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(きまぐれ爺のPhoto Bulogより)
 
     ここ2話ほど日本人のして来た良いお話を掲載してきました。

    まだまだ日本人の良いお話は書き出したら枚挙に暇がないほど
 
    あります。

 
     第一次世界大戦で捕虜になったドイツ人を、徳島県旧坂東町の
 
    坂東捕虜収容所で嘗てないおもてなしの精神で人道的に扱った
 
    所長、松江豊寿。
 
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     ナチスドイツから多くのユダヤ難民を保護した陸軍中将、
 
    樋口季一郎・陸軍大佐、安江仙弘・海軍大佐、犬塚惟重。
 
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               陸軍中将、樋口季一郎


     ジャワ島スラバヤ沖で敵英艦船沈没漂流者を敵潜水艦が多数
 
    出没する危険地域であることも省みず、全員422名を救助し手厚
 
    くもてなした乗員220名イカヅチの艦長、工藤俊作少佐。
 
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     大東亜戦争で、敗戦した日本国の内蒙古引揚者4万人を無事
 
    帰国させ、旧ソ連の侵略より北海道を守り、内蒙古日本人引揚
 
    の際、世話になった蒋介石のために金門島の中国共産党軍との
 
    戦いに尽力した、陸軍中将、根本博。
 
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     台湾・嘉南平野の水が無く作物が出来ない地域に関東大震災
 
    で工事費用半分に削減されても地元民優先で地元民の子々孫々
 
    の事まで考え、当時東洋一の大きさの烏山頭ダムを完成させ、
 
    この地域を一大穀倉地帯とした八田與一。
 
 
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     1938年8月リトアニアのカウナスというところに領事代理として
 
    赴任。

    1940年7月ポーランドからナチスドイツの迫害により逃げてきた
 
    ユダヤ人達に、日本外務省の方針に逆らい外交官としてのクビを
 
    覚悟でビザを6000通発給し彼らの命を助けた杉原千畝。
 
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     ネパール・ムスタンにおいて循環型農業で不毛の地と言われた
 
    ところに、コシヒカリ、様々な樹木、鯉・鶏・ヤギ等により農業を根
 
    ずかせ、農民のために私費まで投じた近藤亨。
 
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     タイ北部のゴールデントライアングルと呼ばれる世界の麻薬の
 
    70%の生産地で麻薬撲滅の為私財を投げ売って梅をはじめと
 
    する果樹の生産で農民を豊かにした梅林正直。
 
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     ララ物資で戦後の日本の食糧不足による餓死から、日本難民
 
    救済会後にアジア救援公認団体をアメリカで作り、集めた寄付金
 
    の額は現在価値で3億2千万円相当の物資を日本に送り、
 
    アジア全体で6年間に8000億円相当の物資を送って飢餓から
 
    人々を救った浅野七之助。
 
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     これらを書いた書き物の中には「武士道の精神」を強調して
 
     いる物もあるが、敢て武士道を持ち出さなくても『人の道』で
 
     いいのではないか。
 
     助けを求めている人を助けるのは、人の道である。
 
     それぞれの事を行った人が後日皆同じように言っている。
 
     『当然、人間としてやるべき事をしただけだ!』
 
     農業に力を貸した人は殆ど家族を犠牲にしている。
 
     家族には済まない事をしたが、こうするより他無かった。
 
     胸を張って言ってたそうです。
 
     日本人のDNAの中には、この「人の道」のDNAが自然に仕込
 
     まれているような気がします。
 
     親や周りの人のやっている事を見て育った日本人に特にそれは
 
     あると思います。
 
     純粋な日本人の血を受け継いだ日本人はまだ捨てた物じゃ
 
     ありません。
 
     少しでも世界の人が、この日本人の『人の道』を理解してくれる
 
     事を願わざるを得ません。
 
 
 
 
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               (”定年叔父さん”より)
 
                  今日の 後ろ姿
 
 
 
 
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       いつも 笑顔で いましょうね。