発表会まであと数日ですから、ショパンスケルツォも仕上げの段階に来てなきゃいけないのですが…。
ここはもっと小さくして…、もっと歌って…、通しで繰り返し練習していても、なぜか曲の美しさを感じられなくなってきたりして、大体弾けるようになってきてるのに、何か物足りない…。
もっと音楽!もっと音楽を感じなくちゃ。
弾くことばかりに一生懸命になり過ぎて、音楽を感じることを忘れてたみたいです。
初心に戻ってもう一度、スケルツォはどんな曲なのか?
この曲を練習し始めたとき、どんな曲なのかを理解したくて、Youtubeでシプリアン・カツァリスさんのマスタークラスでスケルツォ2番を取り上げていたので、よく見ていました。
カツァリスさんのマスタークラスは身振り、手振り、表情豊かに曲を解説してくれて、面白いしわかりやすい。
去年の発表会で弾いた、バラード3番の時もお世話になりました。
ショパンの音楽は、文学や絵画などを描写したり、自然や情景を表現するといった標題音楽とは一線を画しています。
バラードは、ポーランドの詩人ミツキエヴィチの詩から霊感を得て作曲されたといわれていますが、インスピレーションをもらっただけなので、物語を描写したわけではありません。
でも、ショパンは作曲するとき、どんなを情景や感情を思い浮かべていたのか…。
それをカツァリスさんが詳しく教えてくれます。
カツァリスさんの教えてくれるショパンスケルツォ2番の要約を、自分の確認のために書いておきたいと思います。
シューマンはショパンのスケルツォについて、大胆さ、優しさ、愛、つれなさにあふれている、と言っていました。
(冒頭、第1主題)
ショパン自身が冒頭の部分がこの曲の鍵だと言っていて、弟子たちに猛練習させました。
あらゆるピアニストが冒頭に手を焼いています。(私だけじゃなかった。)
ここは、『死者の館』。この8分音符の3連符は死んだばかりの人の問いかけ。
「私はここで何をしているのだろう?」この8分音符の1つ1つが大切。
すると、館の衛兵が、目を眩ませるような答。「お前は死者の世界にいるのだ!」
死者が、「私はここから出られるだろうか?」とまた問いかけ。
衛兵の答は、「ノン!ノン!ノン!」
(第2主題)
目がくらむほどの光で超自然的な、新しい世界を発見させてくれる。
流れ星のように。
続く崇高なパッセージはイタリア歌曲のベルカントがふさわしい。
限りない優しさ。
天使の羽根を持つ馬が、夢の世界に運んでくれる。
自由に。別の雲にのってもっと高く行く。
希望の光。恍惚。何かに到達するように。
旋律は柔軟性が必要で、ルバートして開放的に。
指一本一本がのびのびと歌わなければいけない。
(中間部)
大自然の山の中、夜のしじまに心に染み入るような角笛の響き。
吟遊詩人が奏でるリュート。
王子とお姫様のお話を聞かせてあげましょう。
一体何が起きるのでしょう。
王子が、いとも稀なバラの花をお姫様に贈ります。
(カツァリスさんは、言っていないけど、たぶん、ここで二人はワルツを踊るのね。)
2回目は違う弾き方で。もっと強く、もっと美しく、感じやすく。
ショパン自身も繰り返しを弾くときは、2回目は違う弾き方をしていました。
(展開部)
ここは暴風雨が吹き荒れます。
情熱、爆発、そして悲壮です。1回、2回、でも到達できない。
(クライマックス)
反抗できない憤激を感じさせて。
リストはスケルツォにおけるショパンは苦渋に満ちた、絶望的な性格を示している、と言っていました。
ショパンの陰鬱な気質を出さなくてはいけない。
そして、最後の断末魔はすすり泣きを押し殺すように、音を消しながら。
死を思わせる雰囲気を出しながら…亡霊たちが戻ってくるのか…。
この休止は全ての音符より、ずっと重要なのですよ。
恐怖を与えます!
(再現部、coda)
階段を一段一段苦心して登っていく姿。
終わりには何かを獲得しようとする姿。
何かに到達しようと努力しているように弾く。
ピア二ッシモから、後のために全エネルギーを取っておく。
2回目の最後の階段で、絶望の叫び。
とうとう終わりに到達します。
精神が物質に勝利しました!
そして…、終わりに到達して、
目覚めました。
(すべては夢だったのでしょうか?)