オイラたち夫婦は、人から「仲良いね」って言われる。
ん~どうなんだろう。
自分たちが普通だから。
まぁでも確かに、いつも一緒にいる。
別行動なんて、ほとんどない。
ただ、オイラたち夫婦の場合、互いに
「仲良くしよう、仲良くしよう。
二人が仲良くなければ、人生が面白いはずがない」
って常に考えていて、
常に仲良くしようと心がけている。
もちろん喧嘩もする。
喧嘩なんてすると、夫婦の場合、
絶対に互いに互いが、
「自分は正しい。間違ってるのは相手だ。
だから謝るまで許せない。
自分からは絶対に謝らない」
な~んてことを考えるもんだ。
しかしそれでも話し合う。
そして自分の意見、相手の意見を聞いて、
互いに自分の悪いところに気がついたら謝って、
また「仲良くしよう」と頑張る。
人生つまらんから。
夫から見れば妻は「自分」だし、
妻から見れば夫は「自分」だ。
結婚して、苦楽を共にすると、もう自分になっちまう。
その自分と仲良くないことほど、
人生がつまらんことはない。
だから喧嘩なんて、たまにするけど、
必ず仲良くなる自信がある。
夫婦喧嘩なんかすると、
どんな妻でも、夜叉に見えるもんだ。
どんな夫でも、卑怯者に見えるもんだ。
前に「心晴れた美しさ」って記事の中で、
一人の女性が、天女にも、夜叉にも見える仏教の話をしたが、
オイラ思うな。
もちろんその人間が持っている人間性も問題だけど、
夫は自分の心や生き方次第で、
妻を天女にも夜叉にもしちまうんじゃねぇかって。
妻は自分の心や生き方次第で、
夫を紳士にも卑怯者にもしちまうんじゃねぇかって。
だから大切なのは、自己責任だな。
まず自分に悪いところが無いか、それを見定めて、
互いに成長していくことが、大切なんじゃないだろうか?
出世や酒や女の色香や博打に狂って、
自分の妻を苦しめちまったら、
結局、不幸せになるのは自分じゃないだろうか?
むしろ互いに、互いを大切にして、
優しく生きることに努めて、
夫婦仲良く過ごすことができたら、
自分が幸せになれるんじゃあないだろうか?
だからオイラの場合、
妻の幸せのため、そして自分の幸せのために、
まぁ自分なりにではあるけど、
仲良くしようって腹に決めてる。
目、耳、口という三重苦の障害を持っていた
ヘレン・ケラーは言ったよ。
「私は神様が、たくさんくれたもののうちで、たった二つ、
見る力と聞く力が無かっただけです。
私は幸せです」
そうしたことを受けて、「幸せの青い鳥」を書いた
メーテルリンクという作家の夫人は、
彼女に質問したそうだ。
「本当に貴方は幸せなんですか?」ってさ。
するとヘレンは、堂々と言った。
「はい、私は幸せです。
もしも私の人生が不幸せであるのならば、
私の人生は全て失敗でした。
そうであるならば、私は今すぐにでも、
ナイフで胸を突き刺すか、毒をあおって死ぬべきです」
そうした彼女の自信と覚悟を目の当たりして、
メーテルリンクの婦人はこう言った。
「つまらぬことを聞いた私が間違いでした。
幸せの青い鳥を見つけたのは、まぎれもなく貴方です」
チルチルとミチルが世界中を探し回ったけど、
幸せの青い鳥は見つからなかったんだ。
だけどさ、あきらめて、
家に帰ってきたら、幸せの青い鳥はいたんだぜ?
メーテルリンクは、オイラたちに、
幸せって家庭にありますよ。
あたりまえのことの中にありますよ。
出世や酒や女や博打なんかに狂って、
家庭を壊しちまったら、
駄目ですよってオイラたちに教えてくれてんのかもな。