い寒村に踏み止まって抵抗を続けた。
こうした連日の報道に接した日本人は、勇敢に戦い続ける
べルギー国民を激励するために支援活動に立ち上がる。
朝日新聞社長村山龍平は「中立を蹂躙せられ国歩艱難を極め
つも親しく陣中に在はして将卒と共に惨苦を嘗め給へる
白耳義皇帝アルバート陛下の勇武を欣仰」(大正3年11月7日
付大阪朝日新聞)して、愛蔵の日本刀一振りを口ンドン駐在の
特派員杉村楚人冠を通じて献上している。
かくして日本国内の新聞各紙をはじめ雑誌その他の刊行物を
通じて、苦衷に立つべルギーへの支援活動が日本国内で熱烈
に展開されていく。わが国の近代史に際立つ光彩を放っている
史実である。
前述したごとくべルギーが関東大震災に見舞われた日本に
あらん限りの援助を尽くした背景には、あらまし以上のような
史実があったからなのである。
そのことを有島生馬は熟知していたに違いない。
だからこそ、当時両国の間に立って奔走した日本駐在べルギー
大使バッソンピエール男爵とその姪を、日本支援の象徴として
キャンバスに描いたのである。
”虐殺事件の嘘を暴いたべルギー公使”
そもそもべルギーと日本との本格的な交流は、1866年の日本国
白耳義国修好通商及び航海条約の調印に始まるが、とりわけ明治
26年から43年のあいだ日本公使を務めたアルべール・ダネタンが、
敢然として明治日本の名誉を守った史実も特筆にあたいするもの
である。
例えば日清戦争での日本軍による旅順港占領の際に、無事の住民
に対する虐殺が行われたとする記事が諸外国の新聞に報道された
ことがある。ダネタンは事の真偽を確かめるべく調査に乗り出し、
結局米国記者によって捏造された「虐殺事件」がまぼろしだった
ことを突き止め、べルギー本国政府に対して注意を促す次のような
報告書を提出している。
旅順港において日本軍によって行われたと伝えられる
残虐行為は、新聞報道者、特に二ューヨーク・ワールド
紙の記者によって多分に誇張されたものであった。
私はそこに居合わせたフランス武官ラブリ子爵に会ったが、
彼は私にこう断言した。殺された者は軍服を脱いだ兵士たち
であり、婦女子が殺されたというのは真実ではないと。
旅順港占領の数日前にほとんどの住民は避難しており、
町には兵士と工廠の職工たちだけであった。
(磯見辰典・黒沢文責・桜井良樹著『日本・べルギー関係史』)
こうした史実はほんの一例にすぎないが、いずれにせよ、日本に
対する偏向や捏造の記事を次々に修正し、公平な情報を送信して
列国の誤った対日観を是正したべルギー公使アルべ-ル・ダネタン
を知己とした明治日本の幸福を思わざるを得ない。
ダネタンは特命全権公使のまま日本の地で死去、雑司ケ谷墓地
にこの日本の名誉を守った恩人の墓が立っている。
(文責:伊勢雅臣)
今の日本は只金をばら撒けば、全てが旨くいくと思っている節が
あります。
本文中にもあるように、中国で日本軍により行われたことは
殆どが捏造・誇大吹聴です。
このベルギーの方のように、”南京”問題も「それは違う」と
声を大にして言ってくれる外国高官は、今ではいません。
世界のATMだとバカにされているのがわからないのでしょうか?
人の心は世界中同じです。
真心を持って出来るだけの事を一生懸命する。
それが『義』の心でもあります。
日本人魂を復活させたい物ですね。

今日の 後ろ姿

いつも 笑顔で いましょうね。
