それは、大家さんが保証人の俺の親に電話したのだ。
俺はずっと一人で稼いで生活してきたので、親は俺の現状を知らなかった。
親は、「借金があるなら返してやるから、茨城に帰ってきな…。」と俺に言った。
俺は「公認会計士になって、岐阜で一旗揚げるんや!一旗揚げるまで茨城には帰らんぞ!!」と決意して、岐阜・名古屋で20代を過ごしてきた。
20代のときは、勉強も、恋愛も、仕事も、人の何十倍も努力した。
何が何でも成功したかった。
でも、岐阜・名古屋では、結局、何にも成しえなかった。
その情けなさの中、俺は2004年2月7日に、茨城に移住することにした。
茨城県で新たな再スタートを切る決意で、部屋の物をほぼ全て便利屋に処分して貰うことにした。
11年の間に何千回と読んだため汗と涙が付いている公認会計士試験対策用のテキスト、公認会計士受験生時代に唯一の楽しみだったシングルCDを一日2枚聴ききながら勉強したときに使用したフナイ製のCDラジカセ、人体の一部と化していて筆記用具など、公認会計士試験関連のものはほぼ全て処分した。
茨城に帰ると、俺に気を遣ってか、母親は「おかえり」と普段通りの対応していたが、父親は「お母さんは、充男が岐阜でノイローゼになったんじゃないかって、心配してたんだぞ」と言った。
俺は部屋に入って泣いた。
そして、誓った。
「これからの俺の人生は、すべて親への恩返しに使おう。稼いだお金は全て親に渡そう。これからは茨城で徹底的に働いて、まず620万円を返すぞ!」と。
それから、俺は必死で考えた。
「俺はいったい何が出来る?」と。
丸丸10日間考えた。
とにかく考えた。
そして浮かんだ答え。
それが、「日立唯一の簿記教室・士(サムライ)塾」だった。
「俺には簿記講師しかない。いや、簿記講師しかできない。しかし、簿記講師なら誰にも負けない。俺が生きる道は、簿記講師しかないんや!」
そう決意して、2004年2月17日の32歳の誕生日に、税務署に行って、個人企業として創業する届け出をし、0歳の士塾が誕生した。
最初の1年間はマーケティングに苦労したが、幸い、1年後の33歳で商売が軌道に乗り、2年間で10,000時間以上働き、借金は返せた。
その後、セールスは出来ても、マーケティングや経営戦略はド素人だったため、山あり谷ありの末、何とか2011年1月1日の今日も、俺も士塾も生きている。
今、俺は38歳、士塾は7歳で、今年の2月17日で俺は39歳で、士塾は8歳になる。
その間、俺が成しえなかった公認会計士に元1級塾生のI君 が合格し、名実と共に、「士(サムライ)」が誕生した。
これも、21歳の俺が必死に簿記を勉強していたからだ。
もし、21歳の俺が気張っていなければ、自尊心が人一倍強い俺は、40歳前のフリ―タ―のままの自分に我慢できず、岐阜・名古屋で自殺していたかもしれない。
簿記を勉強していなければ、士塾を創業できなかっただろう。
俺自身、簿記を通じて、人生を変えてきた。
士塾は、俺の人生そのものだ。
ここで士塾のコンセプトを言おう。
20代の君!
俺と一緒に簿記で人生変えないか?
簿記の向こう側にある、君だけの人生を見付けるために!
その人生のサポートは、腰かけのアルバイトの簿記講師では絶対にできない。
簿記講師に人生を捧げる覚悟をした俺にしかできない。
俺なら、きっと君の人生を変えるキッカケを与えることが出来る。
俺は、そう確信している。
真剣な君を待ってるぞ!
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