「男」。
この国の軟弱で、
無関心で、
利己的で、
そして手弱女(たおやめ)ような
そんな腐った男ばかり見ていると、
語りたくも無いが、
しかし
「今という時代は、
男について語らねばならない時代だ」
などと、そう思えてくる。
なぜなら、この国は今、
歴史始まって以来の
最大の国難を迎えているにも関わらず、
多くの男たちが
その国難の事実にすら気づかず、
たとえ気づいたとしても、
勇気を持って立ち上がろうとしないからだ。
その国難の状況については、
詳しく『日本最大の国難』という
ブログや書籍の中で、
すでに述べているので、
どうかそちらをご覧になって頂きたいが、
しかしその国難は決して、
北朝鮮の核開発や中国の覇権主義によるものではない。
中国・北朝鮮が暴走を続けることは、
確かにこの国にとって脅威ではあるが、
しかしそれはかつて、
モンゴル帝国が日本に攻めてきた時の国難、
あるいは日本がアメリカに戦争で負けて、
国が壊滅状態に陥った時の国難に比べたら、
決して中国や北朝鮮の脅威は、
「日本最大」と形容するほどのものではない。
日本最大の国難、
それは中国の覇権主義が迫り、
北朝鮮の核の脅威が進む中で、
日本の男たちが、
まるで他人ごとのように眠り続けていることである。
男たちが眠り続けていること、
それこそが日本最大の国難だ。
男にはやらねばならないことがある
たとえば、
もしも泥棒が家に入ってきたら、
誰が真っ先に立ち向かうべきだろうか?
まぁ、今という時代ならば、
セキュリティシステムが発達しているために、
家のどこかに身を潜めていれば、
警備員が駆けつけてくれるだろうから、
「軽率な行動は慎んだほうが安全」、
ということもあるが、
仮にセキュリティシステムが整っていなかったとして、
そして家族の身に危険が及びそうな状況にあったとして、
誰が泥棒に飛び掛るべきだろうか?
それはやはり父親、
あるいは長男が身の危険をかえりみずに、
家族を守ることが義務と言えるだろう。
このように、
「やはり男にはやらなければならないことがある」
と、そう言えるわけだ。
言葉を変えれば、
「男とは戦わなければならない生き物である」
とも言えるだろう。
もちろん
「仕事をして家族を養う」、
ということもそうであろうし、
「父親として子を育てる」、
ということもそうであろう。
しかし、しかしだ。
そうした「個人的な使命」、
「個の使命」だけではなく、
「天下国家に対する使命」、
「公の使命」というものが、
やはり男にはある。
それは国を護り、時代を進めていく、
という「使命」だ。
ではもしも仮に、
世に生きる全ての男たちが、
この「公の使命」を忘れて、
国に対して全くの無関心になり、
時代にも無頓着で、
自分が持てる力を、
全て富を稼ぎ出すことや、
位人臣を極めること、
あるいは酒や女や娯楽に使っていたら、
果たして誰が国を護り、
誰が時代を進めていくというのだろか。
女性だろうか?
確かに世の女性たちの中にも、
勇ましい方はおられる。
あるいは女性らしくつつましやかでありながら、
それでも国を護り、時代を進ませる、
という仕事に向いている方も、
たくさんいらっしゃることだろう。
だからそれはそれで、
当然のことながら素晴らしいことだ。
私はそうした勇ましい女性、
あるいは女豪傑、
もしくは女性でありながらも
男の中に混じって世に立つ人を尊敬する。
ではもしも仮に、
世の女性たちが、
国を護り、時代を進ませる、
という公の仕事に励んだら、
今度は果たして誰が家を守り、
誰が子供を育むというのだろうか。
男たちがスカートをはいて、
エプロンをつけて、
家事と育児に専心するとでもいうのだろうか。
女性たちが、
坂本竜馬のように、
刀でブッダ切られるかもしれない危険を覚悟で、
国を護り、時代を進ませようとしているというのに、
世の男たちは、ただ指をくわえて、
それをゴルフやカラオケでもしながら、
遊んで見ているとでも言うのだろうか。
それとも女性たちが、
吉田松陰のように首を刎(は)ねられる覚悟で、
天下国家のために生きているというのに、
世の男たちは天下国家のことを何も考えず、
家事と育児をしながら、
妻の帰りをじっと家で待っているとでも言うのだろうか。
もちろん男も家を守り、
子供を育むべきであり、
女性も国を護り、
時代を進めるべきであり、
「人」という漢字が互いに支えあって
一つの漢字になっているように、
妻と夫、
あるいは男と女は互いに協力し合い、
支え合うべき存在と言えるだろう。
しかし、
これは一概に言い切ることはできないし、
男女に優劣の差などあるわけもないが、
しかし私が仏陀から教わったように、
やはり男女には、
肉体にも違いがあるように、
魂の傾向性にも違いがある。
つまり全体的に見て男女の心の傾向性は、
男性の方が国家と時代に対して向いているし、
そして女性の方が家庭と子供に対して、
向いている、
とそう言えるわけだ。
そして
国家、
時代、
家庭、
育児、
これらを男女が互いに協力していくことによって、
世界には平和がもたらされていくのではないだろうか。
男が家族を守り、
家族を養うという「個の使命」と共に、
国を護り、時代を進めるという
「公の使命」をも果たし、
そしてその時、
その妻は家庭を守り、
子どもを育てながら、
夫を影で支えることによって、
「個と公の両使命」を果たしている、
と言えるだろう。
すなわち我々男には、
やらねばならないことがたくさんあり、
そして我々男とは、
その重責や苦しさに時に嘆きたくなることもあるが、
しかし我々男とは、
決して人前で愚痴を述べたり、
嘆くことは許されず、
ましてや人前で涙など見せられぬ、
そんなつらい生き物であり、
我々男とは、
何とも損な生き物なわけである。
このように、
男という生き物には、
個人的にもやらなければならないことがあるが、
天下国家のためにも、
やらねばならないことがあるというのに、
しかし多くの日本の男たちが、
中国と北朝鮮の脅威にすら気づかず、
たとえ気がついたとしても、
勇気をもって立ち上がろうともせず、
いつまでも眠り続けたままである。
こうした日本最大の国難だからこそ、
私は今、
「男」というものについて語りたい。
だがしかし、
「男について語る」、
これは何とも気恥ずかしいものだ。
なぜなら男について語る時、
やはり自然と、
「男、男」と、
そう連呼しなければならないからである。
そして「男、男」と何度も連呼すると、
まるで自分が、
「男に憧れていて、
未だ男に成り切れていないガキやカマ野郎」
になったみたいで、
何とも恥ずかしいものだ。
ガキの頃、
そう、
あれは東京都内で
派手に暴れまわっていたあの愚かな頃、
酒を呑むと、
「男、男」と幾度も連呼している者を見て、
かつての、
今よりも遥かに心貧しい私は、
「コイツはまだ男に憧れているだけの、
ただのカマ野郎だ」
などと、
そう思ったものだが、
しかし時代は移り変わって、
今度は私が「男」について語る。
なぜならこの国は今、
「個の使命」と共に
「公の使命」をもまっとうする、
「本物の男」を欲しているからだ。
ゆえにこそ、
これから私は、
男について語っていくが、
しかし私は決して、
どこかの誰かを責め立てる気持ちなど、
毛頭ない。
なぜなら
私ごとき者が、
世の男たちを責め立てることなど、
微塵もできないからだ。
なぜなら、
この私自身も、
かつては男に成り切れていなかったのだから。
このブログが、
誰かが本物の男になっていく一つの縁になること、
あるいは女性たちが、
世の男を見定める目を肥やす縁になることを祈念して、
私も精神誠意、言葉を綴(つづ)っていきたいと思う。
という出だしで始まるブログと電子書籍を、
ただ今、製作中です。
「iPad」も売れてますし、
来年には「kindle」も発売されますからね。
はっきり言って、
これは「出版界の大革命」ですよ。
「そうは問屋が卸さない」
という言葉にもあるように、
日本の出版界は、
なかなか流通させることが難しかったんですが、
もう出版問屋も、
そして書店も、
ほとんど要らなくなってしまいます。
「出版社と消費者が直接結ばれる時代」
が、
いよいよ来年から本格的に始まります。
つまりこれからの時代は、
良書を書いて、
そしてそれをいかに宣伝していくか、
それが問われる時代が始まったわけです。
まぁとにかく、
本当の男はってぇのは、つらいんです。
なぜなら、
「外にでたら男には七人の敵がいる」
と言われているように、
男ってぇ生きモンは、
戦わなければならない生きモンだからです。
個人的にも、
そして天下国家のためにも。
渥美清の「男はつらいよ」
ん~あの映画、私は好きだし、
うちの親父なんて、
あんな感じのフーテン親父ですが、
やはりあの映画の中の寅さんは、
恋ばっかりして、
そして次から次へとフラれて、
天下国家にゃ生きていませんよ。
だから寅さんは、
厳しいものの見方したら、
男としての本当のつらさをまだ知らねぇんじゃねぇかな。
ただ寅さんの言うように、
「顔で笑って腹で泣く」
それが男ですよ。
とかく 西に行きましても
東に行きましても
土地 土地の
お兄貴さん お姐さんに
ごやっかいかけがちな若造です
以後 見苦しい面体
お見知りおかれまして
今日こう万端ひきたって
よろしく おたの申します。
とにかく、
ただ今 わたくし、
ブログと電子書籍を製作中です。
お見苦しい面体もありますが、
それまでの間、
「日本最大の国難」を
どうぞ よろしくおたの申します。