生まれて初めて、
ノンアルコールの花見をした。
ん~、今まで俺からすると、
ありえないな。
友人のブログのコメント欄に、
冗談半分で、
「転生の歌舞伎者」
な~んて書いたが、
ガキのころから、
「かぶく」の好きだな。
つうか、
自由を貫き通して、
それで命を落とすのなら本望。
それが私の信条ですよ。
自由に生きたい。
こればっかしは、
絶対に曲げられない。
だからクソガキの頃も、
暴走族にも、
チームにも属さなかった。
不自由が大嫌いだから。
まぁ、時効だから言うけど、
数年前、
友人の女の子が、
ガンになってね。
みんなで、
彼女の好きなサクラを見に集まったんだ。
そしたら、
偶然だけど、
友人が知り合いの相撲取りと会ってね。
きちんとした関取らしいけど、
「ほいじゃあ、一緒にどうぞ。
はじめまして」
ってな、感じになって、
その相撲取りも一緒に花見をすることになったんだ。
そしたらどうだろ?
その男芸者、
ああ、男芸者ってぇのは、
相撲取りのことね。
ちょんまげを結ってるから、
昔から相撲取りは、
「男芸者」なんて言われて、
金持ち、たにまちが連れまわして、
喜ばれてんだよ。
まぁ、とにかくその男芸者がさ、
礼儀礼節がなってねぇんだ。
なぜだか、
主役の女の子の隣に座ることになったんだが、
まったく、
気がきかないし、
年上の人がいて、
年上の人が敬語を使っているのに、
全員にため口をたれてるしさ。
もし俺が逆の立場で、
どこかの花見に参加させてもらうならば、
まず最初に、
「今日は、どんな集まりなんですか?」
ってききますよ。
それをききもせずに、
ベラベラを全員にタメ口で、
偉そうに自慢話みてえな、
くっだらねぇ講釈をたれやがってさ。
隣で、ガンの主役の女の子が、
小さくなってんだ。
相撲取りの体がデカイから、
ありゃあ、
三倍くらい、
ナオコが小さくみえた。
だから、
ナオコがサクラを見に、
散歩に出かけた隙に、
「ウラァアアアアアアー!
桜の花びらみたく、
お前の人生も散らせてやろうかああ!」
って、
ちょいとばかし叱ってね。
もちろんだけれども、
相手が朝青龍でも、
同じことをしたね。
作家で、元極道の、
安部譲二氏は、
なんかのコラムで、
「相撲取りとは喧嘩すんな」
なんて書いてたけど、
何、戯言を言ってんだか。
男が言う時に言わなくてどうしますよ?
それで相手がアホで、
喧嘩になろうがなるまいが、
そんなことは知ったこっちゃない。
喧嘩を恐れて、
言うことを言えない、
そんな不自由な生き方なんざぁ、
そりゃあ根性無しのすることであって、
おそらく安部譲二氏も、
俺と同じことをしたと思うな。
まぁ今では、良い思いでですよ、
先に逝っちまったけどさ。
ナオコと花見と男芸者。
相撲取りなんざぁ、
しょせん、男芸者ですよ。
男が裸になって、
抱き合って、
汗かいて、
腰をグイグイを動かして、
「ハァハァ」と、
息をきらしてんだからさ。
芸を売って、
それを生業にしてんだから。
おそらく相撲取りは、
「いや、俺たちは真剣だ。
相撲道に、そして土俵に命をかけてる」
と、
そう反論したいんだろうけれども、
オイオイ、
そりゃあ歌舞伎役者だって、
芸ごとに命かけてんぜ?
歌舞伎者を演じている海老蔵さんも、
舞台に命かけてますよ。
芸妓だって、
長唄、三味線、日本舞踊といった
芸に命かけてますよ。
だから相撲取りも芸者だと思うな、やぱり。
豊真将という力士は、
吉田松陰を尊敬し、
「ゆくゆくは天下国家のために人生を費やしたい」
と、立派なお考えをお持ちのようだが、
そうした国士は、
なかなか相撲界にはいないんじゃないかな。
まぁとにかく、
人間の幸せ、
それは「自由」ですよ。
人は自由になりたくて、
仕事して、金稼いでるんじゃないの?
しかし何を「自由」と感じ、
何を「不自由」と感じ、
何に喜びと苦しみを感じ取るか、
それは、
その人間の心次第であり、
つまりは、
心の成長度、
「悟り」にかかっている。
悟りが高まれば、
他人が苦しみに感じることでも、
心は自由にいて、
悟りが低ければ、
喜びに遭遇しても気づかない。
だから人生において肝心なのは、
「悟り」であり、
悟りが高まれば、
自由にかぶいて生きられると、
そう俺は思う。
だから幸せになりたい人は、
仕事することも大事だが、
悟りを求めたほうが良いね。
そして昔も、今も、未来も、
俺はかぶいて生きたいね。
自由に生きたいね。
もし、戦国時代に生まれてたら、
百姓、町人として生きるか、
それとも、
武士として生きるか、
この選択しか無いが、
ならば武士として生きたいね。
そしてもしも武士として生きるのならば、
大名として天下を目指すか、
主君に仕えて支えるか、
この二択しかない。
そしてもし、
天下人を目指すのならば、
織田信長や武田信玄みたく、
ちょいとばかし、
やはり独裁ぶりが必要だろうな、
あの時代ならばさ。
上杉謙信みたいに戦は強くとも、
義を重んじ過ぎても、
やはり天下は取れないよ。
豊臣秀吉みたいに、
織田家に仕えながら、
信長の孫を立てて、
織田家を盛り上げる素振りを見せて、
平然と織田家を裏切る狡猾さが、
やはりあの時代には必要だ。
それは徳川家康にも、
同じことが言えるだろうな。
豊臣家、秀頼に忠義のカタチだけ見せておいて、
秀吉が死んだら、
簡単に天下を取っちまうんだもの。
戦国時代のその先がけは、
やはり{マムシ」と呼ばれた、斉藤道三かもね。
なんてたって、
油売りから、
自分の主君をあっさり裏切って、
一国の大名になっちまうんだもの。
つまりさ、
戦国時代に生まれてたら、
百姓・町人として生きるか、
それとも武士(もののふ)として生きるか、
そしてもし、
武士(もののふ)として生きる道を選ぶならば、
大名を目指すか、
主君に使えるか、
そしてもしも大名を目指すのならば、
信長、信玄のような、
ちょいとばかし無理をして、
多少は独裁者ぶりを発揮して、
天下を目指すか、
あるいは謙信のように、
侵略戦争を一切せずに、
義を重んじて天下を目指さずに生きるか、
それとも、
秀吉、家康、道三のように、
狡猾に天下を目指すか、
こうした選択が迫られるが、
やっぱり俺は、
天下なんざぁどうでもいいから、
前田慶次のように、
自由に歌舞いて生きたいね。
天下人よりも、
歌舞伎者で十分だ。
そして、
今も、俺は、
自由に生きているよ。
もしかしたら、
今の俺を見て、
人はそう思わないけれども、
今も俺は自由人だ。
なぜなら、
悟りを求めて生きることで、
自由な心を手にしたもの。
だが、しかし、
こうした国難に時、
日本がチベットやウイグルのように、
滅びそうな時、
自由に生きながらも、
黙ってられないから、
このままでは、
みんな不幸になって、
悲しみの涙を流すことになるから、
熱い、熱い情熱がこみあげてきて、
激しい鼓動がきざまれて、
じっとしていられなくなる。
やっぱり歌舞伎者でも、
日本国民すべてが、
不幸になりかねない、
そんな国難の時には、
勇ましく立ち上がりますよ。
つまりさ、
自由に、歌舞いて、国難に立ち上がる、
それが俺の信条です。
「歌舞く」
という意味が分からない方は、
前田慶次を勉強してください。