前回の記事をみたら三月だったので、何も書いてなかったんだなぁと反省。というのも、このブログを旧Twitterでリンクしていたのだ。僕は基本的に文章を載せるときはnoteを使って、こっちのamebaはより個人的な、ほんとに狭い範囲でのお気持ち整理や読書の随感といった風に使っていた。元々旧Twitterのリンク先はnoteにしていたはずなのに……元通りにすればいいのだが、なんとなくそのままにしてみる。

 

このブログ、冒頭に何らかの本の写真をアップしてそれに一言コメント書いて、肝心の文章そのものにももどこかでその本にまつわるエピソードを挟み……とやっていたが、それもめんどくさい。書影を撮ることは基本的に面倒だ。だからAmazonの写真などを使っていたのだが、本の話なら別にどこでもできるのである。

 

三月、四月は、ほとんど文章を書けずにいた。それはひとえに、現代詩を書くことに自信を失っていたからだと今なら振り返ることができる。

昨年の十月から一月まで、『現代詩手帖』に書いた詩を投稿していた。何かしらの応募に詩を投稿するのは初めてだったので、期待半分諦め半分だったが、気持ちが焦ってしまい、四か月連続で何も音沙汰なしで、完全に自信喪失を喰らってしまった。

現代詩手帖は現代詩を扱う雑誌の中でも一番著名で、それだけに新人投稿のレベルも高い。それは、どれでもよい、発刊されている雑誌の新人投稿欄(最後の頁に近い)を見れば、一目瞭然というくらいに骨太な作品ばかり選ばれているからである。一か月の間に選ばれるのは10作。選外佳作(こちらは名前と作品名のみ)が15~20ほど。毎月900作品ほどの投稿があるという。

二月号(投稿したのは二か月前、つまり十二月に投稿したもの)まで、佳作にも入っていなかったことに愕然としていた。実は三月号を確認していない。がっかりし続けることにお金を払うのもどうかとは思うので、今度図書館に行くときに確認してみたい。そういうまともな思考を失うくらい、投げやりな気持ちになっていた。

 

もともと、去年の十月から投稿を初めて、一年間つまり十二か月は頑張って続けようと思っていた。作品を規定の枠組みに直して印刷して封筒で送るというのも面白いけど中々大変なものではある。

今月からまた再開した。と同時に、幾つかの公募にも自分の作品を送ってみた。

 

今年の公募としては(もしかしたら例年かもという気がするのだが)、夏がアツい。僕の地元の市の文学賞と、県の文学賞の〆切がほぼ同時にある。それぞれ三篇まで送っていいことになっている。併せて六篇を書いて選ぶということも、今から考えなければならない。それでも基本的には詩を書くことは楽しい。楽しいけど、クオリティ低いな……と思ってしまうものについては、それ以上改善の余地があるのか、あったとしてあくせくしながら書き足したり削ったりするわけだが、この作業が全てだと思うのだ。結果的にどうしても、出せない、出す気にならない作品というのもある。

 

現代詩手帖の毎月投稿はペースメーカーになる。ハッキリ言って、詩の投稿を始めた人にとって一番の登竜門である気もしなくはないが(他には、「詩と思想」、あとはこちらも多ジャンルにわたる芸術・文化人を毎月特集する著名な「ユリイカ」といった雑誌が詩の投稿を毎月受け付けている)、また頑張って一か月に3,4つほど、自信のある詩を完成させていきたいものである。投稿を継続していきたい。

 

小説が全く書けなくなった。このことについてはまた別に思い出してみたい。代わりに、長めのエッセイを書きたいと思うようになった。それもまずnoteから始めればいいのだが、上に書いた通り三月・四月はnote投稿もほぼない感じになってしまった。noteも文章書きのいいリハビリになる。エッセイと呼べるようなものを中心に載せていきたいなぁと思っている。詩は……なるべく投稿用に……(消音)

 

いいエッセイを書くことは難しい。というか、書くのは楽しいのが当たり前で、そうではなく人から見て面白いかどうかが極めてアヤしいからだ。自分語りばっかりだとね……芸能人や野球選手でもない、一般人の自分語りを文章にしても、それはそれで日記と呼べばいいんじゃないか。そういうことを思いつつ、エッセイとは何かみたいなことを最近はちょっとずつ考えている。でも一番重要なのは今は現代詩。

 

 

W・G・ゼーバルト『アウステルリッツ』。外文界隈では有名な作品だが、初めてゼーバルトに触れた。これは最近読んだ本の中でもぶっちぎりの読書体験だった。ゼーバルトの散文には極めて高い詩的な格調がある。しかし、それは詩には留まらない。文学としての骨格が力強く通っている。このような強度を携えた小説は、小説であることを超えて「散文」としか呼びようのないものになるのかもしれない。これはちょっと普通には体験できない読書だった。面白い。

 

それでは、また。