ご無沙汰してます。前回、これから記事を書いていくと意気込んでおきながら忘れていました。

今回は、現在も流行している新型コロナウイルスへのMITがとった措置について記録したいと思います。

 

 

時は2020年3月。

その頃は武漢でコロナウイルスが流行っているというニュースを日本のYahooニュースを通じて聞いていました。

日本ではお隣の韓国で集団感染したことやクルーズ船内での流行などがあったため、アメリカよりもニュースに取り上げられる頻度が高かった印象があります。

私の寮のフロアでは中国系の人がほとんどだったので話題に上がることもたびたびありましたが、非アジア系の友達とは全くと言っていいほど話になることはありませんでした。

2月下旬では、イリノイ州やカリフォルニア州で感染が広まっていましたが、アメリカ全体としては危機感はなかったです。

 

 

しかし、3月上旬。

ボストンで行われた生物関係の会議に参加したイタリア人が3人コロナウイルスに感染していると判明。

すぐその会議に参加した人達や会社関係の人に検査をしたところ、芋づる式に陽性者がでてきました。

その勢いは指数関数的。

個人的な記録によれば、5、13、28、41、92とどんどん感染者数が増えていきました。

 

 

3月9日。

150人以上が集う授業は原則オンラインに移行することが決まりました。

この頃は、まだ皆「授業はオンラインになって寮から授業を受けることになる」と思っていました。

そして、本来なら院のオープンハウスにいくはずでしたが、この頃からオープンハウスも次々とオンラインに移行していきました。

 

 

そして3月10日。

その週の授業は全てオンライン、翌週の授業は全てキャンセル。

そして、全ての寮から一週間以内に退去しろといった通知が出されました。

構内はもうお祭り騒ぎ。

学科ごとに仮卒業式をやったり、疎遠になっていた友達と最後の挨拶をしたりと、めちゃくちゃでした。

 

 

3月11日。

実は強制退去の通知と同時に、一応「許可された生徒はキャンパス内に残れる」と言われていましたが、その選別がめちゃくちゃ厳しく、本当に誰一人許可が下りたものがいないレベルでした。

これを受けて、生徒達はオフィスの前に座って平和的デモ。

これが効いたのかはわかりませんが、退去前日にいくらかの生徒の滞在許可が下りることになりました。

 

この頃、私はまだアメリカに残る気で、外のアパートを探していたりしました。

しかし、交通費をMITが負担してくれることや日本ではコロナが指定感染症となり医療費が安くなること、そして卒業式が行われなさそうなことから、退去二日前に日本に帰ることを決断しました。

寮にある荷物はほとんど友達の家に預かってもらうことになりました。

 

 

3月15日、日本に帰国。

日本行きの便はほとんどがMIT、ハーバード、タフツなどの大学生達でいっぱいでした。

帰国後は感染していたときの場合を考え、タクシーでホテルに行き10日間ほど自主隔離しました。

 

 

 

本来なら院のオープンハウス周りをしていた3月でしたが、実際は寮からの退去、帰国、自主隔離など、めちゃくちゃ忙しく精神的にも疲れる一月となりました。

今まで4年間ずっと住んできた部屋をこうもあっけなく追い出されたのは、悲しいという感情よりは喪失感といった方が的確でしょうか。

友達も散り散り、次にMITに帰ってくる時には私はもう部外者。

本当に自分の居場所が一瞬にして無くなった騒動となりました。

 

 

次の記事では、オンラインとなった春学期の後半について書いていきたいと思います。