大和魂が白人優越思想に風穴を開けた | 中国に侵略されている日本を護り抜け

中国に侵略されている日本を護り抜け

~この日本には、もう国を護とうろする男はいないのだろうか。武力衝突だけが戦争ではない。すでに中国共産党による情報の戦争、そして侵略は始まっている。眠っている男たちよ目を覚ませ。大和魂よ、蘇れ!そしてこの美し国を護り抜け!~

第二次世界大戦当時、
ビルマという国は、
イギリスから植民地支配されていて、
軍隊も外交も財政の権限さえも、

一切認められていなかった。


まさしく彼らは、
欧米列強国、
そして白人たちから搾取(さくしゅ)されていたわけだ。


そこでビルマのウー・ソオ首相は、
イギリスのチャーチル首相に、
「イギリスのために、
 私たちはビルマ人を兵として戦場に送るから、
 その代わりに戦争が終わったら、
 ビルマの独立を認めてほしい」
と頼んだ。


しかし人種差別意識の強かったチャーチル首相は、
論議をすることもなく、
ウー・ソオ首相を追い返した。


次にウー・ソオ首相は、
一筋の希望を持って、ルーズベルト大統領に会うため、
アメリカに渡った。


しかしルーズベルトも、
白人優越主義の思想に取り憑かれていて、
ウー・ソオ首相は、
会うことすら許されず、
三週間も待って、
やがて帰ることになった。


帝国主義の時代は、
かつての白人たちが、
「自分たちこそ優れた人種だ」と大きな勘違いをしていたように、
実はかつての東洋人や黒人の側にも、
「もしかしたら自分たちは劣っている人種なのではないか?」
と、勘違いしていた面がある。


なぜならアジアやアフリカの人々は、
白人たちからの植民地支配を、
黙って大人しく受け入れたわけではなく、
むしろ彼等は、
自分たちの自由と利益を守るために、
そして自由と利益を奪い返すために、
何度も、何度も、抵抗と反乱を繰り返し、
そしてその度に、
彼らは何度も、何度も、
白人たちの持つ進んだ科学兵器の前に、
屈服・鎮圧されてきたからだ。


そのために、
東洋人や黒人といった有色人種の側にも、
「自分たちが白人に勝てるわけがない」
というあきら諦めの思いが、実はあった。


そして
「自分たちは一生このまま、白人たちにさくしゅ搾取され続け、
 そればかりか子々孫々、
 永遠に白人たちに従わなければならないのだろうか?」
と、希望を失い、諦めた想いが、
劣等感へと結びついてしまったことも、
確かにアジアやアフリカにあったのだ。


この頃のアメリカは、
「マニフェスト・ディスティニー」
という名の病にかかっていたと言っても過言ではないだろう。


当時のアメリカは、
「黒人はゴリラの仲間であり、
 黄色人種はサルの仲間であり、
 白人こそ最も優れた人種であり、
 そしてアメリカが領土を拡大することは、
 神から与えられた明白な運命である」
と、真剣に考えていた。

だからまるでライオンがウサギを狩るように、
彼らはアフリカからは黒人を連れ去り、
アジアの国々を次々に植民地支配していた。


フィリピンは十六世紀にスペインに植民地支配されて、
当時のフィリップ王の名前にちなんで、
勝手に「フィリピン」と名づけられ、
三百年以上に渡って圧政に苦しんできたのだが、
次はアメリカによる植民地支配が始まった。

当然のことながらフィリピンの人々は、
自分たちの利益と自由を守るために、
スペインと戦った時のように、
アメリカにも戦いを挑んだ。


しかしアメリカ兵には、
「焼き尽くし、殺し尽くせ」という命令が下り、
六十万人ものフィリピン人が死んだのだ。


アメリカのアルバート・ビベリッジ上院議院は言う。

「我々は世界を支配すべき人種なのだ。
 だから世界の文化文明を担うべく、
 神に託された人種としての使命がある。
 我々はその使命を放棄しない。
 神は我々を選んだのだ。
 我々は野蛮でもうろくした人々(アジアやアフリカの人々)を治めるために、
 政治の達人として創られたのである」


この主張は、アメリカの首都・ワシントンで、
熱狂的に受け入れられた。


アジアでは、
かろうじてタイとネパールだけが、
白人たちからの植民地化を逃れ、
アフリカではエチオピアを抜いて全ての国が、
白人たちによって植民地にされてしまった。


白人たちは、
オーストラリアを植民地支配した際、
数十万人の先住民・アボリジニを大虐殺し、
タスマニア島に住んでいたアボリジニにいたっては、
まるで動物でもハンティングするかのように馬で追い回し、
面白半分で殺したために、
約四千人ほどいたタスマニア島のアボリジニが、
全滅してしまった。


時代をさらに遡(さかのぼ)れば、
1492年、コロンブスはインドに行こうとして、
偶然、アメリカ大陸を発見したが、
現地に住んでいたネイティブ・アメリカンを追いやり、
抵抗する者は虐殺して、
ヨーロッパから大勢の人々がアメリカに移り住んだ。


これは当然ながら、南アメリカも同様だ。


アメリカ大陸は、
北にはカナダやアメリカといった国があり、
南にはブラジルやアルゼンチンやペルーといった国があるが、
これらの国は決して遥か遠い昔から存在していたわけではない。


アメリカ大陸は北も南も、
かつては「インディオ」と呼ばれる先住民たちのものだったが、
しかし北アメリカにはイギリスから、
南アメリカにはスペインやポルトガルなどから、
多くの人々が移り住むことで、
アメリカ合衆国やブラジルやアルゼンチンといった国が誕生した。


だからこそかつての名残で、
ブラジルやアルゼンチンの公用語は、
今でもポルトガル語やスペイン語なわけだ。


これらの国は建国にあたって、
少なく見積もって三千万人、
多く見積もって一億人の先住民たちが、
「アメリカ大陸に生きていた」、
「キリスト教徒ではない」などという理由によって、
殺されてしまったと言われている。


もちろん、その中には、
白人が持ち込んだ疫病によって命を落とした者も少なくない。


そして彼らは黒人を無理矢理、
アフリカから連れてきて、
奴隷として農場で働かせる一方で、
自分たちは遊んで暮らした。


かつての白人たちは黒人を銃や鞭(ムチ)で脅して、
船の中に強引に押し込んでアフリカから運ぶわけですが、
黒人はギュウギュウ詰めにされて、
トイレも行けない劣悪な環境の中で運ばれた。


だから長い航海の中で、
死んでしまう黒人も実はたくさんいた。


病気になった黒人は、容赦なく海に投げ捨てられた。


そして市場につくと、
人間が牛や豚と共に並べられて、
「安いよ!安いよ!」と売られている暗黒の時代、
それが「大航海時代」。


年若い少女が裸にされて売られていることさえ現実にあった。


焼印を押されて売られた黒人たちの運命は、全て持ち主が決めた。


こうして、時代が進むと共に、
白人たちの支配は世界に広がり、
ついにアメリカは日本にまでやってくるわけだ。


実はヨーロッパ・アメリカから、
日本が一番遠かった。


飛行機が無い時代、
陸路、航路で欧米から最も遠いのは、
実はこの日本だった。


そうした白人たちが世界を支配していく時代の中で、
大和魂を胸に秘めた日本だけが、
その流れに抗い、戦った。


ペリーが来航した時、
当時の日本はまだ、近代国家になってはなく、
欧米列強と肩を並べることなど、
到底できなかった。


そのために、
大和魂を持った志士たちによって、
明治維新が成し遂げられて、
日本は近代国家への道を突き進んだのだが、
実は当時の日本は、
世界が500年かけた進歩を、
わずか数十年でやってのけることで、
欧米列強国と肩を並べることに成功しただ。


これは「白人こそ優れている」と考えられていた当時において、
世界中の人々を驚かせた。
そして1919年に「国際連盟」が作られた時、
唯一、日本だけが、
「人種差別撤廃」を、人類で最初に主張した。


当時の日本は「大東亜共栄圏」といって、
「アジアの国々を白人たちの支配から開放して、
 アジアに白人に対抗できる一大勢力を築こう」
と考えた。


実際にインドネシアなどは、
三世紀に渡って植民地支配していたオランダが、
殺戮と搾取を繰り返して、
あまりにも酷かったのだが、
日本人が白人からインドネシアを解放した。


そして日本の敗戦後に再びオランダは、
インドネシアを植民地支配しようとするのだが、
現地に残っていた日本人約2000名の兵士が、
身命を賭して、インドネシア独立のためにオランダと戦い、
そして死んでいった。


彼らは自分の祖国のためではなく、
インドネシアの人々が再び酷い扱いを受けることを、
黙って見過ごすことができなかったわけだ。


そうしたこともあって、
インドネシアの人々は、
今でも日本をどの諸外国よりも愛してくれている。


あるいは台湾では、
欧米諸国が利益を吸い上げて、
搾取していくのに対して、
むしろ日本は、
本国から国家予算の四分の一ものお金を持ち出した。


そして道路、鉄道、水道などのインフラ整備と、
衛生環境の向上や教育も行って、
台湾の発展に尽くしたために、
台湾には今でも親日感情が残っている。


しかも戦後に、
中国大陸からやって来た国民党軍が、
あまりにも酷かったために、
日本の植民地時代を懐かしんで、
「親日感情」はさらに強まった。


国民党軍の酷さは、
「犬が去って、豚が来た」とやゆ揶揄されるように、
日本軍は犬のように国や上官に対して忠実で、
そして礼儀正しく、
しかもきちんと統率が取れているのに対して、
国民党軍はまるで豚のように統率が取れておらず、
傍若無人で賄賂を好み、
礼儀礼節が全くなっていなかったのだ。


どこからどこまでが植民地支配で、
どこからが植民地支配ではないのか、
その定義は大変難しいが、
しかし台湾の人々の中には、
「私たちは一度も日本から植民地支配を受けたことなどない」
と、そう胸を張って語る人もいるくらいだ。


またパラオという国は、
スペインやドイツから九割の人が殺されてしまうほど、
酷い植民地支配を受けていた。


しかし日本は、
オランダ軍をパラオから追いやると、
やはりパラオから利益を吸い上げて奪うことはしなかった。


それどころか、
戸籍制度も学校も無かったパラオに、
日本は学校を建てて、
戸籍制度を作り、教育も行った。


そうしたこともあって、
パラオは戦後に独立を果たすと、
なんと日の丸をモチーフに国旗を作るばかりか、
敬意を払ってあえて日の丸を少し左にずらしているほどだ。


パラオの人々の中には、
戸籍制度が出来た時、
あえて日本人の名前を付けた人もいるくらいだ。


つまり我々日本人のように、
「鈴木」とか、「佐藤」といった苗字を持つパラオ人がいるわけである。


このようにインドネシアや台湾やパラオやビルマなどの国々は、
白人国家から植民地支配を受けているために、
帝国主義の時代が、
どんな時代であり、
そしてどれだけ悲惨なものであったのか、
それをよく知っている。


そして日本の植民地支配が、
利益を搾取することなく、
現地の人々に役立つばかりか、
日本はきちんと謝罪と賠償を行ったこともあって、
こうした国々には、
実は今でも親日感情があるわけだ。


しかし第二次世界大戦当時のアメリカからすれば、
すでに国内では、
黒人は奴隷からは解放されていたが、
まだ黒人が法律的に公然と差別を受けていて、
黒人専用のバスさえあった時代だ。


だから有色人種の国・日本は、
白人たちからすれば、生意気な黄色いサルの国とみ観られていた。


なぜなら彼らは、
本気で「白人は優れている」と考えていたわけであり、
そして彼らからすれば、
自分たちは神の意思に背くことなく、
汗水流して必死に植民地支配を広げているというのに、
もしも黄色いサルが主張している「人種差別撤廃」なんか受け入れたら、
植民地支配そのものを否定することになってしまうからだ。


だから日本人が主張した「人種差別撤廃」は、
全く相手にされなかった。


それにキリスト教が盛んな欧米諸国からしてみれば、
神道という見知らぬ宗教を信じる日本は、
恐怖の対象であったことだろう。


我々日本人が当たり前のように行っている、
賽銭箱に小銭を投げ入れて、
二度礼をして、
拍手を二度打ち、
さらにもう一度礼をする日本人の姿を見て、
排他性の強い彼らキリスト教徒たちは、
「日本は悪魔の宗教を信じている国」と、
どうやら想い込んだようだ。


そして明治維新を遂げた日本が、
欧米諸国と肩を並べるどころか、
追い抜いていく様子を見て、
彼らは必要以上に恐怖にかられ、
「一刻も早く悪魔の国・日本を叩かなければならない」
と、そう感じたのかもしれない。


イギリス首相にも、
アメリカ大統領にも相手にされなかったウー・ソオ首相は、
自分たち東洋人が、
白人たちと戦って勝てるわけもなく、
独立の希望が全く見えない失意の中で、
偶然ハワイに立ち寄った。


そしてある朝、彼は轟音に目を覚まして、窓の外を見た。


そこには日の丸をつけた無数の戦闘機が舞い、
黒煙の立ち上る真珠湾に、
そして基地に襲いかかっていたのだ。
ウー・ソオ首相は、自分が真珠湾で目撃したものが、
しばらくは信じられなかったという。


同じ肌の色をした日本人が、
白人の力と英知の象徴とされていた飛行機を操り、
自分たちを苦しめ続ける白人たちを、
叩きのめしていたからだ。


おびえて逃げ惑う白人たちの光景など、
彼からすれば初めて見るものであり、
それはまったく予想していない光景だった。


黒人同様に、
東洋人も、
とにかく白人たちから蔑まされていたために、
おそらく彼からすれば、
その光景は痛快にさえ見えたことだろう。


『硫黄島からの手紙』という映画が、
話題になったことがある。


日本列島の上陸を企む米兵たちと、
それを阻止しようと戦った日本人がいたわけだが、
その時の米兵のヘルメットには、
何と書かれていたかご存知だろうか。


もちろん全ての米兵ではないが、
中には皮肉まじりで、
「ネズミ駆除業者」というステッカーを張っていたアメリカ兵さえいたのだ。


それほどまでに、
黄色人種に対する差別意識が高い時代だったのであり、
今ではバラク・オバマという黒人大統領が生まれたが、
しかしそんなことなど、
絶対に考えられない時代が、つい最近まであったのだ。


映画俳優のブルース・リーも、
アメリカで暮らしながら、
日常的に受ける人種差別に対して、
いつも怒っていたというエピソードがある。


日本のアメリカやイギリスとの戦いを見聞きしたビルマのウー・ソオ首相は、
「ビルマが白人たちの支配から独立を果たすためには、日本を頼るしかない」
と考えた。


そして彼は日本大使館を訪れて、
その想いを伝えた。


そしてその想いは、日本政府にまで伝えられたのだが、
しかし日本政府内のやりとりの大半は、
実はすでにアメリカのFBIに盗聴・傍受されていたために、
彼はイギリス政府に逮捕・投獄されてしまう。


我々人間は、平和こそを愛し、
戦争を安易に美化するべきではないが、
しかし第二次世界大戦の日本の奮闘によって、
「白人は優れている」という神話が壊れ始めた。


実はアメリカでも、
黒人たちは白人から、日常的に相当蔑まれていたから、
「白人優位の社会を日本が壊してくれている」
と考える人もいたくらいだ。


これは見方を変えれば、
「心病んでいた白人たちを、日本人が目覚めさせ始めた」
と言っても、過言ではない。


いや、
「大和魂が白人優越思想に風穴を開けた」
と言っても過言ではないだろう。


戦争屋であり、戦争を画策してルーズベルト大統領は、
わざとらしく、
「リメンバー パールハーバー」と演説し、
そしてアメリカ国民に、
日本人に対する憎悪をかきたてて、
戦争に参加したが、
しかしタイのククリット・プラモード元首相は、
こう書いている。


「日本のおかげで、アジア諸国は独立を果たした。
 日本という母は、難産して母体を損ないましたが、
 しかし生まれた子どもたちは、すくすくと育っている。
 今日、東南アジアの諸国民が、
 米英と対等に話しができるのは、一体誰のおかげであるか。
 それは身を殺して、仁をなした、日本という母がいたからである。
 12月月8日は、我々にこの重大な思想を示してくれたお母さんが、
 一身を賭して、重大な決心をされた日である。
 我々はこの日を、忘れてはならない」。


つまり、アメリカ国民にとっても、
「リメンバー パールハーバー」だが、
東洋人・黒人にとっても、
「リメンバー パールハーバー」という言葉は、
十分過ぎるほどに当てはまる。


なぜなら、もちろん日本人だけが、
「白人優越思想」を打ち砕いたわけではなく、
各国の東洋人、あるいは黒人たちが、
それぞれ白人に戦いを挑み、
白人優越思想と戦ってきたわけだが、
しかし確かにあの真珠湾の奇襲攻撃から、
東洋人・黒人の「自由」へのカウントダウンが始まったからだ。


ガンジーやキング牧師のように、
偉大なる多くの方々が、
白人優越思想と戦って、
この世界を進歩発展させてきたのだが、
確かに、あの真珠湾攻撃は、
有色人種にとって、
自由へのカウントダウン開始だった。


そして戦後の日本は、
アメリカに骨抜きにされて、
牛耳られることで、
政治面では情けなく、
ふがいない時代を余儀なくされ続けた。


しかしその一方で、
日本は経済に力を入れることができたために、
世界ナンバー2のGDPを誇るようになった。


あるいは戦後、多くの東洋人、黒人が、
人種差別と戦いながら努力し、
そして白人たちと交流を深めることで、
ますます白人優越思想は世界から崩れ去っていった。


こうしたことから、
やがて黒人のアメリカ大統領が生まれる。


『英霊来世』という音楽グループが、
「開戦」という曲の中で、
「日本人なら絶対に忘れるな、1941、12・8」と、
「あのパールハーバーの日を忘れるな」
という意味で歌われているが、
しかし真実を申し上げるならば、
「有色人種なら絶対に忘れるな」という言葉さえ、
実は当てはまるのだ。


オバマ大統領は、ハワイ出身ではあるが、
しかしアメリカ的な教育を施されているために、
おそらく真実の歴史を知らないだろう。


しかし自分が大統領になれたその背景には、
実は大和魂を持った、
かつての日本男児たちの功績がそこにはあるのだ。



ガンジー、キング牧師、ネルソン・マンデラといった、
多くの方々が人種差別撤廃を求めて命をかけて戦ってきたが、
実は大和魂を胸に秘めた日本男児、
そしてそれを影で支えている大和撫子たちも、
有色人種に対する差別意識撤廃のために、
命をかけて戦ったのである。 


何度でも言うが、

大和魂とは平和を愛し、人を愛する不撓不屈の精神である。