花と蜂蜜。 | 中国に侵略されている日本を護り抜け

中国に侵略されている日本を護り抜け

~この日本には、もう国を護とうろする男はいないのだろうか。武力衝突だけが戦争ではない。すでに中国共産党による情報の戦争、そして侵略は始まっている。眠っている男たちよ目を覚ませ。大和魂よ、蘇れ!そしてこの美し国を護り抜け!~


与国秀行の徒然日記
世界は相変わらず、
飢えや貧困に困ってる一方で、


どこかの一個人が、タテマエ上は、
「愛」や「平和」という言葉を口にしながらも、
何億ドルも資産を持っていたりと、
やっぱり矛盾がある。


一体、どうすりゃ、貧しい人にパンが行き渡るのか?


マザー・テレサは、
サリーと草履しか持たずに、
貧しい人々に愛を与え続けたが、
じゃあ、どうして彼女にはそんなことできたんだろうか?


そりゃあ、
「彼女が聖人だった」と言っちゃあ、
もともこもねぇが、


何が違うって心が違うんだけど、
やっぱり「幸福観」、
あるいは「価値観」が違うんじゃあないだろうか?


ここで、どうか考えて頂きたいんだ。


本当にロマネコンティが美味いかどうか。


本当に一流シェフが作る料理が美味いかどうか。


人間の舌なんざぁ、実はそんなに繊細じゃあない。


日本で有名な某一流ソムリエも、
何十万円の高級ワインと、
数千円のワインを見抜けなかったくらいだ。


「舌が肥えている」と自慢のセレブマダムも、
子どもに適当に料理作らせて、
それを見栄え良く盛り付けしたら、、
「素晴らしい味付けです」だって。


人間の味覚は、実はあんま大したことねぇんだ。


満腹の時に食う、
フォアグラのソテーよりも、
空腹の時に食う、
カップラーメンの方が美味かったりするもんだ。


「いや、空腹の時に食う、フォアグラのソテーが美味い」
って考え方もあるだろけど、

でも食事に執着してると、太るぜ。


そして太れば、健康を害す。


健康を害せば、そりゃあ人生は辛いもんだ。


だから食事にこだわって執着せずに、

健康に気を使って大切にした方が、

実は人生は楽しく生きられるんじゃないだろうか?


一人で飲む高級ワインなんかより、
みんなで呑む下町のナポレオンの方が、
本当は楽しくて、
笑いに溢れてるんじゃあないだろうか?


人間の本当の喜びってぇのは、
高級ワインや食事にあるんじゃなくて、
人間関係にあるんじゃないだろうか?


妻や夫、子供や両親、兄弟や友人など、
そうした人々との触れ合い、
優しい心と優しい心が互いに密接に関わるからこそ、
人は真の喜びを享受して、
幸福を味わうんじゃあないだろうか?


つまり、確かに人間関係というものは、
時に大きな苦しみにもなったりするが、
時には大きな喜びにもなり、
人間の本当の幸福は、
人間関係の中にこそあるんじゃあないだろうか?


そして人間関係を、喜びにしていくものこそ、
己の心であり、人間としての成長なのではないだろうか?


確かに誰でも働きづめで、
息つく暇なく努力し続けたら、
そりゃあ疲れちまう。


たとえ志を持って、天下国家のために生きようとも、
たまには花を見て楽しむゆとりがなけりゃあ、
そりゃあ、心が疲れちまう。


だからたまには「休息」が必要であり、
オイラも、たまに心休めに酒を喰らう。


しかしさ、毎日、毎日、酒飲んで遊んでたら、
そりゃあ「休息」じゃなくて、
ただの「快楽」じゃあないだろうか?


「休息」は、
自分がさらに働いて、
努力していくために必要だが、


「快楽」は、
努力することを忘れて、
ただ堕落してんじゃあないだろうか?


一杯の酒が、
休息にもなれば、快楽にもなり、
努力にも繋がれば、堕落していくことにもなるのかもしれないな。


こりゃあ、なんとも難しい。


こうしたことを考えた時、
「快楽と優しさは矛盾している」
って言えるね。


もちろんマザーテレサは酒は飲まないが、
もしもマザーテレサが、
まったく休息をとらずに働き続けていたら、
それじゃあ彼女も死んでしまう。


しかしもしも彼女が快楽に没頭していたら、
彼女から愛を与えられずに苦しむ人々がいる。


この「快楽と優しさは矛盾する」ってことは、
なにもマザーテレサのような
大きな愛だけに当てはまることではなく、
十分に一般家庭にも言えることかもしれない。


父親がギャンブルば~っかりしてたら、
家族はどうなるだろうか?

母親がゴルフ三昧で遊んでば~っかりいたら、
家庭はどうなるだろうか?


父親にも、母親にも、
当然ながらたまには休息は必要だけれども、
休息ではなく快楽に没頭した時、
家族や家庭に対する優しさを
実は忘れているんじゃあないだろうか?


優しい人、
それは休息することはあっても、
快楽に没頭することはなく、
うまずたゆまず努力精進して、
人に愛を与え続けようとする人ではないだろうか?


そしてあんまりにも世界が快楽的だから、
いつまで経っても
飢える人が後を絶えないのかもしれないな。


「花を見るゆとりを持つことと、
 蜂蜜に酔いしれて、
 足もとふらつかせるのはわけがちがう」
そう言えるんじゃあないだろうかね。