時間が無いために、
ブログを更新できず、
申し訳ありません。
とりあえず、
思いつくままに、
今、一番感じていることを、
テキトーに書いてみます。
私が最も、
言いたいこと、
それは
「仁義」
っつうもんかな。
「仁」とは、
それは人を
いたわり、
思いやり、
慈しみ、
憐れむ、
そうした優しき心に、
礼儀礼節を重んじる心が、
混ぜ合わさったもの。
だから、
仁を貫き通したくば、
優しき礼の心を持ち続ける、
これが大切と言えるだろう。
そして国が人生の土台であり、
国が異なれば人生が異なる以上、
国を愛するということは、
人を愛するということに等しく、
つまり本来、愛国心というものは、
人を愛する優しい気持ちから湧き出てくるべき心。
だからすなわち、
仁というものが、
優しき礼の心であり、
愛国心が人を愛する優しき心である以上、
仁を貫いて生きれば、
おのずと愛国心もまたあり、
仁を無縁でいきれば、
そこに愛国心もまたない。
そして「義」という言葉がある。
「義」とは、
「我」という文字と、
「美」という文字が組み合わさったものであり、
すなわち「義」とは、
我が人生を美しくして生きていく、
ということの中にある。
だから正義とは、
われわれ人間が、
正しい美しい人生を生きることによって、
社会に、国家に、世界に、
現れていくものであり、
一人一人が、
己の人生を正しく美しく生きれば、
一瞬にして、
国家も、世界も、平和になることだろう。
そして、
「義を見てせざるは勇無きなり」
というが、
これはつまり、
我が人生を美しくしていこうと思い立ちながらも、
逃げ出したり、
怠けたり、
怖くなって、
己の人生を美しくできなっていく、
ということは、
勇ましい心が無いことに他ならない、
という意味だ。
さて、
「仁」
という言葉と、
「義」
という言葉について、
朝、眠く時間が無く、
コーヒーも飲まずに、
テキトーにかいたが、
まぁなんとくな、
真実の仁義がご理解いただけたでしょうか。
この仁も、
義も忘れ去られた世の中で、
少しでも、
優しき礼の心を持ち、
我が人生を美しく生きて、
生涯に悔いを残さんとする、
そんな毎日を過ごしている、
与国秀行です。