記事のジャンルの変更が出来るとかで、私おじさんですからシニアジャンルにしてみました。
今日の記事は政治に関しては左だとされる朝日新聞DIGITALからの記事転載掲載です。
朝日新聞も良い記事を載せることもあります。
朝日新聞DIGITAL
『43時間の命、家族で過ごした意味』
武田耕太 2017年11月19日
横浜市の中町美希さん(31)は2015年12月15日、
市内の医院で長男彪護(ひゅう・ご)くんを出産しました。
でも、産声は上がりませんでした。
神奈川県立こども医療センターの新生児集中治療室
(NICU)に搬送されましたが、仮死状態で回復は難しく、
中町さんは、夫(32)や当時3歳だった長女(5)とともに、
家族で残された時間を過ごすことを決めました。
彪護くんは43時間の命をせいいっぱい生き、
旅立ちました。家族で過ごした43時間。
それは、どんな時間だったのでしょうか。
家族にとって、どんな意味があったのでしょうか。
あがらなかった産声
横浜市にあるストレッチスタジオは、開設してもうすぐ
1年半になる。運営する中町美希(なかまちみき)さん
(31)にとって、特別な思い入れのある場所だ。
長年空手を続けてきた中町さんは、長男の彪護(ひゅうご)
くんを妊娠中、姿勢を整えるための指導をする
「ストレッチトレーナー」の資格をとった。
出産後も育児をしながら、空手や仕事に生かせるのではないか、
と考えたからだ。
「彪護と過ごした大切な時間を形にしたかった」

彪護くんは2015年12月15日午後11時48分、
市内の医院で生まれた。
だが、誕生の瞬間、産声はあがらなかった。
別室へと運ばれ、蘇生措置を受けた。心拍と自発呼吸が
確認できたのは、それぞれ30分後、45分後だった。
「脳に酸素が行き届いていない時間が長く、どれだけ生き
られるか分からない」。
医院に駆けつけた、神奈川県立こども医療センターの
新生児科の医師から、そう伝えられた。
妊娠中に問題を指摘されたことはなく、受け入れがたかった。
彪護くんの名前は、妊娠中に男の子のようだと分かった後、
夫(32)と相談し、決めていた。
「格好良くて、人をまもってあげられるような、優しい誠実
な子に育ってほしい」。その彪護がなぜ――。
それでも、彪護くんは生きようとする意思を見せてくれた。
しばらくすると、呼吸が少し深くなり、状態が安定してきた。
医師が「NICU(新生児集中治療室)のあるこども医療
センターへ一緒に行きませんか?」と声をかけてくれた。
中町さんはうなずいた。「希望は捨てない」。
最善を尽くしたかった。
センターに搬送されたのは、16日午前2時25分。
すぐに、脳を保護する「低体温療法」が試みられたが、
回復しなかった。「低酸素性虚血性脳症」と説明された。
画像検査でも脳のダメージは大きく、治療を続けても回復
は難しいことがわかった。
目の前の彪護くんは、肌が透き通るように白く、
天使のようだった。「なるべく苦しまないように、
なるべく負担がかからないように……」。
中町さんは限られた時間を、家族で一緒に過ごしたいと思った。
最後に聞けた「うぇーん」
横浜市の中町美希さん(31)は2015年12月15日夜、
長男彪護(ひゅうご)くんを出産した。
しかし、彪護くんは仮死状態だった。
中町さんは、搬送先の神奈川県立こども医療センターで、
最後の時間を家族で過ごすと決めた。
思う存分抱きしめてあげたいと考え、心拍のモニターや
酸素を送り込む器具をはずしてもらうことにした。
17日午前3時過ぎ、夫(32)と彪護くんの3人で、
新生児集中治療室(NICU)の隣にある個室へ移った。
気になっていたのは、当時3歳だった長女(5)だ。
「お姉ちゃんになる!」と妊娠中から楽しみにしていた長女。
出産直後に彪護くんを抱っこした後、病院から離れていた。
生きている弟の姿だけを記憶にとどめさせるほうが、
長女にとっていい。最初はそう思っていた。
そんなとき、新生児科で彪護くんを担当する医師の柴崎淳
(しばさきじゅん)さん(46)が夫婦に声をかけてくれた。「お姉ちゃんはまだ小さくて、いまは理解できないかもしれない。でもいつかパズルのピースがはまるように、理解する日が来ると思う」。彪護くんとの思い出をつくることをすすめてくれた。
柴崎さんの言葉を聞き、考えは変わった。
「長女にも、最後までお姉ちゃんでいさせてあげたい」。
長女を病院へ呼び寄せることを決めた。呼吸が浅くなり、
息絶えそうな瞬間は何度も訪れた。
でも、その度に、ヒューと息を吹き返すように呼吸が戻った。
朝になり、夫婦と彪護くんは産科病棟の個室へ移った。
スー、スーと静かに呼吸音が響く。
「お姉ちゃんが来るまで、頑張ってくれているのかな」。
励まされているのは、私たちのほうだ――。
中町さんは、胸が熱くなった。
午後、長女が病院に到着した。
長女は彪護くんに会えたのがうれしくて笑った。
「また抱っこできたね」。
家族がそろうと、室内が不思議と明るくなった気がした。
家族で彪護くんを眺めていたときのことだ。
「うぇーん」と3回、顔を真っ赤にして彪護くんが泣いた。
「一度も泣き声を聞けなかったから、うれしかった。
ぼくはちゃんと生きていたよ、と言ってくれた気がした」。
午後7時ごろ、彪護くんは家族に見守られ、息を引き取った。

43時間の生、心はともに
横浜市の中町美希さん(31)の長男彪護(ひゅうご)
くんは2015年12月15日、心拍が確認できない状態
で生まれてきた。
搬送先の神奈川県立こども医療センターで17日、
家族に見守られながら息を引き取った。
生まれてからの43時間を精いっぱい生ききった。
「彪護くんにやってあげたいこと、ぜんぶやって
あげてください」。看護師が声をかけてくれた。
沐浴(もくよく)をし、手形や足形をとった。
母乳を注射器に入れ、唇に数滴、つけてあげた。
18日、家族で自宅に戻った。
用意していた服に着替えさせ、一緒に写真を撮った。
「悲しいね。でも彪護が来てくれて、うれしかったね」。
泣きながら中町さんは、長女(5)に話した。
その晩は夫(32)と長女と中町さんの間に彪護くんを挟み、
家族4人で寝た。
1カ月後、センターで産科医の望月昭彦(もちづきあきひこ)
さん(43)らから、胎盤の病理解剖の結果が伝えられた。
「羊膜索(ようまくさく)症候群」。
子宮の中で羊水と赤ちゃんを包んでいる羊膜が、細い縄状
(索状)になり、へその緒に巻き付いていた。
血流が滞り、赤ちゃんに酸素が行き届かなかったらしい。
妊婦健診では確認できず、原因もよく分からない。
極めてまれな例だという。
彪護くんが生まれてからの43時間は、
「人生で最も苦しい時間だった」。
それでも、家族の時間をつくってくれた医師や看護師には、
感謝でいっぱいだ。
彪護くんの状態を説明する時は、すべて紙に分かりやすく
書いてくれた。彪護くんが生きようと頑張っていた時、
初めて病室を訪れる家族に、看護師らは
「おめでとうございます」「かわいいお子さんですね」
と声をかけてくれた。
おなかのなかで一緒に時間を過ごした我が子。
「生まれてきたことを評価してくれているように感じられて、
うれしかった」

今年4月、中町さんは第3子となる次女をセンターで産んだ。「みんな待ってたよ」。産声が上がり、歓声が響いた。
次女の妊娠中、「もうすぐお姉ちゃんだね」と言われた
長女は、不満げだった。
「だってもう彪護のお姉ちゃんだもん」。
長女は、いまも1日1回は彪護くんの名前を出す。
家族5人。心のなかで、いつも一緒だ。
ー以降省略
この記事を読んでいて不覚にも目頭が熱くなる思いをしました。
