今日は、私が中学時代に通っていた塾が主催した講演会をききにいきました。


毎年ゲストをお招きしてやっているんだけど、

行ってみたのは今回が初めて。


大学3年生ということもあり、

人生の岐路って自分の中では思っているので


できるだけたくさんの人のお話をきいて

自分自身の考え方に役立てたいと思い参加してきました。


今回講演してくださった方は、

作家でもあり塾の経営者でもある喜多川泰さん。



うちの塾長も変わり者だけど、

この人も相当な変わり者でしたw



でも、この人のお話しに私はかなり感化されて、

せっかくならば誰かとシェアしたい、

そして今日の内容を忘れたくないって思ってブログに書くことにしました。





人にとっての財産とは何か。


そう考えると、大体の人が「お金」と応えます。

あるいは、その類のものを出します。


しかし、喜多川さんは、

財産とは確実に「経験」だと思っています。



私たちが何か行動を起こすとき、

それを起こすか起こさないかの判断基準はほとんどの人が自分に損か得かになってきます。

財産がお金だと考える以上無理もありません。


世の中の大半の人は、日常生活の小さなことから自分の損得で道を選び、

それゆえ人生の岐路に立ったときも同じように、自分に有益か否かで選んでいます。


つまり、みな同じ道を選んでいるのです。

そして、みな同じ経験をしているということになります。


しかし、ここでもし財産が経験だと本気で思える人がいたとします。


すると、まず判断基準が損得ではなくなります。

人と違う道を選ぼうとします。みなと違う経験こそが財産だと思っているからです。



このような切り口でお話は始まりました。



失敗というのは、できるだけたくさんした方がいい。

その失敗を学びにどう変えることができるか、それが大事なのだ。


たくさんの失敗という経験が、

結局その人の財産になるからです。

だから、失敗するためにも果敢にさまざまなことに挑戦すべきなのだ。


喜多川さんは、

自身が経営している塾の子どもたちの前で

「ぼくは作家になる。」

と宣言したそうです。


もちろん子どもたちは

「またまた~無理だよ~」

と笑ったそうです。


でも、喜多川さんの本当の狙いは、

人が失敗したときにどう立ち上がろうとするのか、


それを自分自身の体験から子どもたちに伝えることでした。


ある物事をする上で、

その成功率が仮に5%だったとします。

つまり95%は失敗します。

ですが、その95%が100回続く確率は、実は1%にも満たないそうです。


なので、喜多川さんは、毎週出版社に足を運ぶことを決心しました。

3年間続ければ150社運ぶことになる、そしたらどこかで引っかかるだろうと思っていました。


ですが、現実は2社目で成功という、

ちょっと拍子抜けしてしまう結果に終わったそうです(笑)



次に喜多川さんは鬼と金棒の絵をボードに書き始めました。

大きな鬼と小さな鬼

大きな金棒と小さな金棒


さて、ここで質問です。

鬼と金棒の4つの組み合わせの中で1番怖くない組み合わせはどれでしょう?


小さい鬼に小さな金棒?

それでも少しは怖いですよね。



本当に怖くない組み合わせ、それは小さな鬼と大きな金棒です。

なぜなら、いくら金棒が大きくても、鬼がそれを使いこなすことができないからです。


大事なのは小さな鬼が大きな金棒を使いこなすことができるくらいに

筋力UPさせること。


これを人間に当てはめてみます。

金棒は学歴や資格といったラベルに相当します。。


人はつい、金棒ばかりを大きくしようと必死になります。

そして、大きくした金棒はなかなか手放そうとしません。


それはもったいないからです。


ときに人はその大きな金棒の扱いに不便を感じることすらあるでしょう。


本当に大事なのは、

鬼側の筋力UP、つまり私たち自身の人間力を磨くことなのです。


時代の転換は70年といわれるように、

戦後70年経った今がまさに時代の転換期と言えます。


最近はこんなことを耳にすることが多くあるでしょう。

「この時期、就職するのだけでも大変よね。」と。


ですが、「大変」とは何でしょうか。


実は「大きく変わる」だけなのです。

今まで大事だとされていたものが大きく変わる、

ただそれだけのことなのです。


そして大きく変わったときに真っ先に崩れていくのが、

金棒ばかりが大きく中身が伴っていない人間、エリート集団なのです。


逆にその中で生き残れるのは、

人間力の高い人なのです。



ではその人間力は、どのように手に入れることができるのか。


それは、「自分自身が自分の幸せに責任を持てるかどうか」だと

喜多川さんは言っています。


そして、その幸せといのは、

人が運んでくると言っています。



人間は、誰かを幸せにすることで

自分が幸せに感じることのできる生き物です。

ひょっとすると、人間の使命というものは、1人でも多くの人を幸せにすることなのかもしれません。



喜多川さんは、子どもたちに勉強する理由を尋ねられたとき、

このように応えるそうです。


「勉強は、将来自分が出会う人のためにするもんだ。」


将来の自分のためとか言われても、いまいちピンときません。

だったら、他人のためにやってみれば?

そう思えば少しはやろうと思えるんじゃないか。



そして、ここから今回の講演の本題に入り始めます。



人の心にはアクセルとブレーキが存在する。

アクセルは今よりもよりよく生きようとすること、

ブレーキはそれにストップをかけようとすること、


この2つを同時に踏んでしまうとどうなるか、



アクセルがぶっ壊れます。



進んで行く中でときに止まることはあるだろうし、

それは決して悪いことではない。


ただ、両方を同時にしてしまうとアクセルが壊れ、心にストップがかかってしまいます。


もう逃げることはやめよう

今日から変わろう


この決断をここでしてほしい。


それは勇気がいることであるが、

一歩踏み出す勇気というものを持ってほしい。



踏み出す勇気、行動を起こすためには

原動力というものが必要になってきます。



人間の原動力は、

まず外発的なものがあります。


報酬といったものがそれにあたるでしょう。


しかし、外発的動機付けは内発的動機付けを無力化します。

つまり、もし最初は楽しいという内発的動機で行動を起こしていても、

報酬が出てきた時点で内発的動機は無力化し、報酬がなくなった瞬間私たちは原動力を失います。


報酬を原動力にするといつか動けなくなてしまうのです。



次に原動力としてあげられるのが、

不安や恐怖です。


親に怒られるのが怖い

単位を落とすのが怖い

将来が不安


そのような気持ちは確かに原動力になります。

脳からアドレナリンが放出され、やる気を起こすことができます。


しかし、アドレナリンには持続性がありません。

不安や恐怖が取り除かれると、原動力を失います。



本当の原動力となるのは、憧れや感動です。

憧れや感動によって脳からはドーパミンが放出されます。


これは持続力を持ちます。


私たちが憧れを抱く対象物、

それはなかなか手に入らないものを手に入れようと頑張っている姿なのではないでしょうか。



「簡単には手に入らないものを1つくらい本気で追い求めてみようよ!」



喜多川さんはおっしゃっていました。



夢ややりたいこと、自分らしさというものは本気でやっている中からしか出てきません。

それを見つけるためには、


「今を生きる」


これに限るのです。



今を生きるというのは、

自分の目の前にきたものをすべて受け入れ、本気でやる

ということです。


本気でやれば楽しむことができ、

その中から情熱を持てる何かに出会うことができます。


それに出会うまで目の前のものを受け入れ続けるのです。


私たちは自分の今の都合で

目の前にあるものを取捨選択しがちですが、


今の都合なんてものは簡単に変わります。



今ここですぐに役立たなくても、

人生のどこかではなくてはならない経験になります。


だからこそ、目の前にあるものをすべて受け入れ、

今を生きてほしいと思うのです。







実際に自分で文章に起こしてみると

支離滅裂になってしまい

文脈が飛んでる部分もありますが、


大まかにはこのような内容でした。



1つの考え方として、

少し参考にしてみてはいかがでしょうか。











この性格!

人間関係に淡白すぎる!


人と関わること好きなんだけどね、

一人も平気なんだよ。


ただそんだけの話なだけだけど、

どうも冷たい人のようになってしまう。笑



Android携帯からの投稿

特別活動論っていう授業があって


過去の自分の活動振り返るきっかけができて

いろんなこと思い出した。


中学時代

私はとても優等生だった。



テストはほぼ全部9割前後

成績ではALL5をとったこともあった。


部活では1年から試合に出させてもらって

2年からは部長もやった。


学級委員長

スキー教室実行委員副委員長

修学旅行実行委員長


合唱コンでは毎年伴奏して

みんなを引っ張ってたっけ。


卒業式では答辞まで読ませてもらって。


受験でも頑張った成果が実り

都立のトップ高に合格できた。



周りはよく褒めてくれて、

私はまんざらでもなく嬉しく感じていた。


優越感というものが

好きだった。



でもそんなのは関係ないんだな。



例えば今自分の横に


このような子がいたとしても


その子に対して魅力を感じるかってきかれたら

わからない。



私が本当に魅力を感じるのは


容姿とか

学歴とか

経験とか

背景とか


そういうものを気にせずに接してくれる人。


ラベルとか

レベルとか


そういうものに魅力を感じない、

気にもとめない、


そんな人に魅力を感じるんだな。