綿貫陽/マーク・ピーターセン著『表現のための実践ロイヤル英文法』を買った。めっちゃ嬉しい。

 

 このブログは、mistyによる一方的な憂鬱日記の垂れ流しではあるが、僕は常日頃から小説や哲学書を読むのが好きなので、記事を投稿する場合、なにかひとつそうした本や作家、哲学者などの話題には触れたいと思っている(そうしないと何か落ち着かない笑)。特段の知識もないし、作品読解とかできないし、自分が小説を読む際に、何か少しでも哲学的な知識を読解(分析)に活かせないだろうかなどとも考えているのだが、基本的に好きなように読んで好きなように楽しんでいる。

 

憂鬱なる日記とでもいえば、たとえばドストエフスキーの『地下室の手記』だろうか。これは本当に興味深い一冊である。第一部の方がとりあえず大事となってくるが、この時主人公の心を装う"気分"は憂鬱とはかなり違った心的態様のようにも思われる。神経症……再読でもしてみないと分からないが、確かに結果としてはメランコリーな気分であるかもしれないが、今の精神医学界においては、この男には別の現代医学の「診断」が下されるであろう。病名が大事なのではない。ただ、憂うつにしては思考の強度が高すぎる。そして、自我も強い。読まされている方は憂鬱になるが、主人公自体はむしろところどころ高ぶったり自分を癒すためにあの手記を書いているのであろうか。

 

あまり多くの文学作品を読んでいないのでアレだが、ゲエテの『若きウェルテルの悩み』(半分読んだとこで放置したまま)、『マルテの手記』(好きそうな感じがプンプンするのでそのうち読む脳内リストに入っているやつ)なんかも、"憂鬱な日記"に入るのかもしれない。

何回も繰り返し出てくるカフカの『日記』も、というよりは恋人たちに宛てた手紙、『フェリーツェへの手紙』(あとちょっとで読み終わり)、『ミレナへの手紙』(さらっと通読)、こっちの方がカフカの生温かい苦悩の嘆息が聞こえてきそうだ。間違いなく彼は恋愛や結婚といったものに向いていない。それでも彼は恋愛に身を投じた。端的に言ってすこ。この人の生涯は、僕は一生忘れることはないだろう。

 

と、ダラダラ書いたくせにいつものカフカ愛が爆発してしまったが、ここいらで英語日記でも書いて本稿は閉じることにしようか。

英語の勉強、ボチボチ本格的に(といっても良質な材料を揃えてモチベが高まっているだけだが)再始動しますかね。

 

Tuesday, 19th Septemer    I bought some magnificiant English reference books, one of them  "THE ROYAL ENGLISH GRAMMAR for Practical Expressiveness". It is good enough to learn English for time being. First, I am going to learn grammer deligently.

 

今日はいくつかの素晴らしい英語の参考書を買った。これで英語学習に必要な書籍は当面の間揃った。あとは実行するのみ。まずは英文法に立ち戻ってみよう。