30年前の自分へ。自分を無価値だと思い込み、承認欲求を満たすために何者かになろうとしていた、あの頃の私へ。
そして、これを読んで何か共感してくださるあなたへ。
14色の偽りないマイストーリーを、お届けします。
始まりは、幼稚園の頃の記憶。
厳しい母親が留守の時に、内緒で鏡の前に座ってお化粧をするのが私の小さな秘密だった。
ある日、オレンジ系のラメが入った口紅を見つけ唇に塗ろうとしたのだけれど、出しすぎてポキっと折れてしまった。
「どうしよう、怒られる」
子供の浅はかな隠蔽工作はあっけなく見破られて、帰宅した母にものすごく罵られ、怒られた。
それから、母は私を置いて外出するたびに「絶対に化粧品を触ってはダメ」と私の手を強く握ってから出かけるようになった。
母は機嫌が悪い時、私が起こした口紅事件のことを持ち出しては「子供のくせに、化粧なんてみっともない」とか「似合もしないのに」とかブツブツ私に言葉を投げつけては、気を晴らしているようだった。
母のことを怖い人だと思っている。いつも顔色を窺って、叩かれないように「母の気に入るいい子」でいなくてはならなかった。
母が留守の時だけ、開放されて気が楽だったが、どんなに私が母に折檻されていても、父親は助けてはくれず、母の嵐のような躾が終わるのを待つしかない毎日を過ごしていた少女時代。
時代が、躾としての体罰を容認していたから、小学校でも悪いことをすればビンタされたり、算数で使う大きな定規でお尻を叩かれることは日常茶飯事だった。今なら信じられないけれど、40年以上前はスーパーのお菓子売り場でわがままを言う子どもを、叩いている親は珍しくなかった。
我が家は、母と父が見るテレビ番組は夜8時まで一緒にみてもいいが、8時になると寝かせられていたので「8時だよ!全員集合」とか、歌番組をほとんど見たことがない。
だから、学校で話題についていけないし、練り消しや紙せっけんがクラスで流行った時も私は買ってもらえずに友達からもらった1枚の紙石鹸を大切にティッシュに包んで持ち帰った。
機嫌がいい時は、少しだけ夜ご飯が豪華になったり、急にハグしてくるような気分屋の母。母の顔が近づくと、白粉の匂いが気持ち悪かったので顔をよけたら「何、可愛くない子!」と睨みつけられ、ドン!と押されたこともある。
母の気に入るように勉強も運動も頑張り、校内表彰も受けて学級委員に選ばれるときは、母は気分よく褒めてくれたが、1時間のうちにコロコロ表情が変わることが多いので、なぜ怒られているのか分からずにただただ罵られて嵐が過ぎるのを待つようなことも度々あった。
母のことが好きかと言われたら、いないと困るから一緒にいたけれど、母のようになりたくないといつも思っていた。
親だから、嫌いだとは言えない、今も。
高校からは反抗期で母にされたことを復習してやりたくて毎日大喧嘩していた。母の顔を見るたびに怒りが湧いてきて、過去にされたことを毎日毎日、呪いのように母にぶつけていた。
私の父は中学生の時に亡くなったので、高校の時は母が女で一つで私と妹を育ててくれていた。
今でこそ感謝できるけれど、当時は貧乏で母自身も色々なものを我慢して、なんとか食べるだけで精一杯の経済状況だったようだ。
中学まで母が私をコントロールできていたのは、父がいたからだ。
父は母の味方だったので、私が母の思い通りの結果を出せなかったり、母に反抗したり、隠れて友達と遊びに行った時は、2人がかりで折檻され、長い時間正座させられ、父と母がテレビを見ながら笑っている声を聞きながら洗い物や、掃除をさせられることもあった。
父が亡くなり、私も母を助けなくてはという気持ちはある反面、急に弱々しくなり私に依存してくる母親が面倒くさく感じて距離を置きたいと思うようになった。
でも、結果的に私は母に反抗していながらも、母から離れて自立する勇気はなくて、独身時代は共依存関係になっていたと思う。
母と子どもの関係は、人格形成に大きな影響を与えるが、子供は親を選べない。生まれる前に選んできたという説もあるけれど、親ガチャと言う説が私にはしっくりくる。
主人と結婚した時、主人は両親から一度も叩かれたことがないと言い、私はびっくりしたことがある。
手を出さない親がいるんだ、と言うのは私にとって衝撃的だった。
妹も同じで、旦那さんは両親から口で怒鳴られることはあっても、手は出された事がないそうだ。
母が亡くなり、写真や卒業証書、成績表を整理しているときにわかった事がある。
母は、本当は教師になりたかったけれど、親が厳しくて女はすぐに結婚できるようにと、花嫁修行の専門学校に行かされたらしい。
でも、8歳下の母の妹は同じ女性なのに教育大学に行かせてもらい、数年前まで教師を務めた。
母の中で、コンプレックスや不平等な扱いに恨みがあって、子供達に自分ができなかったこと託したのかも知れない。
私も子供を産み育てて母の気持ちがわかるようになったけれど、同じ女性として分かり合えないなと思うことも多い。
それが、口癖だったり、勝手に解釈する思考の癖だった。
「そんなつもりで言ってるわけじゃないのに」「なんでそんな風に曲げて私の言葉を受け取るの?」とよく喧嘩した。
でも、主人と喧嘩する時に私も同じことを言われる。やっぱり母に似てきたんだろうか。。。
何年か前「毒親」という言葉があることを知った。私の母は、毒親だったんだとわかった時涙が止まらなかった。
そして、私も気づかずに子供達に毒親ぶりを発揮していたことを反省した。娘に謝った時「でも、あの時は一生懸命育ててくれたの知ってるから」と言われて、また泣いた。
私が叩かれて育ったように、私も感情を子供にぶつけたことは何度もあった。今なら通報されるかも知れないが、体罰は連鎖する。
もう一度人生をやり直せるのなら、娘を産んだ時に戻りたい。
母親との関係に悩みのない人はいないだろう。私は他人の家がいつも羨ましかったけれど、成長して友人は友人なりに親と確執がある事がわかり、きっと誰しも育ての親との間に課題があるんだろうと悟った。
母のいいところも知っているし、意地悪な顔も知っているし、涙もろい性格も知っている。
同じクラスにいたら、母とは友達になり得ないけれど、親子って学びが多い人のところに生まれてくるのかも知れない。
私が43歳から2年近く、母が病気になり関東と名古屋を月に2回往復して病院に付き添っていた。今思えば、もっと寄り添ってあげられたのに、と思う事があるけれど、母を看取り、母の思い出を整理できてから、私はようやく親離れできたと感じている。
私は、母にとっては幾つになっても子供で(当たり前か)何をするにも「母に何を言われるだろうか」と気になって行動できなかったことがたくさんある。
でも、母が亡くなって5年ほど経った頃から、ようやく自分が何をしたいか素直に選べるようになった。
自分も母親を経験したからわかったことではあるが、女性は妊娠した時から母親という役割を求められる。
男性はさほど生活も変わらないし、産むわけじゃないから体型も変わらない。
でも、女性はお腹で10月10日子供を育み、産んでからも様々なことを経験する。
急激な生活の変化、ホルモンバランスの変化、子供という他人を通して作られていくコミュニティ・・・たくさんの「初めて」をうまく飲み込めない人だっている。
特に、夫婦関係、子供同士のママ友関係で悩む人も多い。私も痛いほど経験している。
世の中には、姿は綺麗なのにビックリするくらい心が汚い人もいるし、反対に信頼できる人もいる。
夫婦もそう。妊娠中に浮気をされて、泥沼を経験するなんて思ってもみなかったし、夫の両親も私の味方ではないとわかった。
あ〜、きっと母親も似たり寄ったりの辛酸を舐めた時期があったんだろうと、まだ当時は会社にフルタイムで務めていた母親に対して、少し優しくなれたのがあの時からだったなあ。
今、私の娘は関西で1人暮らしをしていて、年に数回戻ってくる。娘が同居していた3年前までは私は毒親だったけれど、今は娘と距離を置いて付かず離れずいることを心がけている。
とはいえ、帰ってくると私も嬉しくてベラベラと話し続けてウザがられるけれど。
家庭ごとに、理想の親子関係があるだろう。毒親もいれば、共依存すら知らない人もいる。
私は、結婚して子供を産んでから心理学や、セラピーを学んだことで自己分析したり、カウンセリングを受ける機会があったから、母親との共依存だと気づけた。
客観的に、親子関係を見ることで、母親も同じように悩みながら歳を重ねてきた事が理解できるようになると「ありがとう」という気持ちが自然と湧いてくるのかも知れない。
