芸能人ブログとスポーツ選手ブログについて | 中国に侵略されている日本を護り抜け

中国に侵略されている日本を護り抜け

~この日本には、もう国を護とうろする男はいないのだろうか。武力衝突だけが戦争ではない。すでに中国共産党による情報の戦争、そして侵略は始まっている。眠っている男たちよ目を覚ませ。大和魂よ、蘇れ!そしてこの美し国を護り抜け!~


 「そんなバカな?」と笑うかもしれませんが、確かに今、日本は中国によって侵略され、そして滅びつつあります。

 そして私ばかりではなく、日本中の多くの方が、その国難を訴えておりますが、テレビや新聞といった大手マスコミは報道いたしません。


 一つは、「日中記者交換協定」というものが結ばれているために、日本の大手マスコミは、中国政府が不利になるような報道が行えないからです。

 あるいは一つには、日本の大手マスコミには、すでに中国政府による工作活動によって、中国の息がかかっているために、中国政府の思惑通りの報道ばかり行うからです。

 ですから「テレビ」が未だ大きな力を持っている、この時代において、頼みの綱はインターネットなのです。

 こうしたブログやホームページこそ、この国難を打破して、この日本を救っていく大切な、大切なツールなのです。

 しかしアメブロに訪れている多くの皆さんが、興味あることと言ったら、やはり芸能人ブログ、スポーツ選手ブログなどです。

 それはアクセス数を見れば、一目瞭然です。

 芸能人やスポーツ選手のブログも、平穏無事な時代であるならば良いでしょう。

 しかし聖書には「はじめに言葉ありき」と記されております。

 まず言葉があるのです。

 まず最初に言葉があるからこそ、私たち人間は人間として生きていけるのです。

 私は動物と人間の最も大きな違いは、やはり「言葉」にあると思います。

 人は言葉があるからこそ、複雑なことを学ぶこともできれば、複雑なことを考えることもでき、そして複雑なことを誰かに伝えていくこともできます。

 インターネットの世界には、情報が、そして言葉が溢れております。

 しかしこの国難の時代であるからこそ、どうか、どうか、自分にとって本当に大切な言葉を見つけ出し、そしてその言葉から大切な情報を知り、そして大切な国というものを護って頂きたいのです。

 私たち日本人は、いや私たち人間は、もういい加減、「芸能人」とか、「スポーツ選手」とか、そうした存在が、実はあまり大した存在ではないことに、気がつくべきなのかもしれません。

 押尾学氏、酒井法子氏、市川海老蔵氏、朝青龍氏、タイガーウッズなど、もちろんこうした人々の中には、とてもとても素晴らしい方もおられるでしょうし、それにひきかえ、私など軟弱で、大した男ではありませんが、しかし「有名である」とか、「お金を稼ぐ」とか、「社会的に高い地位にいる」とか、そうしたことでもって、本当の人間の値打ちが測れないことなど、もはや歴史的な事実であります。

 もしも有名であることが、人間として偉大であるならば、人知れず貧しい人々に奉仕活動を開始して、最初は誰にも認められなかったマザーテレサよりも、金正日のほうが偉大、ということになってしまいます。

 それは「お金を稼ぐ」ということでも、「社会的に地位がある」ということでも、同じことが言えるはずです。

 彼が人生で行ってきたこと、それは「父親から独裁国家の主席の座を貰い受け、そして快楽を貪り、暴政をふるい、近隣諸国に多大な迷惑をかけるばかりか、自国の人々を散々殺した」ということです。

 しかしそんな独裁者であっても、預金通帳の残高は、高額でしょうし、有名ですし、海外に行っても国賓として扱われる地位にいます。

 人間として見た時に、タイガーウッズが何百億稼ぐことが凄いのではなく、彼の努力こそが凄いのではないでしょうか。

 人は生まれながらにして、やはり才能を持っている人と、才能を持っていない人がいるでしょう。

 モーツアルトのように五歳で作曲できる人もいれば、何年経っても作曲できない人もおりますから、やはり生まれながらの才能の違い、というものはあるでしょう。

 しかしただ漠然と才能を偉大と賞賛するのみならず、その才能をこの人生において、いかに努力して、いかに伸ばしたか、ということこそ、私たちは賞賛するべきではないでしょうか。

 歌舞伎役者の家に生まれたことをもって、ただそれを偉大であると賞賛するのではなく、この人生の中で、涙と汗を重ねて、生まれた時より持っている才能をさらに伸ばす、これこそ我々は目を見張って見つめるべきだと思うのです。

 大金持ちの家に生まれて、その財産をただ両親から受け継ぎ、資産の量に目を見張るのではなく、努力の量にこそ我々は目を見張り、賞賛を送るべきであると、私はそのように考える者であります。

 そしてその努力が、人々の幸せにかない、世の中を平和にし、明るくしていくものであるか、それともその努力が、人々を不幸せにし、世の中に破壊と闘争をもちきたらし、暗くしていくものであるのか、その事実をさらに目を凝らしてみるべきであると、私は常々、考えております。

 たとえば、人間を売り買いする奴隷売買で儲けている大金持ちの一家があったとして、その一家の長男として生まれ、資産を受け継いで、その長男がさらに努力して、奴隷売買をさらに広げていった時、一体、誰がその長男を賞賛することができるのでしょうか。

 それでは金正日を賞賛しているのと、何ら変わりがありません。

 そうではなく、たとえ奴隷売買の大金持ち一家の長男として生まれようとも、「自分はこの商売を世の中から無くし、別の商売を行って、人々に役立ちたい」と、そう努力したら、多くの人がその者を賞賛すると思うのは、決して私一人だけではないはずです。

 才能は素晴らしいものですが、努力と才能の発展に目を向け、そしてその努力の方向にも目を向ける、この作業が、この日本のみならず、世界に欠けているように、私は思うのであります。

 そのために、この日本の国難の時代において、多くの人が国難の事実を訴えているにもかかわらず、いつまでも、いつまでも国難の事実は広まらず、芸能人ブログやスポーツ選手ブログにばかり、アクセスが集中して、この日本が滅びようとしているのだと、私はそう考えております。

 この今ある日本の国難を、さらに大きな国難にしているのは、他ならない私たち日本国民なのです。

 私たち日本国民が、小国難を大国難にしているのです。

 ならばその大国難を小国難にするばかりか、国難を打破していくのも、他ならない私たち日本国民です。

 私たち日本国民の芸能人やスポーツ選手に対する考え方、才能や努力に対する考え方、さらには努力の方向性について、考え方を改めることができた時、自然と国難の事実は日本中に広まり、国難が打破されるばかりか、この国はさらに発展繁栄していくことでしょう。

 ですから、お金ということについて、名誉ということについて、地位ということについて、あるいは努力や才能ということについて、さらには努力の方向性ということについて、ほんの少しだけ考えて頂けたら幸いであります。

 なぜならそれが、国難打破に結びつき、この国を救っていくものだと、私はそう考えているからであります。

 もう一度、言います。

 はじめに言葉があったのです。

 人間は言葉があるからこそ、複雑なことを学び、複雑なことを考え、複雑なことを伝えることができるのです。

 そしてもしも、いまだこの国難について気ついていないのならば、どこか↓このブログをごらんになってください。

「日本最大の国難」
http://ameblo.jp/masuraonokaze/