男らしさとは何か? | 中国に侵略されている日本を護り抜け

中国に侵略されている日本を護り抜け

~この日本には、もう国を護とうろする男はいないのだろうか。武力衝突だけが戦争ではない。すでに中国共産党による情報の戦争、そして侵略は始まっている。眠っている男たちよ目を覚ませ。大和魂よ、蘇れ!そしてこの美し国を護り抜け!~


与国秀行の徒然日記
黒船が来航して日本の一大事となった時、
吉田松陰はじっとしてはいられず、
死を覚悟で黒船に密航しようと企てました。


一説には、
見聞を広めて欧米列強に植民地にされることのない、
そんな日本を造り上げるためとも、
また一説にはペリーを暗殺するためとも言われております。


しかし松陰の密航は失敗に終わりました。


そして江戸に護送される途中、
松陰は泉岳寺を通り過ぎる際に、
赤穂浪士四十七士と自分を重ね合わせたのか、
次のような句を詠んでいます。


「かくすれば かくなるものと知りながら 已(や)むに已まれぬ 大和魂」

密航などしようとすれば、
この様な結果になってしまうだろうと、
自分でも十分に分かっていたけれども、
しかし私のこの熱い「大和魂」だけはやむことが無く、
囚われの身というこういった結果になってしまった、
松陰はそう詠んだのです。


高杉晋作は師である吉田松陰に、
「男子とはいかなる時に死ぬべきであるのか」
と、そう問うたことがあります。


そして松陰はこう答えました。
「死して不朽の見込みあらばいつでも死すべし。
生きてたいぎょう大業の見込みあらばいつまでも生くべし」


つまり松陰という方は、
自分の教え子たちに、
「男子というものは、いつ死ぬかを問題にするのではなく、
公のためにいつでも死ねる覚悟を決めて、
大業をな為す努力を全力で行って生きろ」
と、そう教えたわけです。


また松陰は自分が処刑される前に、こんな詩を詠んでいます。
「親思う 心にまさる 親心 けふの音づれ 何ときくらん」


つまり
「私が両親を思っている以上に、両親は子の私を思って下さっている。
だから今日の私の処刑の知らせを聞いたら、果たしてどれほどに悲しまれるのだろうか」
と、そう詠んだわけです。


この詩からも分かるように、
この国を築いてきた方々は、
決して死に急ぐ変人や狂人などではありませんでした。


彼らにも親がいて、友がいて、愛する人がいて、
「もっと生きたい」と願う、我等と同様に普通の人間でありました。


しかし大和魂を持った彼らは、
死に急ぐわけではなくとも、死を覚悟で、
時には駄目もとであろうとも、
愛によって公のために生き抜いたのです。


なぜなら本当の勇気というものは、
愛に生きようと死を覚悟したところに存在しているものだからです。


ですから死に急ぐわけではなくとも、
死を覚悟で愛によって公のために生きる勇気の精神、それが大和魂です。


そして愛ある人生を生きたくば、
さらには死を覚悟した勇気ある人生を生きたくば、
人は「愛の価値」と「死の意味」を学ばなければならないのです。


「愛とは何か?」
「死とは何か?」
という問いの答えを何も知らずして、
そこに本当の勇気など実はありません。


「愛とは何か?」「死とは何か?」
ということを何も知らずに存在するもの、
それは傲慢であり、
ただの強がりであり、
偽者の勇気です。


今、日本を始めとする世界中の人々が、

どうやら愛だけではなく、

勇気さえもはき違えているようです。


そして、男らしさとは勇気と智慧です。