
桂米朝さん死去 上方落語界の重鎮 89歳
神戸新聞NEXT 3月19日(木)23時1分配信
神戸新聞NEXT 3月19日(木)23時1分配信
上方落語界の重鎮で人間国宝の桂米朝(かつら・
べいちょう=本名・中川清)さんが19日午後
7時41分、肺炎のため、死去した。89歳。
旧満州(現中国東北部)生まれ。自宅は尼崎市
武庫之荘5の9の14。通夜は24日午後6時
から、合同葬は25日午前11時から、いずれ
も吹田市桃山台5の3の10、公益社千里会館で。
べいちょう=本名・中川清)さんが19日午後
7時41分、肺炎のため、死去した。89歳。
旧満州(現中国東北部)生まれ。自宅は尼崎市
武庫之荘5の9の14。通夜は24日午後6時
から、合同葬は25日午前11時から、いずれ
も吹田市桃山台5の3の10、公益社千里会館で。
米朝さんは1925(大正14)年、旧満州で
生まれ、父親の実家がある姫路市で育った。
旧制姫路中学(現姫路西高校)卒業後、大東文
化学院(現大東文化大学)に入学、在学中から
寄席や演芸の研究に取り組んだ。復員後の47
(昭和22)年、4代目桂米団治に入門し、3
代目米朝を襲名した。
生まれ、父親の実家がある姫路市で育った。
旧制姫路中学(現姫路西高校)卒業後、大東文
化学院(現大東文化大学)に入学、在学中から
寄席や演芸の研究に取り組んだ。復員後の47
(昭和22)年、4代目桂米団治に入門し、3
代目米朝を襲名した。
入門後間もなく「高津の富」で初高座。精力的
に寄席や落語会を開き、戦後、消滅寸前だった
上方落語の復興に中心的な役割を果たした。故
笑福亭松鶴(6代目)、故桂文枝(5代目)、
桂春団治(3代目)とともに「上方落語の四天王」
と称された。
に寄席や落語会を開き、戦後、消滅寸前だった
上方落語の復興に中心的な役割を果たした。故
笑福亭松鶴(6代目)、故桂文枝(5代目)、
桂春団治(3代目)とともに「上方落語の四天王」
と称された。
ラジオやテレビ番組の司会を務めるなど、多方面
で活躍。落語ファンの開拓に努めた。後進育成に
も尽力し、故・桂枝雀さん、桂ざこばさんら弟子
は22人、孫、ひ孫弟子まで含めると一門は60
人以上に上る。
で活躍。落語ファンの開拓に努めた。後進育成に
も尽力し、故・桂枝雀さん、桂ざこばさんら弟子
は22人、孫、ひ孫弟子まで含めると一門は60
人以上に上る。
古典の発掘にも取り組み、「百年目」「地獄八景
亡者戯」など、埋もれていた数十のネタを再び世
に出した。また米朝落語全集の出版や、ビデオ全集
を出すなど、落語の文字化、映像化の先駆者として
も知られる。著書に「上方落語ノート」「落語と私」
など。
亡者戯」など、埋もれていた数十のネタを再び世
に出した。また米朝落語全集の出版や、ビデオ全集
を出すなど、落語の文字化、映像化の先駆者として
も知られる。著書に「上方落語ノート」「落語と私」
など。
96年4月、胆管結石で入院したが、復帰後、柳家小
さん氏に次いで、落語界では2人目となる重要無形文
化財保持者(人間国宝)の認定を受けた。このほか芸
術祭優秀賞(69、70年)、神戸新聞平和賞(92年)
などを受賞。87年に紫綬褒章、2002年に文化功労者。
さん氏に次いで、落語界では2人目となる重要無形文
化財保持者(人間国宝)の認定を受けた。このほか芸
術祭優秀賞(69、70年)、神戸新聞平和賞(92年)
などを受賞。87年に紫綬褒章、2002年に文化功労者。
関西落語と言うのは以前にも書きましたが、普段は
殆ど聞かないのですが、亡くなった米朝さんと桂枝雀
は好きですね。
この方は海外公演などもしておりますが、仕草を含めて
腹から笑える落語だと思います。
ついでに貼りつけておきます。
お暇なときでもどうぞ!
余計なことですが、私の最初の妻の結婚式の仲人さんも
人間国宝の方でした。
結婚の記念に”和以貴為”の直筆の色紙を頂戴した事を
懐かしく想います。
以前調べた事がありますが
聖徳太子が制定した十七条憲法の第一条に出てくる言葉。
『礼記』には「礼は之和を以て貴しと為す」とある。
「和」の精神とは、体裁だけ取り繕ったものではなく、自分
にも人にも正直に、不満があればお互いにそれをぶつけ合い、
理解し合うということが本質ではなかろうか。と言うことの
ようで、
使い方の例として
”「あなたの言い分もわかるが、相手の言い分にも聞き耳を
立ててみてはどうか。お互いに認め合う気持ちを持ち、正
しいところは正しい、間違いは間違いだと素直に認められ
るような議論をするべきだ。和を以て貴しとなすだよ」”
俺は仕事人間だ!
と仕事に全力を注いでいた為でしょうか
若気の至りで話し合いが少なくて、離婚となってしまいました。
わたくし事はさておいて、つくづく”人の一生は短い”と思う
昨今です。
合掌!
