愛と執着と自由と悪 | 中国に侵略されている日本を護り抜け

中国に侵略されている日本を護り抜け

~この日本には、もう国を護とうろする男はいないのだろうか。武力衝突だけが戦争ではない。すでに中国共産党による情報の戦争、そして侵略は始まっている。眠っている男たちよ目を覚ませ。大和魂よ、蘇れ!そしてこの美し国を護り抜け!~


御統会


前に「執着」と「弱さ」ということについて書かせてもらったけど、
あの続きになるかな。

読んでいない人は↓コチラをどうぞ。
http://ameblo.jp/misumarukai/entry-10435385593.html

かなり昔になるが、
十代の娘を持つ母親が、
「私は娘が心配で、心配仕方がありません。
 だからついつち厳しくしちゃうんです。
 これも執着なんですかねぇ~」 と質問してきた。

だからオイラ、こう答えた。

そりゃあ執着じゅあないですよ。

だってお母さん、 幼い子どもを育てるのは、親の仕事ですから、

それは子どもに執着してるんじゃなくて、

母としての責任を感じて、

自分の仕事をまっとうしようとしてるんですよ。

それは愛です。

人間、十五、六になりゃあ脳ミソも体も、確かに大人ですよ。

だけどやっぱりまだまだ足りませんよ。

そりゃあ経験と心の修行がね。

だから子どもが「自分は大人だから」と思って判断を下すと、

のちのち、とんでもないことになっちまうこともあります。

大人なら色々と人生経験踏んで、
「そういった判断をしたら、この先、こうなる可能性が高いな」と、
先を読むことがある程度はできるけれども、

残念なことに子どもにはそれができないことがある。

そして子どもが希望に胸を膨らませて判断すると、

時と場合によっては、とんでもなく痛い目に会うこともある。

時には取り返しのつかない大事件を起こしてしまうかもしれない。

だから自由奔放に子ども時代を過ごしたオイラが言うのもなんですが、

やはり少~しは、子供に門限を与えて、

厳しくして、自由を奪い取ることも重要ですよ。

まだ未熟な子どもを、悪や過ちから守るためにね。

自由を与えることが、必ずしも正しい愛とは限らず、
相手が幼い場合、
自由を奪いことも愛になることがあるんですよ。

だからそれは愛であって、執着じゃあないですよ。

と、そんなことを教えてあげたことがあった。

そしてその後に、こう続けた。

それでね、子どもが二十歳過ぎて、

三十過ぎて、四十過ぎても、

それでも小学生や中学生のように我が子に対して、
「○○ちゃん、何時までにはきちんと帰ってきなさいよ」
なんて言って自由を奪ってたら、

そりゃあその愛に問題がありますよ。

子どもの成長に従って、両親も成長して、

少しずつ互いに親離れと子離れしなかったら、

互いに不幸せになることがありますから、 そりゃあ執着かもしれませんね。

そんなところの家に嫁にきたら、

そりゃあ嫁姑も問題が勃発しそうですからね。

親が子を思う気持ちは、いくつになっても変わりませんが、

愛の形は変わっていきますよ、そりゃあね。

と、こんな話を、酒を飲みながら話したね。

今、アメリカじゃあ、 十代の少女の妊娠が流行っているそうだ。

ん~わからん。

おそらく自由の国アメリカのことだから、

子どもに自由を与えるこが、正しい愛だと思ってんだろう。

それでみんなが幸せになるならいいんだけど、

問題なのは、夫となる男がまだ若くて、というよりもガキで、

遊びたい盛りだってことだ。

そのために、苦しみを抱えている少女やその子どもも少なくない。

もちろん、逆のパターンもあるだろうけど。

人はね、自由を与えられたのならば、

その代償として、学習しなければならない、

そんな生き物なんだ。

なぜなら与えられた自由を間違った方向に使っちまい、

自分で苦しい結果を、

享受しなければならなくなるからね。

そして学習を積み重ねていくと、

与えられた自由を正しく使い、

本当の自由な心を手にすることができんのさ。

大切なこと、そりゃあ勉強さ。

イスラム教は厳しい戒律で縛られて、

一日に五回もメッカに向かって祈ってるのは、
文字を読めない人でもできる宗教であり、

またあまり学習材料の少ない宗教でもあるために、

自由を奪ってる部分が、実はあるね。

イスラム教の人は知らないだろうけど。

ムハンマドは、一日になんと五十回も、
メッカにお祈りさせよとしたくらいだからね。

さすがに「そりゃあできねぇ」ってことで、 五回に減ったけど。