大学2年生、19才の夏休みにグループで海やボーリング、花火に出かけるうちに、方向が同じだったため何となく話す時間が長くなった。
夫は失礼した直後で、彼女は作らないと言っていたのでうまく行かないけど当たって砕けろで告発した。
うーん、とかあーとか生返事のまま諦めかけた3日後、主人から電話がかかった。
※昭和62年、まだ携帯電話は巨大なショルダー式の高額電話。普通の家庭は家電が普通で、親が聞いてる空間で話すのがお決まりだった
8/9にドライブ行こう
田舎の方へドライブに行き、日暮前にお気に入りの公園🛝で、返事を聞いた。
まさかのOK🙆♀️だった。でも女性から告白されるのは嫌だと言い、夫から告白返しされてお付き合いがスタートした。
あれから35年。別れたいと思った回数は両手両足では足りず、何で今も続いているのか人生最大のミステリーである(笑
結婚は28年目。7年間付き合ってからの結婚です。
ああ。ボタンがひとつかけ違ったら、、、と後悔する事は数えきれないほどあるけれど、子どもたちに会えたのは、この人と結婚したから。
この前、娘から不意に聞かれた事がある。
「今ママが27歳だったら、パパと結婚する?」
答えが出てこなかった。する、とも、しないとも。
「なんで結婚したんだっけ?」という本音が口をついて出た。
娘をカウンセラーのように聴き役に仕立て、自分の気持ちを話していくと、私は親が心配してるし、周りも結婚ブームだったから、相手がいるなら結婚するのが当然だと思っていたことに気づいた。
私の気持ち。ではなくて周りの環境に押されて流されたから結婚したんだ!
もし、自分に稼ぐ力があり結婚しない人を可哀想なんて言わない社会だったら、結婚は選んでないなあ。
娘は続けて聞いてきた
「結婚して良かった?」
「うん、だって◯ちゃんに会えたから」
「あとは?」
「あとは、、、、ない(笑」
恋愛している時はお互いに良いところばかり見せていれば良かったけれど、結婚すると本性を見せ合うから適度に見ない事よと、会社の先輩にから言われた通りだった。
結婚して28年目に、結婚しない選択をしていたら私はどんな人生を送っているだろうと、思うことになろうとは。
私の夫は、今風にいえばモラハラ気質です。
昔風にいえば亭主関白。
結婚したばかりの頃、夫の所属先のリーダー(60才くらいの女性)と食事をした事があるのですが、その時こんな事を言われました。
「奥さん、私は大体見ればわかるの。多分ご主人は家でほとんど話さないし、笑顔も少ないでしょ。外では全く反対だから、奥さんの苦労は想像できる。
もし辛くなったらいつでも電話してらっしゃい」
その通りでした。
結局リーダーに相談する事はなかったけれど、理解してくれる人がいた事で我慢できた部分も多いのです。
私の母親も、夫の外面の良さには気づいていたので、辛かったらいつでも戻っておいでと言ってくれていたことも私が頑張れた一因かも知れません。
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娘が生まれて3ヶ月の頃、夫の浮気が発覚。
夫の実家も巻き込んで、関係修復するまでに別居し離婚も視野に入れていましたが結局元の鞘に戻りました。
モラハラなんて言葉も概念も当時はありませんでしたが、脳科学や心理学を学ぶうちに「支配と洗脳」されていたと後に納得したものです。
手は出されませんでしたが、言葉と態度による支配、DVでした。
私は長女で責任感が強く、主人は三男の末っ子。人に頼むのがうまく、家事育児、親や会社とのお付き合いごとは全て私に丸投げ状態。
私も厳しい母に支配されて育っているので、夫のお願いは私を必要としているからだと勘違いしていました。
知らぬが仏、ですね。
私の母が亡くなった後に、夫が寝たきりの病気を経験することになるのですが、それを機に夫なりに改心しようとしているようで、今は距離感を保って夫婦関係を続けています。
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2016年2月。九州に単身赴任していた夫から、LINEが入った。
「入院する」
2015年5月に母を見送ってから、8ヶ月後の急な連絡だった。
実は、2014年に夫が九州に転勤してから、会うたびに喧嘩になり私は母親の介護で余裕がなく、助けてくれない夫に恨みを持っていた。
入院する1ヶ月前、年末年始で帰ってきたが、空港に送る車の中で大喧嘩して悪態をついて車を降りて行った姿が最後に見た夫の背中だ。
急に送られてきたLINEを見て、正直「自業自得。そっちの女にやって貰えば」と返事を送りそうになったが、グッと堪え、少し頭を冷やしてから
「どんな状況?」と返事をした。
しかし、返信はない。
翌日、知らない番号から電話がかかり「私、部長の下で働いている◯◯です。部長の入院が長くなりそうなので、こちらに来ていただけないでしょうか?」という連絡だった。
※連絡をしてきた人は、主人の浮気相手ではありません。
娘と息子に犬の世話をお願いして、次の日の始発の飛行機で成田から九州へ。
原因不明の脳症で、生死の境を彷徨う日が数日続き、徐々に意識が戻り始めて、今は奇跡的に回復できている。
私は、主人が退院するまでの1年間を、自宅と単身先を月の半分ずつ行き来してなんとか乗り切ったわけだが、単身先には女性の影があり、辞令が出て関東の自宅に戻ってきてからも半年ほど主人とバトルが続いた。
明らかにバレていて、証拠もあるのに認めない態度と言い訳を聞いていて、なんでこんなのと結婚したんだろうと、心から後悔したことは一生忘れない。
娘が生まれてすぐに浮気がわかった時と、今回決定的に違った点は、私が洗脳から抜けていたことが大きい。
夫がモラハラ気質であることは変えられないが、私の洗脳は解くことができると信じて、セルフセラピーもしたし、カウンセリングも受けた。
だから、夫の入院時には適度に顔を見せに行き、九州の小旅行も楽しんだ。
退院して辞令が出た時も、引っ越しは1人でやってもらい手伝いには行かなかった。
関東の自宅に戻ってきてから、浮気相手のことはLINEのやり取りで確証を見つけた。
娘とほとんど同じ年頃の部下だと分かり、気持ち悪さと、自分がこんなアホに尽くしてきたことに心底後悔をした。
急に怒鳴り出して支配しようとしたり、末っ子のお願い上手で事を納めようとしているんだろうと、遠くから眺めるように夫を見れるようになっている自分に気づいた。
昔なら、急に怒鳴られた時点で白旗を振っていただろう。
許したかと言われれば、夫を許したのではなく起こった事実は、受け止めようと努力している。
私も50歳で病気をした時に夫が多少は家のことをしてくれて助かったし、老後の年金生活を考えれば、今感情だけで離婚することより、自分が生きやすい環境を選んでいればいい、と割り切れるようになった。
愛情がなくて、寂しくないですか?と思われるかもしれないけれど、今、夫に感じるのは男女の愛ではなく、家族としての愛は感じるし、彼なりに変わろうとしている部分は認めている。
「旦那様は他人様だよ。お姉ちゃん」
と先日、妹が教えてくれた。
夫婦って、他人なんだね。家族だと思うと、お節介もするし口も出したくなるけど、他人ならそっとしておくもんね。
同じ世代で、夫が亭主関白というご夫婦もあるでしょう。
カラーセラピーがモラハラ夫の洗脳をときますとお約束はしません。
正直言って、洗脳は専門家でも時間がかかるものだからです。
ただ、カラーセラピーで心の中を言葉に出していくと、自分の中心に揺るがない信念ができてきます。
「人生はいつでも変えられます」
それは、自分が変わりたい、と思った瞬間から、買われるんですよ。
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