(2011年に放送されたアニメ『日常』。京都アニメーション制作)

 

ずいぶん間隔を空けてしまう。ひとつは、パソコンをあまり触らなくなる期間というものが不断にできてしまうこと。ご飯を食べるとき、U-NEXTでアニメや映画を観るために使っていることが多く、パソコン自体をずっと触るというようなことは最近あまりしてない。スマホばかりいじるより、昔のようにパソコンにかじりつく生活も楽しいだろうか。姿勢がな……問題なんだよ。

 

ちなみに今はU-NEXTで『日常』(全26話)を鑑賞中。あと5話くらい。神アニメ。自分の中でも5本の指に入れるの確定。日常系、空気系のアニメ好きなんだろうな、僕。

 

そう言えばこないだ初めて海外ドラマを完走した。『バンド・オブ・ブラザーズ』という、戦争モノの衝撃作だ。

 

 

金かかってるね~とかいうレベルじゃあない。スピルバーグの『プライベート・ライアン』は素晴らしい映画だが、この全10話(海外ドラマとしてはめちゃめちゃ少ない話数)からなるバンド・オブ・ブラザーズの出来はそれをはるかに上回る(と、僕は強く思っただけ)。ドイツを制圧したアメリカ兵士たちが探索のすえにたどり着いた強制労働キャンプの再現、これがもうトラウマものだった。ホロコーストをめぐる色んな事実はあとからあとから明るみになって、それで後の時代で調査・研究やそれに基づく考証も進むようになっただけで、まさにその得体のしれない強制収容所での「人間」の「今」・実態を眼前にしたときの、このドラマを観ている僕は兵士たちと同様、うちのめされたのだった。「これはいったいなんなんだ?彼らはいったいなんなんだ?」

 

 

引っ越し。旧居の荷造りを90%は終わらせたが、やっぱり隣人が怖くてなかなかアパートに戻れない。明日、本の整理をしに行くつもり。荷物運びはいよいよ再来週だ。バタバタがまた始まるが、引っ越しさえ完了すればあの住みにくいアパートとも、とかく厄介な隣人ともおさらばだ。少なくともそれだけで十分な慰めにはなる。

 

心配しすぎるというのが僕の欠点だ。頭の中でぐるぐる考えてしまう。こういう時は何か行動する、動作をする、相手に直接言ってみる、という勇気を持つ方が、結果的にも今までの経験からいっても、圧倒的に効果がある、効率的ですらある。それでも考え込んでしまうんだから……ある種の病気かもしれない。「考えすぎ病」。

 

新しいアパート……何が待ち受けているかは分からない。大した希望も抱いてないが、さすがに今の物件よりはマシであるだろう。

結局あのアパートは2年で出るという目にあってしまった。これはまたのちに(このブログでも)ざっと振り返りたい。何がどうして、こんなお粗末な事態を呼び起こしたのか。

 

本の話をしようと思ったのにひとつもできなかったではないか。それでいいのだ。

書いていて思ったが、やっぱり引っ越し、それから仕事のことは僕の不安や憂鬱感の95%の原因になっている。煩悩とはよく言うが、この不安や憂鬱は当たり前のものだ。僕が僕の人生を少しでも真面目に引き受けているがゆえの、ということだろう。大事なのはバランスだ。小説を読んだり、詩を書いたりする、それで悦びを得る。ただし、生活上の大切なこと、それから仕事に関する大切なことを疎かにはできない。このバランスの難しさ! それでも以前よりはちょっとずつでもマシになっている、成長しているはずだ。

僕は意味づけをする。あんな狂った隣人を呼び寄せたのは、過去の自分の行いの累積そのものであると。ならば、これを機に、もう二度と隣人問題で揉めない(揉めたというか一方的な被害者に近いのだが……)、とか、そういう「少なくとも不幸ではないこと」=幸せの定義としたショーペンハウアーのような哲学者の考えも参考にすること。彼は実際素晴らしく実用的なことを言っているのだ。 不幸せではないこと、それこそが幸せであり、幸せになろうとするのではなく、不快や苦しみをなるべく少なくすることが、幸福の状態をもたらすのだと。さすがです、大先生。

 

次は、最近読んでいるプルーストの『失われた時を求めて』についてちょろちょろっと書いてみたい。