平等な世の中を目指して その2 | 中国に侵略されている日本を護り抜け

中国に侵略されている日本を護り抜け

~この日本には、もう国を護とうろする男はいないのだろうか。武力衝突だけが戦争ではない。すでに中国共産党による情報の戦争、そして侵略は始まっている。眠っている男たちよ目を覚ませ。大和魂よ、蘇れ!そしてこの美し国を護り抜け!~

マルクス主義の国に住む、
貧乏に苦しむ大多数の国民たちは、
「共産主義そのものがおかしいのではないか?」
ということに当然気が付き始めました。


しかしマルクスはもう一つ大きな過ちを犯していました。


マルクスは「人間の心」まで踏み込んで考えられなかったために、
時に人間という生き物が、
利己主義となり、自分のことしか考えずに、
他人に対する優しさを失ってしまうことさえあることを、
完全に見落としていたのです。


マルクスは資本主義社会の中で、
嫌というほど利己主義な資本家を見てきたというのに、
彼は不思議なことに、
「社会・共産主義にも利己主義者は生まれかねない」
という簡単な事実を見落としていたのです。


そのために、
ソ連や中国や北朝鮮では、
大多数の国民が貧乏の平等分配をさせられているというのに、
一部の特権階級が生まれて、
決して「平等」にもならなかったのです。


そしてその特権階級の人々は、
やがて暴力的な独裁政権へと変貌を遂げていきました。


なぜならマルクスは
「暴力とは出産の時の陣痛の苦しみのようなもの」と考えて、
「資本主義社会を壊して理想社会を築くためには、暴力は仕方がない」
と主張していたために、
共産主義の権力者たちは、
「理想達成」を大義名分にして、
罪悪感無く暴力でもって、
国民を押さえつけたからです。


共産主義であったカンボジアでは、
ポルポト政権時代に行われた大虐殺によって、
たくさんの骸骨が発見されて、
世界中を驚かせたことがありましたが、
こうしたマルクスの暴力肯定思想によって、
共産国家の権力者たちは、
独裁者へと変貌を遂げて、
暴力に次ぐ暴力によって、

国民を押さえつけてしまったのです。


そして次に共産国家は「言論の自由」を奪いとりました。


それは敵対しているアメリカなどの資本主義国家の繁栄を、
国民に隠すためであり、
独裁者たちの豪勢な生活ぶりを隠すためであり、
そして独裁政権の傍若無人な政策によって、
国民が粛清され続けている事実を隠すためです。


つまりマルクスの考えた世の中には、
貧乏の平等分配が行われると共に、
一部の特権階級が生まれて、
そして独裁政権へと変貌を遂げて、
やがて暴力がはびこり、
言論の自由さえ失われてしまったのです。


そしてマルクスはさらに過ちを犯しました。


それは唯物思想です。


唯物思想とは
「物質しかなく、霊魂など存在せず、人間は物質の集合体である」
という考え方です。


こうした考えであるために、
共産国家の役人たちは人間をたくさん殺めておきながら、
「人を殺しているのも機械を壊しているのと何ら変わらない」
と考えていることがよくあるのです。


つまり
「ナイフで人間を切り刻んでも、
 それは分子と分子の間を、
 刃物という物質が通り過ぎて物が壊れただけであり、
 人を殺したところで、それが一体何の罪なのか?」
と考えてしまうことさえあるわけです。


共産主義のシンボルは「赤」なのですが、
共産国家において、思想的に赤くない人間は不用品なのです。


かつて中国の動物園が、
日本のテレビで紹介されたことがありましたが、
その動物園は、ライオンに生きた草食動物が与えられて、
そしてその食べられる光景を、お客さんが見て楽しむ、
というサファリパークでした。


日本のサファリパークにも、ライオンにエサを与えて、
それをお客さんが見物することがありますが、
当然ながら生きた草食動物が与えられて楽しむことはありません。


この違いは、生命というものを、
「ただの物質のかたまり塊」と考える思想があるか、
それとも生命というものを、
「何か崇高で尊いもの」と考える思想があるか、その違いと言えるでしょう。


そしてマルクスは、
「宗教とはアヘンである」と主張して、
宗教を完全否定したために、
マルクス主義の世の中は、仏教もキリスト教も禁止されています。


それどころか、中国という国は、
儒教や道教の発祥の地であるにも関わらず、
マルクス思想を受け入れたことによって、
その教えは完全にはきちがえられてしまいました。


宗教は教育の原点であり、
そして文明が興隆していく上での原点でもあり、
マルクス自身も善悪を宗教から善悪を学んだはずなのに、
彼は宗教の意味や恩恵が分からなかったのです。


宗教を否定したことから、
社会・共産主義の国々は、
どこも善悪が麻痺した恐ろしい世の中になってしまいました。


そのために共産主義の独裁者たちは、
「自分さえ良ければ構わない」という、
傲慢な考えのもとに、
勝てる見込みさえあればいつでも戦争に踏み切り、
そして殺戮を繰り返してきたのです。


理想的な国家を築こうとして、
共産主義というイデオロギーを生み出したマルクスでしたが、
まさか自分が考えたイデオロギーによって、
実際に国家が運営されたら、
全て暴力的独裁国家になるとは、
彼も想像もしていなかったことでしょう。


マルクスの影響を受けた国が、
もしも小さな国であれば、
人類にとってそれほど災いではありませんでしたが、
しかし残念なことに世界でもっとも国土の広い国と、
世界でもっとも人口の多い国が、
このマルクスの病にかかってしまいました。


そのために社会・共産国家は、
実は第二次世界大戦よりも、
遥かに多くの自国の民を殺し続けています。


その数はなんと一億人以上にものぼり、
悲しいことにあの赤い国旗は血で染められ続けているのです。


最近、中国で人気の歴史家が、
共産主義国家・中華人民共和国の建国の父・毛沢東に対して、
次のように述べて、中国国内を騒がせています。


「毛沢東が、1949年に中華人民共和国を建国して以来、
 彼が行った唯一の良いことは、死んだことである」


このように、
マルクス主義が間違っていたことを、
人類は160年の月日をかけて学んできたわけですが、
しかし決して、資本主義も完璧とは言えません。

え~長いので、次の日記に続きます。