町内にある
浅間神社
木花咲耶姫をお祀りした
朱塗りの神社です

無人の神社ゆえ
時折お詣りに行くと
枯葉や木の枝などで
荒れ果てています

胸が痛み
居ても立っても居られなくなり
掃除をしようとすると
夫がいつも手伝ってくれます

ここ数年は
恒例行事のようになった
このお掃除

境内の周りには
針葉樹と広葉樹が
林のように広がっているので
90Lのゴミ袋が10〜20袋
木の枝が数束出ます

不思議と
掃除は苦になりませんし
掃除の最中は無心なので
身体の疲れは
あまり感じません

けれど
終わった後は
どっと疲労感が出て
腰が痛い…とか
肩が痛いとか…苦笑

そのように掃除をする中で
数年前の事です
突然
木花咲耶姫様から
「来なさい…来なさい。」と
誘われるようにして訪れました
この感覚は時折
伊勢神宮の内宮からもあります

浅間神社を訪れると
途方に暮れるような荒れようでした
1〜2mの針葉樹の木の枝が
所狭しと落ちており
木の葉は
広葉樹と針葉樹が入り混ざり
参道はおろか足の踏み場も無いくらいでした

この掃除の際
どうしても1箇所気になる場所があり
掃除をすると
なんと御神木が現れました
御神木と言っても
1m弱の枯れた木の根です

ボロボロのロープで囲われた
御神木
それを見出し掃除を終えた時は
何とも言えない清々しさでした

その数ヶ月後
御神木は
幣束付きの綺麗なロープに
取り替えられ
「御神木」との立て札まで
建てられていました
きっと
神社関係者の方が
御神木の存在に気づき
このようになされたのでしょう

これを目にした時
とても嬉しく
心が充足感で満たされました

たとえ枯れていても
御神木は御神木なのです



今日また神社の掃除をしました
掃除をすると
毎回様々な気づきがあります
上からすっと降りてくる情報は
深く胸に刻まれます

「完成度を求めない」

これは生きて行く上でも
仕事の上でも
稽古の上でも
あらゆることについて言える事です

完成度を求めないという事は
常に
あるがままを受け入れる
ということです

全てを
「それでいい」
と善し悪しをジャッジする事なく
素直に受け入れるということです

もちろん
向上する事は大切ですし
努力をする事も大切です
高みを見ることも素晴らしい事です

けれど様々な道を進む上で
完璧主義は
ある意味では苦しさを
生み出すこともあります

怠惰とは異なる
努力を惜しまぬ姿勢で
行う事柄において
完成度を求めず
けれど
邁進してゆく

それぞれの人に
それぞれに与えられたお役目を見出し
完璧でなくとも
継続して全うする

今日の気づきに感謝して