本がなかなか通読できない。個人的な話、小説はこれに限らないのだが、特に哲学書である。ちなみに新書などを読み込むのも遅い。

前回、人類学の本を積んでますという記事を書いているのだが、今は読んでない。デスコラの『自然と文化を超えて』が難しすぎるため、副読書を何冊か用意したのだが、日が経つとともにどんどん興味の矛先があちこち飛んでしまい、今は小説を読んでいる。

 

こないだの記事ではこんなことを書いていた。

 

1,柄谷行人『力と交換様式』を通読する

2,東浩紀『訂正可能性の哲学』を通読する

3,中沢新一の『レンマ学』か、それに準ずるような大澤真幸や鷲田清一の評論を一冊読む。

4,人類学の読書を少しでもいいから進める

5,新書をあと2冊読む

 

これを今年の目標とするようだ。これに、

 

6, その他 を付け加えてもいい。おそらく、上半期で達成したいことだった気もするのだが、今の調子では残り三か月で↑は無理そうである。しかし、通年だったらいけるかも。

 

というのは、いろいろ気を散らしていた間、ドゥルーズの『シネマ』と江川隆男の『すべてはつねに別のものである』を読んでいた。とてもいい時間だったのだが、江川は別にしても『シネマ』はじっくり読むものだ。この大著対策にも副読書を一冊用意してある。

 

最近、映画熱が一定程度続いているので、そういった意味で『シネマ』は刺激をくれる。何言っているのかめっちゃ難しいけど。ドゥルーズを通しつつ、イタリアのネオリアリズモが自分なりに理解できたらいいなぁと画策している。

 

デ・シーカを三本見た。フェリーニはまだ二本。ヴィスコンティの『若者のすべて』は本当に素晴らしかった。

まだまだだ。

 

イタリア映画に関する評判高い新書を一冊持っているんだけど、サイレント期から濃密な記述があるので、デ・シーカらが登場するまで読むべきか……?と思って、10頁くらいで止めている。

 

あと、イタリア映画だけ見ていてもネオリアリズモの衝撃や映画史におけるインパクトは理解できないだろう。これは間違いない。だから、フランス戦前派の映画を漁るのも悪くないなぁと思った。アマプラやU-NEXTにごろごろ転がっている。今やサブスク席巻時代にとって映画鑑賞はだいぶハードルが低くなったなぁと思う。

 

映画の話になってしまったが、今は小説を読んでいる。小説と映画鑑賞のために、人文書を紐解く時間がない。こうして振り出しに戻る。

 

小説は、日本の戦後作家を中心に読みたい。具体的には、安岡章太郎、吉行淳之介、遠藤周作、大江健三郎、大岡昇平、その他もろもろ。これが第一の軸。あとは海外小説。古典から現代ものまで幅広く。今はゾラを続けて読みたいという欲が少し芽生えている。今読んでいるのは『ナナ』。

 

SF小説も積んだし、日本の現代作家の小説だって積んだけど、いつターンが回ってくるのやら。そろそろ青地図は書いたので、とりあえず上半期はこういう感じで読書を進め、結果的にどうだったか、六月終わりに振り返ることができるといい。

 

もう三月も後半だぜ。