昨日は姉のバースデーでしたケーキクラッカー

 今は離れて暮らしているので、簡単なメールで祝福の気持ちを伝えた。



 


姉も結婚をしたので、旦那さんにきっと祝ってもらったんだろうなと想像を膨らませる。


 人間って、本当に自分のことを心から気にかけてくれる人が一人いれば十分だと思う。

 それがお母さんだったり、家族や恋人やパートナーだったり。



 そういえば、今年も去年も、僕のバースデーに姉はメールで大きくなったねって書いていて、子供でもないのに変わった祝福の言葉をかけてくるなと思っていたら、昨日は自分のことも大きくなりましたって書いてあったので、この人はこの言い方が気に入ってるんだなって納得した。

 

 兄弟を長くやっていても、互いの気持ちって、本当のところはなかなか理解し合えてなくて、そんなエピソードを一つ。





 僕ら兄弟は、家庭がなかなか複雑だったから、昔から互いにどこか見知らぬ人を見るような妙な関係だったんです。

 といっても、僕がそう思っているだけかもしれませんが。


 確か小学生の頃には、冗談で言ったのか、「あんたは橋の下で拾ってきた子なんよ」と突然姉が僕に。

 姉の方から僕に歩み寄るような気配はないように感じていたし、だから大きくなったねって言葉に妙に身構えてしまっていたんですよ。

 何か別のメッセージが言葉の裏に隠されているんじゃないかって。

 兄弟でこんなこと考えるなんて、なんて寂しいことなんでしょう。

 でも実際そう思っていたんです。


 

 兄弟でも本当に難しいな。


 

 だから、普通に仲のいい兄弟を見ると、とても羨ましいですね。

 韓国ドラマとか観ると、とても兄弟の情愛が濃く描かれていて、ドラマだから現実の韓国社会はどうなのか分からないけれど、親しい間柄にも礼節のちゃんと存在する世界って、実に気持ちが良くって、ある種の憧れを抱いてしまうんです。

 日本社会が今そうじゃなくなっているとしたら、それは一体どうしてなのか。

 そんなことばかりを考えて生きてきたような気がする。

 そして、そんな哀愁漂う世界観とは、時代は益々猛スピードでかけ離れていっていると感じ続けてきました。 


 音楽でいうと、情緒的なメロディーよりも、軽快なビート重視のこの頃。

 ファーストフードに近い感覚で簡単に耳に出来る音楽が流行っているのだと思います。

 魂を育てるという視点を省いた、インスタント食品に近い感覚の音楽です。


 だから、食べ物も音楽も、どれを取っても僕らのライフスタイルってどこかでやはりちゃんと繋がっているので、何を選び自分に与えるかっていう意識の持ち方が大切であり、また、それは個々人の問題でもあるのだろうと思います。



 

 って、姉のバースデーネタから気が付けば話がこんなに飛躍してたDASH!

 ブログを最後まで読んでくれて、ありがとうニコニコ














  一年中曲を作ってる僕の人生。

 苦しく辛い時も優しく穏やかな時も、音楽と対話し日常が刻まれてゆく。


幸福という名の愛


 ローズピンクに美しく黄昏てゆく西の空虹

 お気に入りのパン屋からの帰り道、昨日出会った紅の空を思い出した。


 感じたことを何から何までメロディーで描き、詞を乗せてみる音譜

 すると、自覚すらなかった感覚が急に湧き上がり、ともすれば色褪せて見えてしまう日常が鮮やかに浮かび上がってくる。

 そうやって、僕はずっと、僕と対話し、日々を乗り越えてきたんだと、つくづく思う。

 思いは、何だか口にした瞬間に嘘になって消えてしまうように感じることも多いし、だから、言葉では語り尽くせない気持ちを形にして、自分自身や他人に伝えたかったんだと思う。


 こういう話って一般的には堅過ぎるのかなはてなマーク

 僕はかなり好きなんだけど。

 ラジオ深夜便とか、暇な時はずっと話に聞き入っちゃうことも多いし。

 特に、年寄りの話は深くて面白いってよく思うな。


 こうしてブログで気持ちを誰かに伝えることも、なかなかやってみると難しいと感じることが結構ある。

 例えば、歌詞は勿論文章言葉じゃないので、ブログで誰かと共有する時、やっぱりメロディーあっての形式なんだなって、最近よく思う。

 散文として作品のように言葉を綴ると、今度はそれはそれで、またブログ的にどうなのかなって感じることも多い。

 僕としては、やっぱり歌で何かがジワーっと伝わっていってるって瞬間が一番至福の時だと思う。

 いつも、ステージをやっていて、それがライブの醍醐味グッド!

 心の壁を乗り越えた瞬間って、何となく分かるし、誰かとより理解し合えた意味を噛みしめるような幸福感が、つまり歌が僕に与えてくれる一番の贈り物なのかもしれないな。

 でも、原点はまず、僕が僕と初めに対話するということで、それは曲作りを本格的に始めた十代の頃から絶対的に変わっていないこと。 

 


何だか、美しいローズピンクの黄昏の空は、まだ見ぬ遠い未来を感じさせるようでもあり、そして僕の創作の原点、生きるということに帰っていくようでもあった。

 同級生でもあるイチロー、今年は二百本安打いかずおしかったね。

 ちゃんとニュースを見てないので、細かな情報をまだ知らないんだけど、それにしても素晴らしいメジャーリーガーだね。

 イチローは永ちゃんの生き方に自分をどこか重ねているみたいで、ロック道を極めている男だなっていつも思う。

 だから、今シーズン、彼の心の中に何かまた今までとは違った何かが生まれ、刻まれているならば、絶対次のステージに彼は向かう筈だから、陰ながら応援させてもらおうと思う。

 頑張ろう、団塊ジュニア!










 アメブロはペタがつくから楽しいな音譜

 昨日初めてブログをアップして、今日マイページを開くとペタがついてた。(昨日の下書きなので一昨日のこと)


 どういう流れで集まったのか、自動で来たりするのかなはてなマーク

 でも、やっぱり無反応って一番寂しいもんね。

 自動ばかりだと、それはそれで辛いけどね。



 それから、アメブロは芸能人のブログ検索がとても優れていて、興味のある方の記事や写真を見たり出来て嬉しい。


 岸谷香さん(奥居香さん)とか、プリプリ時代までしか知らなかったので、最近の様子が分かって、ブログって凄いなって改めて感心しました。

 昔はこんなのなかったからね。


 岸谷香さんといえば、十九歳の時、プロミュージシャンを目指し上京していた時買ったギターは、当時音楽雑誌でそのギターの広告が載っていて、彼女がそのギターを持ってポーズしていて、僕はそのギターに一目惚れしたんです。

 その雑誌のギターの色が酷く気に入って、バンドの練習スタジオとして使っていた楽器店に雑誌を持っていき、このギターを下さいって店員さんに相談しました。僕は、この色じゃなきゃ嫌なんだという意味で話していたつもりだったんだけど、言葉足らずで、店員さんは、雑誌の中で岸谷(奥居)さんの抱えていた現物を欲しがっていると解釈されて、メーカーにわざわざ問い合わせてくれたんです。


 結局、岸谷さんが本当に持ってポーズをとっていたとされるギターを僕は入手して、とても嬉しい勘違いのエピソードとして、当時を思い出しました。

 ただ、現物のギターは雑誌で見るのとは肝心の色が全く違っていて、写真なので、発色の問題があったことに後から気付きました。

 でも、岸谷さんはミュージシャンとして素晴らしい方なので、やっぱりとても嬉しかったです。


 ちなみにメーカーと機種はモーリスのトルネードです。

 ライブで使用している写真を一枚ビックリマーク

 と思ったら、昔の写真のバックアップが見つからないので、とりあえず取り止め汗汗









 すっかりもう秋になって、窓から入ってくる夜風は冷たくなり、毎年のことなのに、季節のうつろいって、いつもその度に新鮮。

 何もかもが変わっていくけれど、求める愛だけは変わることなく、そして、このブログのテーマにしている自分のことを真に受容し愛することについて考え続けてる。



幸福という名の愛

 昨夜、寝る前に思ってたことなんだけど、人間関係も人生で起こる全ての出来事も、やっぱり、思うようにならないのが当たり前でね、それをいかに受け止め、どこを見据えて生きていくのかってことが、幸福への本当の意味でのスタートラインなんだって気がしたよ。

 時代もどんどん変わっていくし、何かになる為に必死に自分の心を自分で鞭打って生きる時代じゃなくなったんだって思うな。

 何者かになるという発想じゃなくて、ありのままの未完成な人間としての自分を認め、不完全さとどんな風に付き合っていくかが、今の僕の人生のテーマなんだろう。

 今は、窓の外に秋晴れの空が広がってて、変に自分を追い立てなきゃ、人生は本当に静かで豊かだなって感じる。

 ライブ動画をアップしますビックリマーク
 ALL JAPANって曲です。


 この動画は、先月中旬に地元のラジオに出演させて頂いた時のものです。
 人生初のラジオ出演でドキドキでした。
 番組の司会は、広島にある地元のライブハウス、MUSIC FACTORYのオーナーをされている岩本利之さんと奥様であり、地元で活躍するチョコレッツという女性ボーカルグループのメンバーでもあるレイさんのおふた方で、もうかれこれ十数年のお付き合いをさせてもらっています。

 僕は、自分でいうのもなんなのですが、相当にシャイで、こんなに長いお付き合いになっていますが、おふたりに自分のことを殆ど話したことがなくて、番組内のトークでは、初めてといっていいほど自分について話をさせてもらってきました。
 トークの内容は、特に大好きな音楽について語ってきたので、苦手な人との話も楽と言えば楽だったのですが。

 その時、公開ミニライブという形で三曲歌った中の一曲が、今日紹介するALL JAPANです。
 この曲は、東日本大震災支援ソングとして作ったものです。





今回番組で歌うきっかけを得たのは、地元にある他のライブハウス、HIDEAWAYのオーナーのトクさんの紹介という形からでした。
 トクさんは、ラジオ収録日にも一緒に番組に出演し、僕はトクさんの受け持つナッティーブラザーというコーナーでの紹介だったのです。
 番組の少し前に、久しぶりにHIDEAWAYへ歌いに出掛け、その夜のギター一本のアコースティックライブの中でALL JAPANを初めて人前で披露しました。
 僕はこのところずっと喉の調子が悪くて、その夜のライブも自分ではとても満足のいくものでは決してなかったのですが、それでもトクさんは、いつものように真剣に僕の歌を聴いて下さり、それでライブ後にラジオ出演の依頼の話を頂きました。
 話を頂いた時、殆ど社会に自分の歌を聴いてもらえるチャンスのない僕は、これは一つの良い機会にしたいと思いました。
 今年は東日本大震災で、国は内戦状態に陥り、やっぱり僕がそんな社会や時代に対して出来ることは歌なんだと思っていましたし、だから、地元のラジオでささやかにでも歌という形でメッセージを誰かに届けられる機会は、とても嬉しかったです。

 今国は、お金お金お金と、僕達国民の命よりも経済活動の方を完全に優先させている厳しい現実の中で、まず初めに、一番震災の被害を直接的に受けた方々に思いを馳せ、国民一人一人がそれぞれに出来る形で寄り添うことこそ、当たり前ですが、最も尊く大切なことだと思います。
 こうして、歌なんて作って歌っていると、道楽だの何だのと批判の声も、この頃はとても多く耳にしますが、音楽に昔魂の救済を受けたと感じて、何とか今日まで無事に生き抜いてくることの出来た僕としては、音楽って人間の魂を逆境の中で気高く強く奮い立たせてくれる、とても神聖なものなんだと伝えたい気持ちにもなります。
 でも、それは言葉でいって伝わるものでは決してないでしょう。
 僕はシンガーソングライターとして、その感動を歌で伝えなくてはならないのです。

 今回の大震災について、あの時から約半年という時間が流れ、いまだ福島第一原発の終息の目途も立たない時代の中で思うのは、この震災はやはり日本人に、また世界中の人々に、二十世紀までの超物質的価値観を見直し改めるよう迫るものに違いないと確信しています。

 そして、僕はそんな時代に対して、嘘のない歌を歌い続けていたいと、そう思うのです。
 歌は僕の生き方そのものだから、嘘として、やがて時の流れの中で、その意味、その価値を失ってゆくということは、僕にはとても耐えがたい悲劇なのです。
 頑張ろう日本というキャッチフレーズもありますが、東電や政府の正しい情報開示のない今、放射能という目には見えない危険物質を前に、一体どう頑張れというのかとも思います。
勿論、頑張ろう日本というフレーズに込める思いも人によって様々で、一つの言葉を取り上げて、どうこういうことは出来ないとも思います。
 一番僕が不思議に思うことは、世の中が福一の危機など過ぎたかのように見えることで、日常は普通に流れ続け、この国はもう死んでしまったかのようでもあります。
 やはり、マスコミやテレビなどを通じて、何も考えず、政府の都合のいい奴隷にさせられてきたのだと痛感せさられる日々です。

 色々と思うことや言いたいことはたくさんありますが、僕は3.11直後に心の中に舞い降りてきたALL JAPANというメッセージを大切に心の中に育て、歌い続けていくことから、もう一度新しい世界の創造に取り組んでみようと思います。

$幸福という名の愛



 家の庭に出ると、昔懐かしいロバパンに似た車が通った。

 音楽も古めかしくて、ノスタルジーへとまっしぐら。

 昭和の子供には、きっと誰にも懐かしいのかなって思ったよ。

 音楽が、映画「バックトゥ・ザフューチャー」の中の1955年のアメリカを描いた世界に流れる曲をジャパニーズスタイルにしたっていうのかな、ゆったりした空気が一瞬その場を包んだ感じだった。

 それで思い出した話なんだけど、子供の頃、近所の友達の家で遊んでいると、よくその友達のお母さんがロバパンの車を止めて買っていて、まるで遠い不思議の国に迷い込んだかのように記憶の糸をたぐり寄せ、色んなことを感じた。

 昭和の日常の営みについてや家族の温かな絆とか。

 僕は豊かな時代に、不幸な愛に育ったって気がするよ。

 勿論、本当に恵まれた時代だったんだけど、心がとても不自由だったという意味では、不幸な愛に囲まれて、やっぱりどこか苦しかったというのが本音。

 親も一生懸命だったんだろうな。

 とにかく、経済成長著しい日本社会では、休むことを許されず、人と違うことを叩かれ、名ばかりの民主主義に、人々は何を考え歩んできたのだろうって、2011年から遠い昔を眺めてみる構図が、僕の日常にふと顔を出したって訳。

 ロバパンって、ああ懐かしいねってだけで普通は終わってしまうだけの話なのかもしれないけれど、社会構造とか時代背景とか、色んなことを知れば知るほど、あの頃僕を取り囲んでいた日常の本当の正体とはってことを、益々考えざるを得ない状況へと、三十代後半を迎えた僕は、何かの力に追いやられていくみたいに感じるな。

 友達関係の持つ意味や人間関係に働く力が一体どんな風に発生しているのかとか、今の日本社会では、そんなこと考えなくていいといった風潮なんだけど、これがとても危険なんだ。

 音楽やエンターテイメントは何も思考せず、乗りで生きることを讃美し続けてきた。

 社会派のロックをやってる僕に需要はなく、ロバパンの思い出に対しても、ああ懐かしいねってだけで終わってしまえない今日がある。

 それでも、やっぱりあの思い出は懐かしく、とても温かい訳なんだけど、ちょっぴり切なくもあって、複雑だ。

 その複雑さは、冒頭に触れた不幸な愛って言葉をキーワードに、その感覚へと崩れるように思いが流れ込んでいくんだけどね。

 僕を取り囲む環境は、競争の色が濃かったから、その友達の家庭に、普通だけれど温かい絆で結ばれた情愛を感じ取っていたのだと思う。

だから、遠い日常の物語として、今でもあのロバパンの話は心に蘇り、妙に感情移入してしまうのだろうな。




 先月末にアカウントと取ったアメブロに、今日デビュービックリマーク



 地元である広島で音楽活動を続ける日々を、未来に書き残しておこうかと思う。

 将来の自分や僕の存在を必要としてくれるかもしれない人の為に、力になればいいな。

 タイムカプセルみたいなものにしたい。





 いままでもブログをやってきたけれど、作品を中心としたものだったので、ちょっと違ったものに出来たらと今は考えてるんだけど。

 それで、とりあえずブログタイトルを「幸福という名の愛」と名付けてみた。

 このタイトルは、僕の無意識からのメッセージであり、まだ僕自身にも、この言葉の本当の意味は理解出来ていないのだと思う。

つまり、インスピレーションを受けた段階の、泥塗れのダイヤの原石みたいなもの。

 何となく思ってるのは、自分自身を幸せにする為に出来ることを日常の中に探して、心の奥深くから湧き上がる本物の愛に辿り着く、悟りへの道を示しているのかなってこと。





 今までやってきたブログ、「シュールにROCK決めこんで」や音楽試聴の出来るmy spaceと併せて宜しく!!




シュールにROCK決めこんで

http://d.hatena.ne.jp/misty74/



曲試聴

http://jp.myspace.com/yoshinorisugawara




幸福という名の愛