中国大使館にデモしました。 | 中国に侵略されている日本を護り抜け

中国に侵略されている日本を護り抜け

~この日本には、もう国を護とうろする男はいないのだろうか。武力衝突だけが戦争ではない。すでに中国共産党による情報の戦争、そして侵略は始まっている。眠っている男たちよ目を覚ませ。大和魂よ、蘇れ!そしてこの美し国を護り抜け!~

先日、中国大使館に対するデモに参加させて頂きました。


6月4日は第二次天安門事件があった日です。


日本の法律、条令によって、


マイク、拡声器などを使うことはできず、

旗も一本まで、

肉声で想いを中国大使館にぶつけてまいりました。


それは次のような内容です。


「私は日中の真の友好を願う、一人の日本国民です。


 私は中国の文化、歴史、思想などを愛している者であり、


 そして日本人の中にも善人もいれば、悪人もいるように、


 それは中国の方々においても同じであると、


 その事実を知っている者でもあります。


 しかしそれでも、中国共産党の方々に意見があります。


 中国は今、マルクス思想にとり憑かれて以来、


 自分たちの本来の精神をお忘れであると。


 中国は元々、儒教の国でもあります。


 そして儒教の祖、孔子は、


 弟子に『最も大切なことは何か?』と問われて、


 それは『恕(じょ)である』と答えました。


 そしてさらにこう述べました。


 『己の欲せざるところ、人に施すことなかれ』


 恕とは思いやりのことでありますが、


 人に対する思いやりによって礼儀礼節を重んじる思想、


 それが儒教思想です。


 では今の中国共産党政府に、


 思いやり、そして


 自分がして欲しくないことは、他人には行わないという精神が、


 本当にあるでしょうか?


 この儒教の基本的精神を、今の中国政府はお忘れです。


 さらに中国は道教をも大切にしているはずです。


 道教とは老子という方から生まれましたが、


 その道教は無為自然を基本とし、


 つまりは人間の自由性を重んじる思想です。


 インターネットにも規制をかけている今の中国政府は、


 この人間の自由性を重んじる精神をお忘れではないでしょうか?


 そして中国の三大宗教の三つ目は、仏教ですが、


 唯物論であり、そして『宗教はアヘンである』であると考えていた、


 マルクス思想にとり憑かれたことによって、


 今、中国共産党政府は、


 仏教精神を完全にお忘れのようです。


 どうか儒教、道教、仏教の思想、そして精神を取り戻し下さい。


 私は中国を愛し、そして真の日中友好を願い、


 日本と中国、両国の繁栄と平和、そして世界の平和を願う、


 日本を愛する一人の日本国民です。


 どうか、お願いいたします」


とまぁ私が吼えると、次は妻の真澄の番になりました。


彼女も次のように言います。


「私も日本を愛し、そして中国を愛し、


 そして東アジア及び、


 世界の平和を願う一人の日本国民です。


 しかしやはり中国共産党政府の方々に聞いて欲しいことがあります。


 あなた方は、中国国民一人一人が国を愛するように、


 本当に国は、中国国民一人一人を愛しているのでしょうか?


 偉大なる儒教の精神が流れる中国であればこそ、


 今こそ恕の精神、愛を取り戻すべきではないでしょうか?


 中国国民一人一人をきちんと愛するべきではないでしょうか? 


 私も一人の日本人として、


 そして東アジアに生きる者として、


 さらにはこの地球に生まれた者として、


 日本と中国の両国の発展と繁栄と平和を願い、


 そして東アジアの平和と平安を願い、


 地球の平和を願う、


 日本を愛する日本国民であります」


とまぁ、


こんな感じでワンツーパンチを打ちましたが、


まぁ届かないでしょうね。


動画で撮影して、アップすれば良かった。


まぁそのうち、またやります。


危険なことであることは分かっています。


しかしあまりにも、あまりにも、


日本国民が政治に無関心であり、


そして平和ボケして、


チャラチャラ遊びほうけているために、


勇気を持って正論を吐いていかねばなりません。


ワールドカップサッカーが始まるそうですが、


何が「サムライジャパン」なんだが、


さっぱり理解できません。


うちの妻のほうが、よっぽど侍の気がしてしまいます。


たぶんうちの妻のほうが、


その辺の格闘家なんぞより、よっぽど気合が入っていますよ。


リングに上がることはできても、


誰も尖閣諸島には上がれないでしょ?


殺されますから。


拷問を受けて。


でもかつてのクリスチャンではありませんが、


私たち夫婦、いつでも行けます。


俺が殺されることで、


日本国民、あるいは日本男児が目覚めるならば、


その死は文字通り「不朽の意味」があるので、


いつでも死にます。


吉田松陰は弟子の高杉晋作に、

「死してふきゅう不朽の見込みあらばいつでも死すべし。
 生きてたいぎょう大業の見込みあらばいつまでも生くべし」

と教えていて、


そして実際に高杉がその教え通り激しい人生を生き抜いたように、


私も彼らと同じ死生観を持っています。


多くの日本国民、あるいは日本男児は、


宗教とは無縁で生きているために、


「死」というものを「全ての終わり」と捉えることでしょう。


しかし仏教を始めとする宗教に深くたずさわっている私どもは、


全く異なる死生観を持っているために、


「死」というものを、


「地上での人生修行の終わりであり、
 そして新たな生命の始まりでもある」

としか考えていません。


なぜならこれこそ真実であり、そして永遠の真理だからです。


これはキリスト教徒、イスラム教徒、


そして坂本竜馬などの維新志士といった、


神道に触れてきた方々とも共通する死生観です。


人間は死生観が違うために、人生観が異なり、


そして行動が変わり、生き様が異なっていくのです。


坂本竜馬もこう言っています。


「人はことをなすために、この世に生まれてきた。

 しかしこんな時代だ。(幕末動乱のこと)

 ことなかばで命を落とすこともあるだろう。

 それはもしかしたらドブの中かもしれない。

 しかしたとえドブの中であろうとも、

 前のめりで死んでいこうじゃないか」


私も妻も、死を覚悟し、

前のめりで生きてまいります。


日本の平和と繁栄、アジアに生きる人々の幸福、


そして世界がいつの日か平和になることを、


私たちは求めて闘い続けていきます。


なぜならそれこそ、大いなる平和を求める日本の精神、


真の大和魂だからです。


日本人よ、大和魂を蘇らせて、今こそ立ち上がれ!


そして再び、大国中国に対して、


「日出ずる国より、日没する国へ」と発言し、


脅されることのない対等な関係を築いていくべきだ。