「与国さんのブログは、
いつも興味深い内容ばかりでとても勉強になります。
自分も典型的な無神論者で、
霊等も全く信じていなかったのですが、
与国さんのブログを読み始めてから、
最近では考え方が変わり始めてきました。
ここ最近禁欲生活を始めました。
そのことを自分のブログで綴ってるので、
アドバイス頂けないでしょうか?
どうかよろしくお願いしますm(..)m」
ある仏教の修行僧二人が、歩いていた。
すると橋の無い川に辿り着き、
一人の女性が渡れずに困っていたという。
「修行僧は女性に触れてはならない」
という戒律が、彼らの中にはあったそうだが、
しかし一人の僧侶が、その女性を抱きかかえて、
水の中に入り、川を渡らせてあげたそうだ。
そしてまた修行僧二人は、歩き始めた。
そして数時間が経過した時、
一人の僧侶が、
「お前はさっき、女性を抱いた!」
と叱責したそうだ。
すると女性を抱きかかえて、川を渡らせてあげた僧侶は、
こう言ったという。
「なんだ、まだお前は、あの女を抱いていたのか」と。
食欲、睡眠欲、性欲、
これらは決して悪のものではない。
これらを全て否定して、
人間が生きていけるはずもなく、
また人類の発展と繁栄も、そこにない。
しかし過ぎた食欲は、
健康を害し、動きを鈍らせ、
仕事さえ行わせなくなってしまう。
過ぎた睡眠欲は、
はっきり言って怠け者であり、
堕落に通じているとしか言いようがない。
過ぎた性欲は、
家庭を壊し、
性犯罪などを起こせば、
人生を台無しにすることさえありうる。
食欲、睡眠欲、性欲、
これらは決して悪のものではないが、
過ぎた食欲、睡眠欲、性欲は、
悪そのものである。
また「欲」というものは、
なにも肉体に関係するものだけではない。
地位欲、名誉欲、出世欲なども欲である。
地位、名誉、出世を求めること自体は、
決して悪ではない。
何らかの社会的な地位があればこそ、
人は食事や仕事にありつくこともできる。
ありもしない汚名など、
そうした不名誉なことは誰でも嫌うべきである。
出世するということは、
より大きな仕事ができて、
人々の役に立つこともできる。
だから地位欲、名誉欲、出世欲、
これらそのものが悪なのではなく、
「地位が全て、
名誉が全て、
出世が全て」
などと考えて、
これらだけを求めて生きていくところに、
やはり一つの悪があると言える。
お分かりだろうか?
つまりは禁欲そのものが、
正しいと言えるわけではないのだ。
悪なるものは、
過ぎた欲望によって、
人生を堕落させ、
何ら愛に生きることを忘れることである。
すなわち執着こそ、
悪であり、禁欲は完全な善ではなく、
神仏への信仰と無償の愛こそ善である。
人間が草花のように、
太陽の光を浴びて、ただ光合成するだけで、
生きていける存在ならば、
禁欲もまた善かもしれぬが、
しかし人間は複雑な生産活動を行わなければならず、
その中において、
多少の食欲、睡眠欲、性欲、
地位欲、名誉欲、出世欲は認めざるをえないのである。
「欲は善であって悪である」
そしてこうした偏らない生き方を仏教では、
「中なる道を歩む」
という意味から中道と言う。
王子であったゴーダマ・シッダールタはかつて、
悟りを開こうと出家をし、
そして断食をしたり、
眠らなかったりと、
そうした肉体苦行に明け暮れていた。
しかし肉体を痛めつけ、苦しめぬいたところで、
悟りの縁(よすが)は無いと悟られた。
その一方で、
王宮での肉体を喜ばせる生活にも、
悟りの縁は無いと悟られた。
そして極端な偏った生活ではなく、
苦楽中道の中にこそ、
悟りの縁はあるのだと悟り、
仏陀と成られたという。
ですからかつて貴方は、
霊を信じず、
無神論者であったそうだが、
私ごとき未熟者から学ぶのではなく、
また自我力で悟ろうとするのでもなく、
どうかきちんと真理を学習して、
中道を歩んで頂きたい、
これが私の本音である。
お分かり頂けただろうか?