禁欲とは善なのか?という質問に対して。 | 中国に侵略されている日本を護り抜け

中国に侵略されている日本を護り抜け

~この日本には、もう国を護とうろする男はいないのだろうか。武力衝突だけが戦争ではない。すでに中国共産党による情報の戦争、そして侵略は始まっている。眠っている男たちよ目を覚ませ。大和魂よ、蘇れ!そしてこの美し国を護り抜け!~

「与国さんのブログは、
 いつも興味深い内容ばかりでとても勉強になります。

 自分も典型的な無神論者で、
 霊等も全く信じていなかったのですが、
 与国さんのブログを読み始めてから、
 最近では考え方が変わり始めてきました。

 ここ最近禁欲生活を始めました。
 そのことを自分のブログで綴ってるので、
 アドバイス頂けないでしょうか?

 どうかよろしくお願いしますm(..)m」




ある仏教の修行僧二人が、歩いていた。


すると橋の無い川に辿り着き、
一人の女性が渡れずに困っていたという。


「修行僧は女性に触れてはならない」
という戒律が、彼らの中にはあったそうだが、
しかし一人の僧侶が、その女性を抱きかかえて、
水の中に入り、川を渡らせてあげたそうだ。


そしてまた修行僧二人は、歩き始めた。


そして数時間が経過した時、
一人の僧侶が、
「お前はさっき、女性を抱いた!」
と叱責したそうだ。


すると女性を抱きかかえて、川を渡らせてあげた僧侶は、
こう言ったという。


「なんだ、まだお前は、あの女を抱いていたのか」と。


食欲、睡眠欲、性欲、
これらは決して悪のものではない。


これらを全て否定して、
人間が生きていけるはずもなく、
また人類の発展と繁栄も、そこにない。


しかし過ぎた食欲は、
健康を害し、動きを鈍らせ、
仕事さえ行わせなくなってしまう。


過ぎた睡眠欲は、
はっきり言って怠け者であり、
堕落に通じているとしか言いようがない。


過ぎた性欲は、
家庭を壊し、
性犯罪などを起こせば、
人生を台無しにすることさえありうる。


食欲、睡眠欲、性欲、
これらは決して悪のものではないが、
過ぎた食欲、睡眠欲、性欲は、
悪そのものである。


また「欲」というものは、
なにも肉体に関係するものだけではない。


地位欲、名誉欲、出世欲なども欲である。


地位、名誉、出世を求めること自体は、
決して悪ではない。


何らかの社会的な地位があればこそ、
人は食事や仕事にありつくこともできる。


ありもしない汚名など、
そうした不名誉なことは誰でも嫌うべきである。


出世するということは、
より大きな仕事ができて、
人々の役に立つこともできる。


だから地位欲、名誉欲、出世欲、
これらそのものが悪なのではなく、
「地位が全て、
 名誉が全て、
 出世が全て」
などと考えて、
これらだけを求めて生きていくところに、
やはり一つの悪があると言える。


お分かりだろうか?


つまりは禁欲そのものが、
正しいと言えるわけではないのだ。


悪なるものは、
過ぎた欲望によって、
人生を堕落させ、
何ら愛に生きることを忘れることである。


すなわち執着こそ、
悪であり、禁欲は完全な善ではなく、
神仏への信仰と無償の愛こそ善である。


人間が草花のように、
太陽の光を浴びて、ただ光合成するだけで、
生きていける存在ならば、
禁欲もまた善かもしれぬが、
しかし人間は複雑な生産活動を行わなければならず、
その中において、
多少の食欲、睡眠欲、性欲、
地位欲、名誉欲、出世欲は認めざるをえないのである。


「欲は善であって悪である」


そしてこうした偏らない生き方を仏教では、
「中なる道を歩む」
という意味から中道と言う。


王子であったゴーダマ・シッダールタはかつて、
悟りを開こうと出家をし、
そして断食をしたり、
眠らなかったりと、
そうした肉体苦行に明け暮れていた。


しかし肉体を痛めつけ、苦しめぬいたところで、
悟りの縁(よすが)は無いと悟られた。


その一方で、
王宮での肉体を喜ばせる生活にも、
悟りの縁は無いと悟られた。


そして極端な偏った生活ではなく、
苦楽中道の中にこそ、
悟りの縁はあるのだと悟り、
仏陀と成られたという。


ですからかつて貴方は、
霊を信じず、
無神論者であったそうだが、
私ごとき未熟者から学ぶのではなく、
また自我力で悟ろうとするのでもなく、
どうかきちんと真理を学習して、
中道を歩んで頂きたい、
これが私の本音である。


お分かり頂けただろうか?