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                                紫蘭
 
 
 
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     そうして始めさせられた戦争も途中軍部などの暴走等あった
 
    がやがて終局を迎えようとしていました。
 

    既に石油などの軍需物資の備蓄を使い果たし、昭和 20 年 4 月

 

    に沖縄特攻に赴いた戦艦大和の出撃以後は軍艦を動かす燃料も

 

    底を尽き、飛行機もほとんど飛べず、軍需工場は破壊され、多くの

 

    都市は灰燼に帰し、食糧も底を尽き、すでに近代戦を戦うのに必要

 

    な産業基盤や生産能力を失い、降伏間近な状態にありました。

 
    6 月には沖縄をめぐる攻防戦も終了し、ブラッドレー 米国統合参謀
 
    本部議長が昭和 20 年 ( 1945 年 ) の 7 月に提出した報告書に
 
    よれば
 
    ”日本は事実上既に敗北しており、降伏を準備している。”
 
    とあります。 
 
    日本が密かにソ連を通じ和平交渉の準備をしていたことをアメリカ
 
    は知っていたのです。
 
    敗戦の年 ( 昭和 20 年、1945 年 ) の 9 月に日本を調査に訪れ
 
    た、前述の ニッツ率いる米国戦略爆撃調査団も、
    
たとえ原爆が 投下されなかった としても、ソ連が参戦しな
 
かったとしても、本土上陸作戦が行われなくても、日本は非
 
に高い確率で九州上陸作戦の決行予定日である昭和 20
 
年 ( 1945 年 ) 11 月 1 日までに、遅くとも同年 12 月 3
 
1 日までには 確実に降伏したであろう
 
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という最終報告書を、翌年 ( 昭和 21 年、1946 年 ) 7 月に ト
 
ルーマン ( 当時 ) 大統領に提出しています。
 
ではなぜ、降伏間近な日本に原爆を使ったのでしょう。
 
それは参戦間近なソ連に対する戦後を有利に運ぶためのデモ
 
ンストレーション・威力誇示だったのです。
 
それでなくても開発に莫大な費用を使った原爆の威力の人体
 
実験をする必要があったのです。
 
日本に使っても日本からの原爆による報復攻撃を受ける可
 
能性が ゼロ だからでした。
 
ルーズベルト大統領 ( 当時 ) の主席補佐官 ウイリアム ・ レー
 
ヒー提督は、開戦後間もない昭和 17 年 ( 1942 年 ) 1 月に
 
出した覚え書きの中で
 
日本の野蛮人 と戦う際は、かつて戦争 ルール として認め
 
られていたことを全て放棄しなければならい。
 
トルーマン米大統領は ポツダムにおける対日戦争終結のため
 
の会議に出席中に原爆実験成功を知り、それを日本に対して
 
使用することを直ちに決断しましたが、その際の日記に
 
このことは遺憾であるが必要なことなのだ。なぜなら
 
日本人は野蛮人であり、無慈悲、残酷、狂信的だ
 
から
 

有色人種である 日本人 は人間以下の ( 黄色い

 

猿 ) であると、トルーマン大統領をはじめ政府、軍の

 

高官、科学責任者が思っていたからこそ、広島、長

 

崎で 数十万人を 一瞬にして 焼き殺す ことができた

 

のだ---しかも 2 度までも。

 

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自分と同じ人間であるとは全く思っていなかった

 

ので、 10 万人~20 万人 の人達を残虐な方法で 一

 

度に焼き殺しても、可哀想だとか罪の意識を全く感じなかっ

 

たのでした。

 

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              今日の 後ろ姿
 
 
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    いつも 笑顔で いましょうね。