戦後の生温い平和に飼い慣らされてきた僕らは、とても貧弱になってしまったコップの中のノミみたいだった。



 コップの中に閉じ込められたノミは次第に跳ぶことをしなくなる。



 それから、重っ苦しい現実に対しては思考を停止してしまい、目を背ける人々の姿が多く目についた。



 この現象も、やはり現代教育の結果として特徴付けられるものだと僕は思った。

 現に、僕もよく親や周囲の大人達に言われ記憶がたくさんあった。

 何か人生の中で問題にぶつかると、そんなこと考えているから頭が変になるのだと。

 僕は、今でもそれは違っていると思う。


 そこに社会的矛盾があるから躓き悩んでいる訳で、そのことに対しての問い掛けを放棄してみても、全く何の解決にもならない。寧ろ、大衆のそうした意識で織りなされている

現実をまっすぐに見つめてこなかったからこそ、社会は狂い、人々は洗脳されてしまっているのだと感じていた。




 社会的矛盾に対してノーを言わない文化。



 そして、本心を自らにすら偽り、皆一緒に黙って耐える姿を美徳とする世俗の古く偏ってしまっている美意識。



 僕は、そのことを思う時、いつも戦中の集団自決を想像してしまう。

 それを拒む者を集団でなじり、叩き、軍国色に染まった狂気を感じてしまう。

 その価値観もまた、戦後ずっと民族の血の中に脈々と受け継がれてきたことを証明する結果に至ったと僕は感じている。




 福島支援の名のもとに、放射能汚染食品を皆で食べようという、僕には異常行動に思えた安全キャンペーン。



 多くの人々が、政府やマスコミの情報を鵜呑みにして、情報の信ぴょう性を疑う声は、3.11が起こった当初、非常にまれの様に見えた。

 自分を育ててくれた親への信頼感とそれは比例していたのだろうか。


 大本営発表に対する多くの国民の反応の様子を見て、僕はそんなことを考えて過ごした。


 僕ら人間は、たぶん過去の体験の中に現在も属し続ける生きものなのだろう。

 そして、そこで覚えた記憶という原体験は、個人個人の思考や感情の全てを司り、脳というスーパーコンピューターは現実を予測し、指令を出し続けているのだろう。


 その時、まず過去の体験にないものから素早く排除し、体験の中で感じた感情の起伏の大きさに準じて、物事全てに真実味を覚えたり、また反射的に現実を善悪に隔て、新しく思考の波を生み出し続けているのだろう。


 だから、自分の信念体系を破壊する様な出来事に出会うと、すぐに間違いだと認識してしまい、脳から発せられるその信号に感情は従い、行動は形作られていくのだろう。



 僕は、大本営発表を初めから殆ど当てにはしていなかった。

 テレビもマスコミも、元々は国民を洗脳する装置だった訳で、それは実質的に今も何ら変わりはない。


 季節が変わる事に、街を行き交う人々は流行のファッションを求め、社会的に認められた幸せの形に自らを押し込み生きている。


 テレビや雑誌には、絶えず新しいキャッチコピーを目にし、どう生きていくか、何かからの先導の上に暮らしを築いている。



 そして、あの安全神話は僕らの暮らしの中で、呆気なく崩れ去っていった。


 現代社会という生命体を動かしていたと思い込まされてきた、心臓部である原発が制御不能に陥った。


 それは、現代社会の中で人々が信じ、従ってきた全ての秩序やモラルを失ったことを指し示す象徴だろう。


 いわゆるパラダイムシフトが起きたということだ。


 人類は、より高い宇宙の法則の中に誕生し、個人の意識を現実問題に対峙する中で一つ一つ組み換え、育み、進化させて、地球という一つの国、社会、文明を作り上げる段階に到達しなければならないということだろう。


 それが、きっと神の望まれた地球と人類の未来の姿だと思う。


 その声に感性のアンテナを立て、生きることから、僕は新しい地球の次元に誕生したいと願い暮らしてきた。





















 ニュースでは、まるで現実とはかけ離れてしまったかの様な光景が広がっていた。



 「言葉を失うってこういうことなのだろうか」

 僕は、生まれて初めて見るこの国が直面していた大きな危機に、魂を酷く凍りつかせていた。




 東北を執拗なまでに襲う巨大地震。

 気象庁の発表では、当初マグニチュード88とのことだった。

 首都圏では、超高層ビルがアスファルトジャングルに踊り、僕らの想像力を遥かに上回るであろう光景が、人々を完全に圧倒していた。


 ついさっきまで当たり前の様に進行していた筈の現実は、一瞬で途切れ、異様な姿へと豹変していったのだろう。

 その時、人々の胸に去来したものは一体何だったのだろうか。





 溢れ返る帰宅難民。

 便利な筈の都市機能は寸断され、僕らの日常を取り囲むありとあらゆるシステムは麻痺していた。




 そんな状況下であっても、パニックに陥り、略奪、暴動が酷く起こらなかったことは、きっと日本人にとっての誇りだったに違いない。


 自己主張が苦手な分、連帯を築き困難に立ち向かう大和民族固有と思えるその整然とした姿に、諸外国の人々は喝采の言葉を送り、世界中からたくさんの声援や励ましが色んな形で届いた。


 僕は、普段は隠れて見えなかったそんな国民性に触れ、自分の属する民族の素晴らしさを再確認する思いだった。


 だが、全てをそれで片づけてしまえるほどに現実は平面的なものでもなく、危機に対する反応は一長一短で、良い面も角度を変えて見ると、何かしら怠惰な一面が浮かび上がってきた。




 「こんなことになるなんて…」

 僕は、テレビに映し出されてゆく、現実と認識するにはあまりに信じ難き悲劇的光景の目撃者となり、あの日、ただただ、なす術もなく祈り続けるしかなかった。




 人々が愛したものや希望や夢の全てを呑み込んでいった津波。


 そして、その後に残されたものは、まるで地獄絵の様な瓦礫だらけの壊滅した大地。

 甚大な災害に直面した時の人間の無力さを痛感させられた、重く苦しい恐怖の日々を、今何と呼ぶべきなのだろう。


 暫くは、不可思議な時空に迷い込んだかの様だった。



 そして、一番気掛かりだった福島第一原発の実態について、政府やメディアから正しく明かされる気配はなく、列島は、何だか僕には祖国であるのに異国の地ほど孤独に感じられ、日本はまるで世界の中で隔離された孤島の様だった。


 思想の分裂。

 民族間での争いの渦。


 それは内乱と呼ぶにふさわしく、様々な情報とそれにまつわる憶測が瞬時に飛び交い続けた。



 僕は、そんな暮らしに戦後の民主主義の素顔を見つめていた。


 第二次世界大戦に敗れて以来、何か精神的に大和民族は飛躍していた訳ではなかったのだろう。

 アメリカの奴隷となり、ライフスタイルの全てにレールは引かれ、幸福の価値観が一つずつインプットされていったんだ。


 そして、一度脳にインプットされてしまえば、人間は哀しきマリオネットとなる。

 それどころか、アメリカや世界の支配者達までも計算外だったかもしれないほど、経済的価値の忠実なしもべとなり、原発被害は歴史的なものに膨らんでいった。


 正常バイアスの掛かった日常は、酷く鈍感だった。



 何を口にしても、どこかから批判の声だけはいつも数限りなく挙がり続けた。

 人々は、自分と対立する意見を排除しなくては、現実に自分の立ち位置をもはや見い出せないほど、混乱していた。


 僕は、どこから話をしていいかも、何から現実問題を解決してゆくべきなのかも分からなくなるほど、自分の人生の中で一つ一つ積み上げてきた信念体系が崩れ、その意味は、今や役に立たぬガラクタになってしまったみたいに虚しさを感じていた。




 ただ、明らかだったのは、もう時代が変わってしまったということだった。



































 年の瀬の迫る夕暮れの街並みは、去年の姿と大して変わらない様に流れ続ける。

 クリスマスの夜に、子供達はサンタクロースに何を願い眠りに就いたのだろう。



 玩具屋で手に入れることの出来るものだったら、きっとその子は今幸せに暮らしていると言っていいのだろう。

 ニュースで流れる外国の少女の物語を思い出す。


 父親が兵士として遠い場所に行ってしまい、とても寂しがっていた。

 そして、サンタクロースに願ったプレゼントが、父親が家に帰って来てくれることだった。

 ちょこんとサンタクロースの膝の上に座り、願いを告げる少女に、サンタクロースに扮した父親が応え、秘密にしておいた正体を明かした。

 親子の感動の再会がニュースに流れた。

 

 僕はそんな話を思い出しながら、今年もそっと一年を振り返ってみる。

 

 

 政府発表の福島原発の冷温停止宣言。

 沖縄の辺野古では、環境アセスメントの書類の件で揉めていた。

 

 僕らは、一体何に従い生きているのだろうか。


 今年ほど、この社会の常識について深く考えさせられた年はなかった。

 僕の目の前に広がるリアリティーは、一年前と大して違っていない様だけれど。

 確かに、福島からは遠く離れた街だから、呑気でいられたのかもしれない。

 だけど、ただそれだけじゃなかった気がする。


 政府の言う原発の冷温停止宣言の向かおうとしていたところとか、世の中の殺伐としたままの原発問題への無関心さとか、全てが正常バイアスに捕らわれている様だった。

 人は、突如大きな恐怖に遭遇した時、何も出来なくなってしまうとの調査結果がある。



 3.11以後の日本社会がまさにそうだったのだろう。

 思わぬ事故や災害を目の前にして、思考や体がフリーズしてしまい、ごく当たり前の適切な判断と行動がままならなくなってしまう。


 その事態に対して、日頃のシュミレーションが役立つそうだ。

 次に何をすべきかを理解しておくことで、回避出来る危険がある。


 そして、僕らのこの社会の平和とは、実に脆いものだった。



 地球上に溢れ返る人類の中で、ほんの一握りの人々だけが富を得ることの出来るこの社会。


 加速度を次第に早めながら、社会の闇も真実も、その一つ一つが明かされてゆく。

 原発の安全神話崩壊のストーリーは、僕らの生き方や価値観の全てを浮き彫りにしていった。


 そして、ほんの些細な優しい嘘すらも、何かこの頃は人と人を遠ざける様に反応しているみたいだ。


 僕個人の話をすれば、他人の心が以前よりもより細かな波動として伝わってきた。


 例えば、街通りの向こうにふと姿を現した人影を一瞬見ただけで、擦れ違う時、一体僕にどう反応するタイプの人間か直感がより冴え出していた。


 人間って、その内言葉なくしてコミュニケーション出来てしまえるほど、直感的な触れ合いは増えていくのだろうと感じる。


 僕にとってみれば、それはより音楽的な日常世界の到来を意味していた。


 とにかく、この世界は嘘がつけなくなっているのだろう。

 隠し事が出来ない何かの力が、強く働いている様だ。


 政府にしても、色々な嘘の発表を重ねてきたけれど、人々は段々と3.11以後の正常バイアスから解放されつつあるみたいだ。


僕も、紛れもなくその一人に違いなかっただろう。

 色々な葛藤が社会に充満した一年。


 3.11はアメリカの仕組んだ人工地震だったという話も耳にする。


 訳の分からない狂気の罠の中で、日本のおめでた過ぎた様な平和は幻想から嫌がおうでも目を覚まさざるを得ない現実を突きつけられた。


 インターネットを通して、世界の闇に眠り続けてきた色んな嘘がバレ始め、意識の高い人々は目覚め始めていた。

 これがジョン・レノンやマイケル・ジャクソンが命を懸けて闘ってきた闇の権力だったんだと改めてそう思う。



 そんな年の暮れだ。

 ミュージシャンとしての僕はというと、歌詞や散文がとても書き辛く感じた一年だった。


 いや。書くには今まで通り書けるのだが、心の中で行き詰ってしまう。

 そんな闘いをずっとしていたんだ。

 結局、完成度の低い散文をブログにアップすることは減り、とにかくより納得のいく言葉を求めて作詞に膨大な時間を注いだ。


 その甲斐あって、かなり満足のいく新しい歌を作ることが出来たと思う。

 こうしている間にも、福島や東北の大地は冬の大寒波に覆われてゆく。



 本当は、安全な場所へ保障付きで国や東電が疎開したい人全員を移住させてあげるべきだと、ずっと考えてる。


 問題が解決なされない理由は、皆がもう知っている金。


 古い体制は、もう滅びのスパイラルの中だ。


 だから、僕らに出来ることは、それぞれの望むリアリティーを得る為に新しいコミュニティーの輪を作り広げていけばいいのだと思う。

 そして、忘れてはならないこと。



 それは、人生に何が起ころうとも、乗り越えられないことは起こらないし、何かを理解し、より成長を遂げ幸せになる為に色々な出来事が存在しているということ。

 上下左右に蠢く欲望。

 誰によって、何の目的で紡がれた物語なのか。


 哀れ、浮き世の物語。
 哀れ、浮き世の物語。



 福島の空を覆う放射能。
 いや、関東を、東日本を…。

 言葉を選びたいとは思うけれど、現実に起こってしまった事態に対して、この国の多くの人々は、いまだ生き方を省みることもなく…。


 福島の子供達は、未来なき今日に置き去られ。
 この国に正義などはない。


 東京は沈みゆくが、誰もその危機に目を向けたりはしない。
 世界各国が脱原発に流れ始めていたけれど、この国では、そうはならないんだ。


 それは何故だろう。


 それは、金の為。
 それは、地位の為。

 安全や安心を捨てても、守りたいものがある。


 金が、名声が王様のこの世界。
 大人が子供達を守れない社会に、自由や平和、そして未来はあるのだろうか。

 正しいことが何なのかなんて関係ない。
 大人達は、自分の欲しいもの、守りたいものがあれば、それでいいのだろう。


 僕は、未来を楽観も悲観もしない眼差しで見つめていたいよ。
 だけど、自由なんて御伽話。平和なんて御伽話さ。


 八十年代に、本当は気が付き改めなければならなかった筈の、社会の大きな過ちが幾つもある。
 だけど、それはダサい話。重い話。

 誰も、本気になって取り組んでこなかった過ちがある。

 国が滅びゆこうとしているけれど、誰もそれを認めたりはしない。

 そんなヘビーさよりも、甘い甘い御伽話をいつまでも信じている方が楽だもの。
 それとも、いつの日か、どこか遠くから特別な人がやって来て、僕らの過ちを正してくれることを期待しているのかな。


 福島支援の名の下に、放射能入りの食材が全国に出回り…。
 国が狂った欲望の大海原に沈んでゆくよ。


 僕は、ロックなき社会に、ロックに抱きついて、心ざわめかせ。



 この世に一輪の蓮の花、僕は咲かせてみたいと願う。
 逃げ場のない世界。
 悪い夢だったらいいのだけれど。

 因果応報、我を知る。


 哀れ、浮き世の物語。
 哀れ、浮き世の物語。

最近はずっと曲作りをしています。
以前に撮っておいた「ROCK WORLD」という曲をアップします。
今は喉を潰してしまっているので、早くライブをやりたいな音譜




     ROCK WORLD
Words & Music by Yoshinori Sugawara

ようこそ皆 ROCK WORLD感じて
今夜一緒に自由を探しに行こう
全ては君の為に捧げる 俺達の愛を奏で
歌い踊って演じるのさ 素敵なSHOW TIME
ROCK WORLDが生きている感動をリアルに伝える 夢を求め
ここに来れば変わらないもの 大切なことを思い出す 神に出会う
どんな時も信じてる ROCK WORLD ROCK WORLD ROCK WORLD

寂しがり屋さん 涙を拭ってあげよう
コミュニケーション GIVE AND TAKEで行こう
下手くそな愛だけど少しは 何もしないよりましさ
そんな気持ちでいるのですが 楽しんでおくれ
ROCK WORLDに生きている俺の魂が燃えている 愛を求め
寂しさを分け合うことから新しい感性生まれる 孤独癒し
PUREなHEART永遠さ ROCK WORLD ROCK WORLD ROCK WORLD


情熱だけに任せて何度も壁にぶち当たり 腐り 這い上がっては 歌い続けた
何が真実か知りたかった 誤解されていく生き様
走り 叫び 悩み  ROCK ‘N’ ROLL

ROCK WORLD集いし者よ 心の弱さ 立ち向かおう 胸張るんだ
駆け引きのない愛の世界 心の地図に探し出そう ユートピアを
翼広げ舞い上がれ ROCK WORLD ROCK WORLD ROCK WORLD
希望のあすに向かいFLYAGIN

 日本経済の麻痺。
 ロックも文学もこの世界で死に絶え、全ての倫理はもはや全て解体させてゆくばかりさ。

 君は今一体何を心の支えとしてその命を繋いでいるんだい。
 

 俺は時代へと口ずさむメロディーに心を溶かしながら、魂の嘆きの生み出す言葉の羅列を朝日の昇る水平線の彼方まで一人ぼっちで膝を抱え響かせてみるんだ。


 株式市場がへたりこんじまって、もはや俺達の抱えた暮らしは馬鹿にならねえ格差の重圧に抑えつけられている。
 

 俺の親友はそれでもいつも笑って暮らしているけどさ、俺はこの国の十年二十年先が恐ろしいぜ。

 街角には時折昭和浪漫の風が吹き、人々を古き良き秩序あるあの時代へと誘っているよ。
 

 何もかもが物事の体裁を整えることばかりに向かっているとさえ、心がとってもブルーになっちまった時には思えるのさ。

 だけど、この街には誰にだってすぐに手が届きそうな幸福がそこらじゅうに転がり、戦後以来続いてきた奇跡的な平和の中、暮らしはまだ貪欲な輝きの引力に吸い込まれ続けているのさ。

 「この国に真の平和を!」だなんて俺が本気でシャウトしたならば、君は呆れて思わず吹き出しちまうのかな…。

 癒しブーム。絶対的権力の崩壊。

 自己愛の為の叫びや主張が社会に反乱をもたらし、人々はやがて本当の慈愛の精神の中に目覚め、真実の前に跪き、そして自分の背負った罪の多さに悲しみを知る。

 俺はただ清らかな愛を信じ続け、そして全身全霊を込めて世論の解体を促していきたいんだ。

 そうしなければこの国に未来なんて本当にないんだぜ。
 

 だから、俺は自分自身に世の中からの誤解を恐れてはいけないと言い聞かせてみる。
 不景気の風に煽られてCDも本も大抵のものは売れやしない。

 だってさ、企業は目先の利益の欲に捕らわれちまって本物を見抜く大衆の心を育ててこなかったから因果応報ってことさ。

 

 全ては消費され使い捨てられていくが、現実に根ざさぬエンターテイメントが魂の糧にはならなかったってことにそろそろ皆気付き始めている頃だ。

 

 だから目先の欲ばかりに捕らわれてきた企業は大衆に今度はNOを突きつけられる番だ。

 皆本物の感動に出会いたいんだよ。嘘っぱちは全て見抜かれていく。
 

 今後多くの人々は自分の存在の根源的普遍性に自然回帰しようとする心の旅を始めるだろう。

 俺は時代のその流れをただのトレンドだけに終わらせてしまいたくはないんだ。

 それぞれが自分の感性を磨きコマーシャリズムの危険性について感じる心を育んでいって欲しいと願う。

 刺激は刺激でしかなく本当の人生の財産にはならないのだ。

 資本主義と本質的価値を上手く抱き合わせて文明のその先を切り開いていきたいんだ。
 長きに渡って血に塗れた国の内乱をまぬがれてきたこの国は、年間の自殺者が三万人を超えて精神社会ではそれぞれが孤独な戦争の中に存在していることを明らかに物語る結果に至った。

 今俺のこの小さな叫び声はこの国の人々の心まで届くのだろうか。
 滅亡へとひた走る時代の流れはまだ食い止められるのか。


 俺達もう一度真面目になって、一から裸一貫で人生やり直してみないかい。
 もしも君が本気だって言うのならば、俺は出来る限りに於いて力になり味方でありたいとそう思う。

 つまりそれが俺の人生だ。

 今あるものはやがては姿を消していくだろう。
 偽物から本物の時代へ。

 もう時代の歯車は動き出し、全ては真実の前に曝け出されるのだ。

 この世界の片隅で孤独に震え泣いている君へ。
 俺は君の為に生かされる。

 神のみこころを君に信じて欲しいと願う。


 俺のハートビートが社会に違和感を募らせて体内で暴れ回っている。
 時に激しく込み上げてくる情動を清らかなハーモニーに乗せて俺は、ロックンロールをがむしゃらに愛し続けているよ。

 俺の心に裏も表もありはしない。
 獣性に塗れた俺の情熱が七転八倒する生き様の中で、清らかなものへの憧れを抱え、翼を広げロックワールドへと天高く舞い上がる。

 自分自身背負ってきた罪の悲しみと誠実さの哀愁を噛みしめ、シュールにロック決めこんで。

 これは7月に書いたものです。 


 台風6号の風も弱まり、暮らしに落ちる悲しみの影も、散らばったままの木曜日。

 そういえば、今年はあまり蝉しぐれさえ、まともに耳に入らなかった気がする。
 僕は、とても憂鬱な日常に、自分の言葉の持つ意味をなくしかけていたのかもしれない。
 本当のことを言えば、深い絶望の中で、全てが無意味に思えていたということなのかもしれない。
 
 この暮らしは、まさに戦中のそれだった。
 毎日テレビをつけると何事もなかったかの様な陽気な番組が繰り返され、一番まともな情報が流れるのは、決まってネットだった。

 福島第一は、今一体どうなっているのか。

 僕の抱えた葛藤の全ては、そして多くの国民の抱えていたであろう葛藤の全ては、そこに行き着こうとしていたのだろう。


 音楽イベントで、脱原発を掲げたメッセージソングは歌ってはいけないことになったという噂さえ聞こえていた。
 東京では放射能が降り注ぎ続けていたけれど、それについて口にすることも許されない風潮が蔓延しているといった話も、ネットで毎日毎日たくさん目にし続けていた。

 シンガーソングライターとして生きてきた僕にとって、あの震災は、僕という存在について、自分自身に根底から問い直すことを、強く迫るものとなっていた。
 基本的に表現に何か大きな変化があった訳ではなかったけれど、無意識に見過ごしてきたと思える色々なことに出会ったし、何よりも日常に対する観察に変化が生まれていた。

 日常と自分自身の関係性。
 そして、他者との接点の持つ意味について、以前には感覚の鈍かったであろう視点が、芽生え始めていたのだと思う。

 当たり前に、そこにあるものとしての富を享受され、原発の持つ深い意味に思考を向けることもなく、僕はこの国に生まれ育った。
 子供の頃、原発って聞くと、何だかとても危険だなって本能的にとっさにそう感じていた筈なのに、僕ら人間はみな、与えられた常識の中で、直感を鈍感にして、生きていく為にいつも社会に順応していくんだ。
 きっと、それはそれで悪いことなんかじゃないとも思う。 
 だけど、どうしようもない虚しさを覚えるのは何故なのだろうか。
 僕は、まず僕自身の存在の在り方を問うことから、3.11以後の日本社会に生まれ変わった気がしていた。


 大手レコード会社から発信されるアーティスト達の音楽は、世の中の本当のことを歌うことの出来ない現実の中にあった。
 業界を支配する権力がそれを許さないことは、ネットの時代には、もう大衆の中でさえも常識になっていたのだろう。そして、そのことが、現代人の持つ知性の低下に深く関わり、直接的な打撃を与えていると、僕は考え続けて生きてきた。
 音楽で空腹を満たせはしないけれど、知性を磨くその先の未来にだったら、一番早く到達可能な媒体なのだというのが、僕の持論だった。

 一体僕に何が出来るだろう。
 それが僕の日々の常となり、そしてそれは日本国民の多くが共有していた筈のひとりよがりだったのかもしれない。


 僕が一番ストレスを感じていたことは、様々な意見に対して、あまりにも幼稚な議論の衝突が起こり続けることだった様な気がする。
 こんなこと言うと、お前は何様のつもりだと批判を受けそうだけど、日本人って本当に心が貧しくなり、根性があまりにも悪くなったって、心底そう思った。何かにつけて揚げ足取りをして、他人を攻撃することばかりが目についた。
 そして、文明はここで一度滅亡を迎えるのだろうかって、真剣にそう考えていた。
 何か、途轍もない大きな人間の枯渇感が、金や物や権力へと人々を駆り立てていて、その欲望に終わりなどない様だった。

 二十一世紀に入り、9.11に始まり、何か世界の隠されていた闇を支配する力が、僕らの目の前に、超物理的に形を変え、出現する様になったと感じていた。
 そして今年、二〇一一年は明らかに人類の歩みという、とても長い時間軸の中での大きな区切り目に違いなかった。
 世界中で次から次へと大災害が起こり、地球自体の生命活動のリズムが今までとは全く違ってきている様だった。
 取り分け感受性の鋭い人間でなくとも、その変化は歴然と感じ取れるに違いなかった。
 人類は、生き方を今変えなければ、どうしようもなくなると、僕はいつもそんなことを考え過ごしていた。

 そして、3.11が起こった。
 国家的犯罪という陰謀説までネットでは出回っていて、その可能性だって何も不思議なことではないと思った。
 人類はそこまで、文明力学を進歩発展させてきたんだ。そして、欲望を理性の声に従わせることが不可能となり、暴走列車の様なこの暮らしを止められもしない。

 金よりも命。
それが世の中の常識であって欲しかったけれど、それは権力を握る多くの人間達の信念とは明らかに違っていることは間違いなかった。

 命よりも金。
 福島の人々の命、人生、ほんのささやかな夢や希望よりも、金、金、金。 ほんの少し、不幸を背負った人間に手向けるべき、痛みへの共感などの心の余裕さえなくした人間が、もっともらしく理屈を並べる。
 決して誰にも、他人の生き方を裁く資格はないけれど、この国に今日ある悲劇は、僕自身の人生に起こった痛みであり、権力を振りかざし、人の命さえ自分の人生の都合の為に陥れてゆく人々の痛みでもあることを、どうか知って欲しいと、僕はそう祈る様に暮らしてきた。

 それは一体どういうことかというと、上手く他人から奪ったつもりでいても、人間という存在は、結局最後には自分の行いから発生する物事を獲得する定めなのだと思っていたからに他ならない。
 残念ながら、それを証明する術を持たないが、自分の感性が、それが宇宙の真理であるというのだから仕方がなかった。

 それを理解しながら、新しい幸福の価値観のもとに生活を僕らは始めなければ、放射能に毎日覆われた、このちっぽけな島国に未来なんてある筈もない。
 金は当たり前に大切だけれど、今までと同じに、目の前の欲に駆られて、社会全体や地球レベルの平和や幸せについて考えられない国に、もう未来なんてないのだ。
 現実を見つめることは、時にとても苦しいことだけれど、それでも今のままのこの国の在り様では、悲惨な未来に僕達は絆や夢や愛の全てを引き裂かれ、きっと暗い運命に呑み込まれてゆくだけだろう。

 殺人国家に生きる僕。そして君。
 このヘビーな現実をほんの少しでも明るい未来へと繋げることが出来る希望は、やはり諦め捨ててしまうことのない、温かな僕達人間の心だよ。
 僕は、純粋な眼差しで、この世界を見つめ続けていたい。

 金が全てだと信じる人々の考えを変えることは、とても困難なことだろう。
 そして、体制とはいつの時代も、どこの国でも、金や個人的財産を増やし、心の枯渇感のバランスを保とうとする人間の作る、金の奴隷パラダイスなんだ。
 初めから、権力を握り、この悲しみの世界とわたり合おうと決意した人間の群がる世界なのだと、僕はそう思う。
 そして、純粋な思いは、いつも国家権力に打ちのめされ、本当の自由なんて、僕達には与えられもしない。

 戦後の教育自体が、洗脳的に権力を握り生きることを讃美し続け、多くの国民はその狂った常識の奴隷となってきた訳だ。
 だから、僕はその洗脳の呪いを解く為のロックを歌いたくて、魂をうずうずさせながら暮らしてきた。 
 僕が、こんな風に個人的意思を表明することは、勿論社会的には本当にひとりよがりなことで、無意味に近いことだと思う。

 だけど、3.11以後のこの新しい世界では、そんなひとりよがりな情熱であったとしても、ほんの僅かな希望の歌が心の中に探し出せそうな気がして、僕は帯びたたしいメロディーを頭の中に繋ぎ、君に伝えたい夢を見ていた。


 原発という現代文明社会の原動力は、呆気なくもその神話を脱ぎ捨て、僕達は自動的に、何かの多大なる犠牲の上に享受されてきた富のそのサイクルから離脱する絶好のチャンスと、絶体絶命的ピンチの中で遭遇していたのだろう。

 そして、戦後の洗脳的物質的価値観にしがみつきたい人々と、新たなる幸福の価値観を発見し、より高い人間の幸福を実現させるべく、具体的にパラダイムシフトを組み立て経験しようとする人々とに、大きくその道は分かれてゆくのだろうと僕は想像を巡らせていた。


 人間とは、きっと枯渇感を感じ続ける定めの生きものなのだろう。
 そして、その枯渇感を埋め合わせる為のゲームが人生なのかもしれない。 愛や夢や理想を心に用意しようとするけれど、現実は思う様には決してならないのだと諦めを覚えた時から、人はみな金と権力欲に傾いてゆくのだろう。
 そして、僕らは様々な罪を犯す。
 開発の名のもとに自然環境を破壊し尽くし、そしてそれを望む望まないに関わらず、先進国の人々は、生活の中でそれに加担している。
 だけど、そのこと自体大抵無自覚に通り過ぎてゆく。
 だってそれはまるで、原発の意味を考えもせずに、呑気に暮してきた今日の僕達の姿そのものじゃないかと、そう思う。

 国がもっとこうしてくれればいいのにって、いつもそう思うけれど、国家とは基本的には国民のことなど初めからどうでもいいという前提のもとに成り立っているものなのだということを、僕は今一度苛立ちの中で、そう強く認識していった。
 そして、僕の求める真の自由と平和の意味について考え続けた。

 体制を形作り動かすもの。
 それは世論の意識だと思う。
 そして、今ある体制の姿は、僕達国民の意識の投影に違いないだろう。
 だから、僕達は自分自身にいつまでも負けないで立ち向かい、大切なことを、純粋なその思いを守り続けなければならない。

 それは、決して誰かに押しつけるものでもなく、自分自身がそうあれる様に。
 それが、僕の信じるロックンロールだ。
 この冷めた時代に、何でもかんでも人やもののせいにして、責任を逃れることばかりに必死になった、見栄っ張りで薄っぺらで傲慢なこの時代に、もしもそんな流れを生み出せたとしたら、ほんの僅かな希望が残されているのかもしれない。
 どちらにしても、僕は自分の信じたこの道をゆこうと思う。
 自分自身の平和を、まず初めに強く求めて。

今日の広島は雨降りだけど暖かかった雨


なんか春先っぽい。



幸福という名の愛


急に桜が咲いたり、植物も開花の時期を間違えるほどの季節感はてなマーク


世界の全てのバランスが崩れてる感じだけど、起こる出来事の結果をよりプラスにもっていけるように、いいイメージを広げていきたいな虹キラキラ


色々あるけど大丈夫グッド!

自分自身にそう言ってやりながら、今日も寝ようぐぅぐぅ








夜すっごい眠くて、夕食後寝てたぐぅぐぅ


iPodに入れた安全地帯聴いて、次に尾崎豊音譜

ボーっと起きたり寝たりモグラ


それでだいぶ目が覚めてきて仕上げにさだまさしトーク耳



今は夜中に目が冴え冴え目


テレビでは松本人志のコメディーテレビ

それがやけに面白く感じて妙なテンションアップアップ

ちょっと用あって尾道へキラキラ

何ともノスタルジー漂う街船

ブルースが聴こえる音譜



幸福という名の愛




この街はとても魅力があるようで、観光スポット。

写真カメラ撮ってもらえますかってよく声をかけられる。


映画映画の舞台になったり、最近はてっぱんが流行ったカチンコ

機会があったらぜひ遊びに行ってみてください新幹線



夜は曲の整理。

何でも整理って大切ビックリマーク


少し放っておくと、結構手間のかかることが多いですね。


例えば、大学ノートのどこにどの曲が作りかけになっているとか把握してないと、作業の能率が凄くダウンダウン


整理の大切さを噛みしめちゃいました。


整理整頓が出来ると、それだけでステップアップが楽になる気がするなコーヒー