前回の、〜掃除からの学び1〜の続きです。
前回の掃除は、充分にやった。
そう思っていたのにも拘らず、また荒れ果てていた神社。
またもや掃除を始める事になりました。
けれど、一回目のような熱い想いは、私の中から消えていました。
前回は、一刻も早く綺麗にしなければ…という熱い想いがありましたが、今回は、淡々と黙々と、という心境でした。
やれどもやれども、雑木林に大量に溜まっている枯れ葉と枯れ枝たち。
前回、肥料になれば…と思い、木の根元に掃き寄せていたそれらに、結局は再度、掃除をしなければならない状態にさせられました。擬人的ではありますが、そう思いました。
どこまでやれば、綺麗になるのか。
厄介な事に首を突っ込んだのかも…という考えが、ふと頭をよぎりました。
が、やはり、目を瞑ることはできない。
見て見ぬ振りは出来ない。
私の中の正義感なのか、お節介な性分なのか。
はたまた、面倒な性格なのか。
後から手伝いに来てくれた夫は、「掃除しきれない分は、奥に掃けばいいんじゃない?」と言いましたが、結局風で飛ばされてしまうことを伝えると、大きな熊手を2本買ってきてくれ、敷地の西側を全てきれいにしてくれました。
夫の労働力は、全く私の比ではなく、その能力の高さを改めて感じました。
私も昔に比べれば、二の腕も随分たくましく?なっているのですが・・・。
二人で、午前中いっぱいと昼食後も数時間をかけ、前回に続いて今回も、90ℓと70ℓのゴミ袋が8袋出ました。
それでも、東側がまだまだです。
敷地の全てが整えられるまでには、根気よく取り組まなければならない事を通感しました。
身体の痛みが癒える頃、また取り組まなければならないでしょう。
さすがに、身体はあちこち痛くなりましたが、ご褒美もありました。
なんと、ご神木が出てきたのです。
縄で囲まれた小さなスペースに、枯れた木の根のようなご神木がありました。
紙垂はボロボロでしたが、掃除をすると清々しいご神木がお目見えしました。
これだけでも、掃除をした甲斐があったというものです。
この度の掃除で、実に多くの学びがありました。
先送りにした事からは、決して免れられない。
それは、心の学びも同じではないか。
人生において、面倒だと思い逃げてしまった学びは、何度でもやってくるものです。
気付き、理解し、受容し、許容し、完全に学ぶまで、何度でもやってくる。
だから、逃げてはいけない。
いつも真摯に、向き合わなければならないという事を。
そしてもうひとつ、熊手からも学んだことがありました。
それは次回へ。