Y君は、23歳のとき、第118回(平成20年2月)の日商2級に1発合格。
その約2年後の25歳で、第125回(平成22年6月)の日商1級に合格しました。
出会いは、平成19年の夏、私が職業訓練講座に出張講義に行ったときの、訓練生でした。
その訓練講座は、もともとパソコンだけで6ケ月コースだったのですが、委託元の日立産業技術専門学校さんが、他の簿記パソコンの職業訓練を担当していた私の簿記講義のアンケート結果を勘案され、「1週間でもいいから後藤先生の簿記講義を入れたらどうか?」という要請をされてくれたようで、急きょ、1週間ばかりの私の簿記講義が入ったのです。
その職業訓練講座で、私は、簿記の入門の入門のみを講義しました。
そこで簿記に興味を持ったY君。
高卒後、アルバイトしかしてなかったY君は、何か資格を取ろうと思っていました。
そこでY君は、「後藤先生の塾で簿記を勉強したいのですけど」と、私の携帯に電話してきました。
そこで私は、「どうせなら、日商1級で人生90度変えなさい。そのためには、まずは1年間、徹底的に簿記の勉強しなさい。20代の1年間の努力は、30代以降に必ず花が咲きます!」と言いました。
鼻息を荒くして入塾してきたY君。平成19年の11月から本格的に簿記を勉強し始め、平成20年の2月に日商2級合格!
その後、平成20年の3月から開講した、私の日商1級講座を受講しました。
初回受験の第120回(平成20年の11月)の日商1級の本試験は惨敗しましたが、第120回対策の模試では2回ほど70点を超えていましたので、自信がついたようでした。
しかし、時間が空くと急激に実力が落ちるのが、簿記。
私は「合否は別として、平成21年の2月の全経上級の勉強をしなさい。そうしないと、次回の6月も落ちるぞ!」といいましたが、当時のY君は日商1級より上位の会計士や税理士を目指していなかったため、第120回の日商1級受験後、しばらくは腑抜け状態。これがもったいなかったです。
その結果、第122回(平成21年の6月)の日商1級も惨敗。途中、第159回(平成21年の7月)の全経上級に合格するも、第123回(平成21年の11月)の日商1級にも惨敗。
しばらくは、60点前後は取れるが、70点に到達しないという日商1級特有の「60点病」にかかりました。
しかし、Y君は熟考の末、公認会計士を目指すことにしました。
そこからは、迷いが消えたせいか、実力がグングン伸び、ついに第125回(平成22年の6月)の日商1級に合格したのです。
合格発表の8月3日は、Y君は商工会議所の掲示板を見に行き、合格を確認後すぐに「先生のおかげで合格することができました!これで、公認会計士の勉強にも弾みがつきます。がんばります!」と、私に電話をしてきました。
塾生の合格報告。まさに、私の人生にとって最高のご褒美。もちろん、Y君自身の努力があっての合格はいうまでもありませんが、私自身が日商1級合格したときのような感覚を思い出し、それを味わいました。相変わらず、絶品料理でしたね。美味しかったです!ありがとう、Y君!!
一見すると、Y君とはまさに偶然の出会い。本来は、パソコンのみの職業訓練なので、私とY君が出会う可能性は低かったでしょう。
しかし、私は偶然とは思いません。
なぜなら、ワンピースの黒ひげ海賊団オーガー風に言うと、「この世は全て強い望みの赴くままに巡り合う歯車」だからです。
つまり、2年前のY君は、「このままでは30代以降不味い。何とかしないと!」という強い望みがありました。
その強い望みが、本来パソコンのみの職業訓練に簿記を導入するキッカケとなり、その歯車として私が食い込んだ。
私は、そのように解釈しています。
今後のY君は、平成22年の12月の短答式、そして、平成23年の8月の論文式を目指して行きます。
弊塾には、塾生に新試験制度の公認会計士論文式全科目合格者(平成20年度合格・当時20歳)のI君がいますので、Y君にとっても心強い先輩がいます。
I君に関しては、またブロブで書きたいと思いますが、今回はY君の日商1級合格までの軌跡を書きました。
このブログを読んで、難関の日商1級を諦めかけてた方が奮起して、「よし、俺もやるぞ!」と、再チャレンジの勇気が出たとしたら、これほどうれしいことはありません。
日商1級を目指している全ての方、ぜひ合格して、勝利の美酒に酔ってください!うまいですよ。