アルバム「さらば資本主義」より





99%
Words & Music by Yoshinori Sugawara

総理にお尋ねしたいな この国の未来 99% 犠牲の上の発展
汚職事件 詭弁ばかり 誤魔化しの政治にはうんざりさ
デイサービス 介護福祉 火の車 派遣切り 雇用解雇 企業買収
汗水垂らし血税をしぼり取られ Hard Work 倒れれば使い捨て Wow
あくせく何処へ 暮らしは辿り着くの Everyday Eve
ry Night Lonely Heart 救いなく

1% エリート生む社会システム 仕組まれた自由に気付かず 生
存競争...
民衆よ 夢から覚めよ 資本主義 ありがとうと手を振ろう
窮屈にいがみ合う訳は何故 いじめ 鬱 自殺に殺傷事件
汗水垂らし血税をしぼり取られ 子羊達が悲鳴挙げ Wow
しらけた朝のRush 満員電車 Everyday Every
Night Lonely Heart 救いなく

ホームレス 転落の人生 誰だってあすは我が身さ
無関心で愛がなければ自由もない世界さ 真実が欲しい

汗水垂らし血税をしぼり取られ 何を夢見るの 俺達は Wow
自分の弱さ正す今日よ 輝け Everyday Every Night Lonely Heart 救いなく
99% 救いなく

日々季節はうつろい、春分を迎えましたね。

最近アメブロの方は皆さんの日記を読むだけで、自分のことはメインブログ「シュールにROCK決めこんで」に書いています。

もうすぐ、また桜が咲きほころび、いにしえから僕達の心に受け継がれた情感を謳いあげてくれることがとても楽しみです。

今日が人生最良の日と思いながら、毎日を楽しんで輝かせ生きていきたいですね。

春色のトキメキを感じながら。


ブログ「シュールにROCK決めこんで」

http://d.hatena.ne.jp/misty74/


「循環」


敵と味方の記号


ぼくらが勝手に心の中で線を引き

壁をつくって分け隔てた幻なのだろう



自らが否定したルール上を

生きる人々をも受け入れ自由を許すならば


きっとやがて愛は循環し


敵も味方も全てが自分の一部であり


間違った存在など初めからいなかった

という平和に辿り着くのだろう




「贈り物」


愛してる


それ以外のものは全て不必要だとつぶやけば


一瞬風のやんだ午後の街角が愛に輝いてみえた


その澄んだ次元の面影を壊さぬように


僕はメロディーに記憶し


言葉に心をかぶせた


それが僕の真心という名の贈り物

 その後、何となくお爺さんと会話になり、この犬の話を少し聞かせてもらった。


 お爺さんは家族とは暮らしていないそうで、犬はまさに家族同然として付き合っている様だった。


 自分が先立った後の犬の心配を口にする。

その言葉に犬への深い情愛の色が滲み、僕の心にじんわりと伝わってきた。



 心の距離感の取り辛い様な人間社会の複雑さの中で、動物とのコミュニケーションは実にシンプルに違いないだろうと、いつも僕は思う。


 何の見返りを求めることなき純粋さを自分も持ちたいと思った途端に、もう次の欲望の奴隷になりかけている様な暮らしの中で。

 きっと、そんな意識に生まれることが出来たとしたら、色んなことが聡明さの中に輝いて見えてくるのだろうなと想像は果てしなく続いていく。


 そんな心の自由を手にすることが出来たら、きっと天国に入国する為のピザが神様から僕達人間に支給されるのだろうな。

 人間が究極的に辿り着くべき境地に違いないと感じる。

 赤子の様な純粋無垢な魂にこそ、神は宿り、天の祝福は舞い降りるものなのだろう。

 だから、精神の浄化に動物との触れ合いはとても有効だと思う。



 やっぱりこの犬はちょっとした街の人気者なのだそうで、朝、お年寄り達が広場で体操をする時連れていくと喜ばれるのだとか。

 一日来ないと心配する人が現れるほどだそうで、癒されると言われるらしい。


 おっとりとした風貌とは違い、自分よりも大きな別の犬と勇ましく闘う一面があるかと思うと、子猫を拾って帰ってきて、育てているのだそうだ。



 なんて人間チックな奴かと思った。

 年齢は思っていたよりも若く、六七歳位とのことだった。


 東の大地の原発事故によって、こんなにも俺様モードの卑しい人間が溢れ返っている社会の姿が浮き彫りとなった世界の片隅で、嘘のない情愛の物語が進行していることは僕にとって救いだったのだと思う。


 本当はこんな命の営みを守る為の正義があれば、社会はそれで正しく機能するものなんじゃないかなっていつも思うよ。



 出世や金に目の眩んだ狂った人間社会から見たらきっと、大して価値のない様な犬の一生の物語のほんのワンシーンに、不意に僕は遭遇した。

 それは、何となくそんな淡い期待がふと胸に込み上げた瞬間に出会った、柔らかく素敵な小さな愛の物語。


 自分の意識が共鳴する現実の扉を、人は叩き人生を旅しているのだろう。

 今ある世界が壊れているのは、人間の心の中に恐怖や憎しみといったネガティブな感情が渦巻いているからに違いない。


 愛と恐怖はいつも同時に扉を隔て存在している。

 きっとこの物語は、その真実についてもう一度問い掛ける機会を与える為に、僕自身の想念が引き寄せ、目の前に現実として現れたものだった気がする。




 天国に近い国。

 僕はこの物語をそう名付け、心のページにお爺さんと犬の微笑ましい幸せな横顔を思い返してはスケッチを重ねた。








 一月半ばのよく晴れた水曜日。


 食料品店前のベンチに座り、僕は陽だまりに少しの間佇んでいた。

 特別な奇跡が起こりそうもない、ごく平凡な日常に、何故かゆったり流れる様な時間と幸福を感じていた。



 不安を探せば切りのない現代社会。

 この頃は、真実を目の当たりにしても、人々は自分が認める現実以外を無視する様に互いに擦れ違っていく様だ。


 僕は、何となく小さな幸福の物語を心に思い描いて、その場に足を止め、街角に生まれた座標点の如く、現実の意味に個人的解釈を加える存在になっていた。





 引っ切りなしに行き交う人々。

 アメリカンナイズされたライフスタイル。



 僕は、こう想像力を膨らませてみた。


 時空の旅人となって、この次元にもしも現れたとしたら、そこの通りを歩く流行りのドレスの彼女も原始人並みに滑稽な姿に映るのだろうか。


 そう考えると、格好良さの表面張力が僕の意識の中でそのバランスを崩し、イデオロギーの上に進行するであろう哲学の歩調が、一斉にラプソディーを奏で始めた。


 僕は少年の頃からずっと、こう考え、願い生きてきたのだろう。


 本物の輝きが一つ、この胸の内に生まれよ

 と。



幸福という名の愛


 丁度そう思った頃だった。

 目の前の駐輪場の脇に、一匹の犬を連れたお爺さんと叔母さんが現れた。

 何とも愛らしい犬は老犬の様だ。


 特になんてことのない物語の始まりだけど、この話が僕に恵んだ幸せは計り知れないものの様な気がしたのは一体何故だったのだろう。



 二人は直ぐさま僕の座る二つ続きのベンチに、同じく腰を下ろした。

 太陽が青空に輝き、何だか春の様な陽気だった。

 街に吹く風もとても気持ち良くて、少なくともこの瞬間は、東の大地で起きた悲劇を忘れさせてくれ、優しい慰めを受けている様に感じていた。



 犬は飼い主のお爺さんの忠実なしもべの様だが、意思表示はしっかりしていた。

 パンを鼻先に当てられても、興味を持たずほのぼのした表情を浮かべている様に見えた。

 お爺さんは犬と暫く語り合ったのち、何か用事を済ませる為に立ち上がり、そのまま犬の綱を繋ぐこともなく歩き去っていった。

 犬はただじっと、その後ろ姿を見つめていた。


 それからずっと、僕が傍で見ていても脇目も振らずお爺さんの帰りを待ち続けた。

 その純粋でまっすぐな忠誠心は美しく、ある種の痛ましさに輝いている様に感じられた。



 行き交う人々の多くが、そんな犬の姿に微笑みを零し通り過ぎていく。

 僕は、動物の純粋でとても気高い魂に触れ、心底癒される思いになった。

 どうやらこの犬は、この街の人気者らしい。

 僕はそう思った。



 十分か十五分位経った頃だっただろうか。

 お爺さんが犬への手土産を持って嬉しそうに戻ってきた。

 お爺さんがその手にしているものは、太いソーセージであることが目に入り分かった。


 犬は、さっきのパンの時とは違い、ソーセージには食欲を膨らませていた。

 ここに来るとこれが貰えると知っているのだと、ベンチに座ったお爺さんはそう口にしながらソーセージをちぎり犬に与えてゆく。

 お爺さんの帰りを犬と待っていた叔母さんも、いつものことだと言う様に微笑みを零していた。


 お爺さんが去った後、ちゃんとそこにいる様に人間を諭すほどにさりげなく言った切り、煙草を燻らせていたが、好物をたいらげてゆくその愛らしい姿に見入っている様だった。



 なんてことのない話。

 だけど、とても新しく感じてしまう訳は、やっぱり生きた本物の情愛がそこに存在していたからなのだろう。















ファーストアルバム「I Love You For Love You」より


http://jp.myspace.com/yoshinorisugawara


      DREAM

WordsMusic by Yoshinori Sugawara



ある日動けないほどに 無理なことばかりが
続く日々が 僕をどこかに追いやった
Dream 胸のベルがなった
Dream 心のありか知った
すべてをやめた瞬間に動いた
新しい世界をみた
光に満ちた 時間も何もない
涙が頬を伝い 回りを見るとすべて変った
未来の夢の街を 築けますように きっと


帽子を目深に被って荷物を抱えて
人の海をわたった懐かしいあの日
Dream 雪の降る夜は
Dream 毛布の中で夢みた
自分の場所を確かめたあの夜
終わることのない たくさんのHappy Story
必ずあの夢を目の前に見れますように
生まれてきたことを誇りに思う 涙あふれ出した


新しい世界をみた
光に満ちた 時間も何もない
涙が頬を伝い 回りを見るとすべて変った
未来の夢の街を 築けますように きっと







幸福という名の愛



「あの焼け野原の街が泣いてる」

あの焼け野原の街が泣いてる。
汚染瓦礫受け入れという現代の被爆問題が押し迫っているよ。

あの焼け野原の街が泣いてる。
もう決して過ちは繰り返さないと誓ったはずなのに。


「無言のドーム」

幼い頃からずっと広島は平和の象徴だと信じてた。
きっと経済戦争に明け暮れる日々の中で、大切な事を忘れ去ってしまったのだろう。

非核三原則。
俺達は黄昏の街に建てた原爆慰霊碑に、そして夕日に照らされ無言で佇むあの原爆ドームに自らで唾を吐きかけているんだ。

 今日は2007年に出版した「名もない日常のSTORY」という本の中からこの作品を紹介します。



幸福という名の愛



 ふと天を見上げると、そこにはまるで吸い込まれてしまいそうな生まれたての青空があった。


 産声を上げたばかりの青空の清々しさは、そうだね、それは描き足りぬ未来のキャンパスのきらめきのようさ。


 経済戦争に明け暮れて心に傷を負ってしまった、我が日本国民の皆様はじめまして。

 われわれはどこかでかけ違えてしまった時代のボタンの過ちに、日々悲しみを覚えるように暮らしているのでしょう。


 毎日テレビをつければ悲惨な事件事故のニュースが、ごく当たり前のように報道され、心にとげが刺さったまま、また眠りに就く日常が続いています。

 寂しさを独り部屋の片隅で抱きしめてみたとしても、やり切れぬ思いで頬を濡らしておられる方々が多いことでしょう。


 様々な心の痛みに満ち溢れ、精神的飢餓や貧困の世界は、何だか昭和二十年の終戦の年にやけに似ているな、なんて俺はそんな風に独り感じていました。


 来年は、このままいけば平成二十年になるのです。

 そうです。平成の世ははたちを迎え、いわゆる大人の仲間入りをするというわけです。


 終戦後、なにもない焼け野原の町を今日ある豊かな文明大陸にまで築き上げた、わが日本国の優れた多くの先輩方の、言葉には決してできぬ汗と苦労に心から感謝の気持ちを申し上げさせていただきたいと思います。


 戦後の日本の歩みを振り返ってみますと、もちろん成功も失敗もそれぞれにたくさんありました。


 そして平成十九年である現在、昭和という物質的繁栄の時代が恵んでくれた豊かさの中で、その繁栄の時代の犯してしまった過ちの代償に、精神的世界の飢えに直面せざるを得ぬ現実にぶつかってしまいました。


 僕はこの経験を一種の精神的被爆体験であるという風に認識しているのです。


 平成四年に起こったバブル崩壊のシナリオは、日本国民の全ての価値基準をくつがえすような威力を持ち得た原子爆弾の炸裂であったと仮定してみたのです。

 高度経済成長は国家にとって、また国民一人一人にとって多大な利益を生んだと同時に、それが経済戦争であった以上、敗戦時にはそれに見合ったつけが回るのは避けることのできぬ問題であったろうと思います。


 あらゆる社会システムがバブル崩壊前の世界のように機能を果たさなくなった現代、この文明大国という名の巨大生物は体を病み、そして、その巨大生物の生命体の各組織細胞であるような我々個々人は心を病んでしまっているのです。


 俺達は今、新しき価値観の中に生まれ出ようと苦しみもがく赤子のようなものですね。


 物質的繁栄を目指せばよかった戦後の日本とは違って、我々は精神的飢餓の世界からの脱却という、もっと難しい挑戦の時代の中に生かされているのです。

 その心の痛みは、もっと人間が素晴らしき真の幸福を見つけ出せるようにと神様が御与えになった愛のレッスンであると俺は考えます。


 今後、日本がどのように変わっていくのかなど答えは初めから何一つないのです。

 ただ、あるのは俺達一人一人が一体何を望み、一体どんな未来に向かって歩いて行こうとするのかというそのことだけでしょう。


 世界の国々の中でわが国の国際競争力の低下は、まさに経済戦争に明け暮れ、痛み傷ついてしまった心の未来に対するモチベーションそのものと言えるでしょう。

 俺達はこの悲嘆に暮れた泥沼のような毎日から這い上がり、世界の先進国としてあとに続く国家に対し、同じ過ちを繰り返させぬよう責任を担う義務を背負っています。


 自然と文明との調和のとれた世界の実現のために、俺達はそれぞれが今抱えた痛みの中で一つ一つの真実を勝ち取っていかなければなりません。


 心の痛みは正しさを教える尊き人生の師だと言えるのです。

 格差社会や精神的貧困の世界の中において、大衆の多くは自己の生命の危機を回避するために心を頑なに閉ざし、自己愛に逃げ込む動きが活発化しています。

もちろん、それとは逆に心静かに時代の流れを冷静に見つめ、社会に対して自分に今日できることは一体何なのかを問い続け、能動的、建設的に自分の置かれた状況から必死に働きかけようとしている人々もまたたくさん存在しています。


 俺は芸術の持つ力を強く信じます。

 この欲望に塗れ偽りに閉ざされてしまっている世界では、人々は互いの真実の姿を正しく正確に把握することができないが故に、誤解しあった部分で哀しく日々いがみ合ってばかりいるのです。


 その心の偏見の壁を打ち破り、閉塞した現実を打破して、人と人の心を通い合わせる可能性を多大に秘めたものが即ち優れた芸術作品であると考えているのです。

 しかも、様々な芸術の中においても、音楽という表現媒体に俺は特別な思いをもっているのです。

 音楽は言葉を完全に超越してしまっている次元で人々にその影響力を発揮していきます。

 より高い次元の世界に音楽家が意識をチューニングして生み出された音楽は、言わば俺達の本質的性質に完全にフィットし、そのフィーリングは闇の世界を彷徨う多くの人々の魂を浄化し清めていくのです。


 天の波動を持つ音楽は、本質的世界のバイブレーションにより傷ついた魂を愛で包み込み、真実を諭しながら心に降り注ぐ希望の光の如く未来を信じ続ける勇気を俺達に与え育んでくれることでしょう。


 そして、俺もまた、この国のこの時代に育まれ、心を病んでしまった存在として日々、芸術に己の魂を吹き込みながら生きています。

俺は、時代という名の土俵際に追い込まれた力士の如く、決めの一手に命を懸け、大衆に真実を訴えかけていくのでしょう。


 一から始めよう、今日できる小さなことから。

 一から始めよう、それがやがて、とてつもなく大きな希望を生み出すのだと信じてごら

んよ。


 今、俺達を取り囲んでいるこの世界を劇的に新しく生まれ変わらせることのできる可能性を秘めた最大の力は、まさにそんな日々のささやかな営みでしかないのです。

 そして、それが最も遠いようでいて最も近い希望への道のりなのです。

 地に足を着け、自分を見失わないでいることが俺は何より大切なことであると思います。


 一から始めよう、様々な痛みを抱えた今日というこの日から。

一から始めよう、命燃えつきてしまうそのときまで諦めず、投げ出さず。

 一から始めよう。



俺の見上げた青空はどこまでも高く澄んで広がっていた。

 そして、限りなき情熱のメロディーは、一つ一つの音符を天使に与えられ舞い降りるが如く、我が心の大地へと降り注ぎ、神様の願いに縁取られた様式美をまといながら、偽りと真実、欲望と愛とを統合させ、きらめいていた。


 即ち、俺にとっての歌は命そのものであり、また人生そのものであったのです。

 限りある命の美しさを讃美しながら、俺は音楽の神様と向き合い、いつまでもいつまでも対話を続け希望の未来を願い、この世界に祈りをささげていました。



 僕の音楽は、人々と何かを分かち合い、役立つだろうか。

 そう自問自答を重ねながら、季節の移り変わりを数え、本当の気持ちを音楽に込めようとしてきた。



 世界中で争いや対立が激しくなっているのは、意識の隔たりがより開いてきているからと言えそうだ。

 そして、情報弱者のままでは不利なことが多いことに日々出会ってきた気がする。




 今、日常は諦めムードが色濃い気がしている。


 ノーを口にすることのし辛い文化。


 正しいか間違っているかではなく、社会にどう順応し従うかに人々の意識は向かってばかりの気がしている。


 こんなに酷い、人類史上最悪の原発事故が起きても尚、政府も東電もその責任を認めたがらない。

 それどころか全国に汚染瓦礫を搬送し、焼却する構えだ。



 そこには、吐き気のする原発利権の闇が眠っている。


悪寒の走る様な薄汚い人間の欲望が、凶暴な牙を剥いている。


 また、どこかから妙な日本人の美徳の精神の話が持ち出され語られるのが聞こえ、国民の多くは経済第一優先主義にまんまと抱きかかえられ、人々の命を虫けらほどにしか感じないロボットの様な冷たい心をした人間達の作り出すプロパガンダに騙され、拝金主義に巻き込まれてゆくよ。



 今や、放射能という危険物質の取り扱いについて、何かの理由の上にリスキーな政治的選択は許されるべきではないと僕は思う。


 そこにどんな理由を並べようが、結局やろうとしていることは経済優先の殺人行為に違いないと思う。


 国家的犯罪だ。

 この社会は、国や企業、また民間レベルまで腐り切っている。



 右も左も金、金、金、金。

 思考回路がまるで理解出来ない。

 はっきり言って、悪魔に魂を売り渡しているとしか思えない。



 そして、善良な人々の無関心さに日常はしらけ切っている。

 そこには、自分に対する諦めが強く感じられてならない。どれだけ酷い心の暴力を受け、自信を失くし育ってきたのか、気の遠くなる様な闇が眠っているのだろう。



 社会の冷たさとは、多くの現代人の抱えた自己不信を意味している様に思える。

 つまり本質的な話をすれば、他人に冷たいのではない。まず初めに自分自身に冷たく、人生の可能性を諦めてしまっているのだと思う。自分を捨ててしまったら、ましてや他人に親切にも優しくもなれる筈がない。



 だから、夢が大切なんだ。

 青臭くて、社会に笑われてしまう様な純粋無垢な夢、そして愛を失くしてしまったことが、この非情な日常の正体だと思う。




 今日のこの日本社会は、コップの中から零れてしまった飲み物みたいだ。


 決して元には戻せない。

 だから、今までと同じ様に復興、再生のドラマは僕にはとても描き辛かった。


 だが、政府が場当たり政策で誤魔化そうとしているやり方は、零れた飲み物をコップの中に戻そうとする作業に見えて仕方がなかった。



 いまや国民の多くが知ることとなった原子力計画のあまりのずさんさ。

 危険回避の方法論のない完全見切り発車の愚策。

 本当は初めから未来のない発展だったんだ。



 そして、人類史上最大の事故に遭遇した。

 それでも尚発展を掲げ、福島の人々に、子供達に途轍もない悲しみを平然と背負わせようとしている。

 とても人間とは思えない。



 福島の母達の訴えに僕は耳を澄ます。

 切実な祈りの言葉が、この社会の闇に悲しく零れ落ちてゆくよ。



 きっと僕ら国民は、誰かが救ってくれるって幻想に甘え過ぎてきたのだろう。

 答えは、待っていても誰も救ってはくれない。

 まずは、自分で自分を救ってやることから、もう一度歩き始めなければ。





 闇に零した祈りは、存在の所在すら明白に掴み取りにくい顔をして、ぼやけた輪郭で揺れていた。

 僕は、それを幻のレクイエムと呼んだ。