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     この国に来て、めっきりしなくなったことと言えば本を読むと言
 
    うことでしょう。
 
    もちろん日本にいるときも後半は本を読む機会も大分減っては
 
    いましたが、本屋があると立ち止まって気になる本のページを
 
    パラパラと捲って見ることはありました。
 
    こう見えても実は私、幼きころは文学青年だったのです。
 
    中学・高校のころは時間があると父親の本棚から本を引っ張り出
 
    して、片っ端から読みふけりました。
 
    中でも親父が買ってくる文芸春秋には興味を持ちました。
 
    そこで様々な作家の作品に触れたことと思います。
 
    名前は覚えていませんが、当時の新進作家が多かったように
 
    思います。
 
    本棚には沢山の本が並んでいて学校の教科書にもあったよう
 
    に思いますが、夏目漱石や芥川龍之介の本をくまなく読んだよ
 
    うに記憶しております。
 
    残念なのは時間が出来た今、そういう本に接する機会が殆ど
 
    ないことです。ナショナルブックストアーに行くと本はありますが、
 
    英文・タガログ語の本が殆どです。
 
    日本から送った本はいくらかありますが、置く所がなく前住まいの
 
    屋根裏でツンドク状態です。
 
    そこでここでは興味をお持ちの方は殆どおられないでしょうが、
 
    小説について少々。
 
 
     芥川賞・直木賞と言う名前は殆どの方が聞いたことがあると思
 
    います。
 
    芥川賞・直木賞
 
    1935年に、文芸春秋の創刊者である菊池寛の肝いりで始めら
    れた、新人とされる小説家に年2回与えられる賞である。
    ただ現在は新人でなくても受賞している。
 
    芥川賞は芥川龍之介
 
    直木賞は直木三十五の冠をつけたものである。
 
    奇しくもと言うか恥ずかしながらと言うか芥川龍之介いくらか知っ
    ているが直木三十五については嘗て何も知らなかったのでありま
    す。
    そこで調べたことがあります。
 
    「芥川龍之介」
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    1892年(明治25年)3月 1日 - 1927年(昭和2年)7月24日(満35歳没)
    東京帝国大学英文科卒、夏目漱石門下・菊池寛とは同期で親友・
    服毒自殺。
 
    作品はご存知のとおり多数であまりにも有名。
 
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            向かって一番左が菊池寛、その隣が芥川龍之介
 
 
 
     「直木三十五」
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 1891年(明治24年)2月12日 - 1934年(昭和9年)2月24日(満43歳没)
 早稲田大学高等師範部英語科へ進学したが、月謝未納で中退扱い
 になっているが卒業まで通い続け卒業写真に写っている。死因は不明
 
 『大阪を歩く』 『南国太平記』 『寺坂吉右衛門の逃亡』
 『貧乏一期、二期、三期』他多数。
 
    菊池寛が死ぬまで面倒を見た小説家。編集に優れ、映画関系に
    まで手を出したことがあるようです。
    この男は当時一世を風靡したこともある大流行作家であったこと
    もあるようですが女好きでも有名で、”金は好きな女に使うもの”
    という哲学を持っていたそうであります。
    流行作家として稼いだ金は全てと言っていいぐらい好きな女に貢
    ぎます。
    稼ぐ金だけでは足りなくて莫大な借金を作ります。
    生活費などは貢いだお金が余ったもので良いという考えで、一生
    借家暮らしで家賃も殆ど支払ったことがないようです。
    明治・大正の豪傑的色魔だったのかも知れません。
    ただ真剣に好きな女を愛し、女のために生きた男だったようです
 
 
    ということで芥川賞と直木賞のことは置いておきまして、
 
    私の好きな小説家を紹介しましょう。
 
    その人の名は”田宮虎彦”
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    ご存知でない人が多いかと思われますが、私小説家としては
 
    知ってるという人は知っています。
 
    田宮 虎彦(たみや とらひこ、1911年8月5日 - 1988年4月9日)は、
    昭和期の小説家。東京生まれ、神戸市に育つ。船員である父親
    の都合で転居を繰り返す。
    東京帝国大学文学部国文学科卒
 
    1988年1月に脳梗塞で倒れ日産玉川病院にて療養、右半身不随
    になり、同年4月9日午前9時15分頃、同居人である旧友の子息の
    不在中に東京都港区北青山2丁目のマンション11階ベランダから
    投身自殺する。享年77
 
    (代表作)
    霧の中
    落城
    絵本 (1950(昭和25)年6月『世界』)
    足摺岬
    ある女の生涯
    愛のかたみ
    異母兄弟
    花 -
    「卯の花くたし」(1951(昭和26)年7月『改造』)
    「絵本 」(1950(昭和25)年6月『世界』)
    「鹿ヶ谷」(1951(昭和26)年7月『文芸』)
    「比叡おろし」(1953(昭和28)年11月『新潮』)
    「菊坂」(1950(昭和25)年6月『中央公論』)
    「足摺岬」(1949(昭和24)年10月『人間』)
    これら6つの作品は執筆時期が前後するものの、一つの連なった
    作品となっています。
    そして「卯の花くたし」「鹿ヶ谷」「比叡おろし」は田宮虎彦が第三高
    等学校に通っていた京都時代に題材をとった”自伝的”小説.
 
    と、ある専門家?の方は言っておられます。
 
    私は氏の作品の中では「異母兄弟」「黄山瀬」が印象に強く残って
    います。
 
    次はこの方
 
    立原 正秋(たちはら まさあき、金胤奎、キム・ユンキュ、???、
    (1926年1月6日 - 1980年8月12日)は、朝鮮半島出身の日本の
    小説家・随筆家・詩人・編集者
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    1926年(大正15年)1月6日、朝鮮慶尚北道(現在の韓国慶尚北道)
    安東郡生れ。
    早稲田大学専門部国文科中退
    父の病没後、母が渡日したのをうけ日本に定住。
    1926年(大正15年)1月、金敬文、権音傳(ともに朝鮮人)の子とし
    て朝鮮慶尚北道安東郡西後面耳開洞に生まれ、胤奎と名付け
    られた。
    父は天燈山鳳停寺の僧とされる(寺院で働いていたと言われる
    が、僧侶であったという証明がなされていない)。
    自筆の年譜によると、「父母ともに日韓混血で父は李朝末期の
    貴族より出て金井家に養子にやられ、はじめ軍人、のち禅僧に
    なった」とあるが、その事実はない。
 
    1966年(昭和41年)「白い罌粟」直木賞を受賞
    『剣ヶ崎』『秘すれば花』『曠野』『夢は枯野を』『残りの雪』『冬の
    かたみに』『紬の里』『帰路』『空蝉 
 
    
    この人の作品に初めて触れたときは驚きました。
 
    文章の言い回しといい作品全てに日本語を日本を意識して
    書かれているのです。
    一言一言が日本人の読者の心を揺さぶるのです。
 
    今思えば出自が日本人でないことにその辺の事情が起因して
    いそうです。
    氏自身親の出自を良く見せようとした節があります。
    帰化しているとはいえ朝鮮人だから余計そういうことを気にした
    のかも知れません。
    日本の文化に精通していてそれを活字にするあたりにも氏の
    作品の血に対する抵抗意識のようなものがあったのかもしれま
    せん。
    この方の作品の艶っぽいところは、思わず唾を飲むほどです。
    作品自体は好きな部類です。
 
    ところで、この国に来て日本の本に触れる機会が少なくなったと
    うのは言い訳です。
 
    インターネットで古い作品なら、死ぬまでかかっても読みきれない
 
    ほどの作品が無料で読めます。
 
    今、田山花袋の作品を読んでいます。
 
    長くなりますのでこの辺で・・・
 
 
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                  今日の 後ろ姿
 
 
 
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       いつも 笑顔で いましょうね。