福田事務次官のセクハラ問題が世間を賑わしているが,私に言わせれば,モテない奴ほど権力を笠に着てこのようなことをやる傾向があるように思う。

そこには,パワハラと一体になったセクハラがある。
このケースもその典型だと思う。

また,この人は以前から同じような言動をしていたのではないか。
それまでの女性はネタと引き替えに我慢してきたか,相手の権力の大きさに我慢せざるを得なかったのだろう。

絶対的に近い権力の座にいる人間は,自分がそれを笠に着ている認識がないものだ。
また,周りの者はそれに反駁できないことを知っているが故に,歯止めがなくなっていくと思う。

テレビ朝日の対応を批判している他局もあるが,これは自らの局でないことから来る身軽さと思える。
本当に自局の女性記者から訴えがあったら,正々堂々と報道して戦うのか疑問を感じる。
自局でなくてよかったというのが本音ではないのか。

珍しく安倍トモの田崎氏が割合まともなことを言っていた。

それにしても情けない日本になったものだ。
もう,世界中の笑いものだろう。

佐川前国税庁長官の証人喚問に期待した人も多かったと思いますが,奇跡はそう簡単に起きませんでした。

安倍夫妻の「関与」に言及することを野党も期待したのでしょうが,「直接関与」はない以上,それは甘いと言わざるを得ません。

それでは,何故「文書改竄」を行ったのかということですが,時系列から考えてみると,森友前理事長から「昭恵夫人」の名前が出た時,直感的にこれは「政治案件」と認識したと思われます。
担当者からすれば,これを一方的にはねつけた場合,自らに及ぼされる危険性(圧力)が頭をよぎったでしょう。

私も職務上県の担当者と何年間もやりとりをしましたが,彼らは「政治案件」について何時もぼやいていました。
地方政治レベルではもっと露骨で,直接議員室に呼びつけられるらしいです。

そこであからさまに圧力をかける。
もし逆らえば,どんな報復が待っているかも知れない。

圧力に曝された人間は(例えそれが間接的なものであっても)自己保身を考えます。
すると,「無理な理屈」をひねり出そうとします。

しかし,それは自らの意志でなく,何らかの「外的要因に基づく」ことであったという証拠を残しておきます。
そうでないと,今回のように露見した時には身を守れないからです。

ではどうして「削除」してしまったのか。
それは,その根拠が露見してしまうことによって降りかかる火の粉を事前に防ぐためです。

そこには大義名分などはないでしょう。
兎に角,自分に責が及ぶことを徹底的に避けようとする心理が働いています。

実質的に何も語らなかった(語れなかった)佐川氏は,そうすることでしか自己保身ができなかったのでしょう。
上述のように,そこには正義などはなく,自己保身しかありません。

権力の圧力をよく知っているからこそ,そうした。
彼は,前川氏とは違います。

そこが最も大きなことでしょう。
何が違うのか。
その背景はお二人のバックボーンを読み解けば分かります。

結果的に佐川氏は,後の人生で「口をつぐんで生きる」道を選択した。
それ以外に彼が生きる道がなかったとしたら,とても不幸なことであると思う。
日立がイギリスへ原子力発電を輸出しようとしている。
その際に,事故が起こった場合などの保証を「政府」も行うとしている。

これは,我々の税金を一民間企業に与えるようなものである。
安倍政権は,ここまでして原子力発電を推進したいのだろうか。

マスメディアは一切報じないため我々には情報が入ってこない。
昭恵夫人が国家公務員を私用で使うことと変わりない。

この国の政府は,国民をどんどん置き去りにして,一部の人たちが甘い汁を吸う体質になってしまった。
これまでにも色々な疑獄事件はあったが,全てとは言わないまでもマスメディアはそれを報じてきた。

このままでは政府を監視する機関はなくなり,我々は何も知らされることはないだろう。
情報社会と言われて久しいが,実態はまるで戦前のように統制されている。

常に不安を煽ることによって,一般市民は目先のことにとらわれていき,国家のことなど考える余裕を与えない。
一方では,バラ色の政策を口にすることによって一抹の希望を与えるが,それが実践された試しはない。

トランプ大統領も「戦地」として残っている北朝鮮を煽り,安倍首相は外国の遊説先で「圧力」ばかりを口にしている。
そのことが国民を危険な状態に陥れている可能性がある。

何も核弾頭を積んだロケットを発射しなくても,日本海側の原発などを目標にされれば,日本はひとたまりもない。
そのことは,東北大震災の福島が証明している。

そう考えれば,我々は,憲法を改正して戦争に向かおうとしている安倍政権に反対する機運を上げなければならないのではないか。
日本に武器を配備すればするほど戦争の危険性は増し,我々は戦火にさらされる可能性を否定できない。

Jアラートは,国民を試す絶好の道具になっている。
いつになったら,この国はまともな方向に舵を切るのだろうか。

老い先短い者はどうでもよい。
何も知らず安倍シンパにされている若年層は,自らの行為が自殺への道を歩いていることを一刻も早く気づいて欲しい。





安倍首相は,最早やりたい放題になっている。
森友問題は,ご夫妻を刑務所に閉じ込めて口を塞ぎ,加計問題は理事長が雲隠れ。

打ち出してくる政策は,どれもこれも未達。
その検証すら行わない。

それにかこつけてか,官僚はメールを好き放題に廃棄している。
この国家を運営していると自称している人たちは,何も責任を負わなくなってしまった。
一方で,子供達には「道徳」を押しつけてきている。


マスメディアはすっかり手なずけられ,NHK すら御用放送局に成り下がった。
我々は,今何を知っているのだろうか。

YouTuber はモラルハザードをおこし,若年層に多大な影響を与えている。
自分の未来よりも刹那の面白さに興味を持つことは本当にいいことなのだろうか。
全て最後は自己責任なのに。

ここまで腐っている政権を批判して打倒しないのは,全ての国民が腐ってしまった証か。


先の衆議院選挙の結果を受けて,安倍政権は,野党の国会質疑時間を減らすなど,ますます「独裁的な」措置を執ろうとしている。

この選挙は,事実上安倍政権の信任を問うものでしかなく,勝つことは目に見えていた。
希望の党や民進党の解体と合流は,結局ところ理念なき付け焼き刃で,国民の信任を得られないことは周知の事実だった。

それに収まりきらなかったのが立憲民主党で,国民としてはなんとか希望を持てるとすれば,ここしかなかったに違いない。
だから,共産党も希望の党も票を伸ばせなかったのだ。

この選挙の結果で,「改憲」はスケジュールに入ってしまった。
いよいよ自衛隊は「国軍」となり,自衛隊員は「戦地へ赴く」ことが使命になるだろう。

人を殺し,殺される場面に直面することを覚悟することができるのか。
家族からは否定的な意見が出始めているが,「職業軍人」と位置づけられれば仕方ないだろう。
いやならば,今のうちに「除隊」するしかない。

今の日本で抑止力がなくなっていくことは,ますます第2次世界大戦前夜に近づいていく感覚を持つのは私だけだろうか。
安倍政権が衆議院を解散し延命を図ろうとしている。

国会議員のスキャンダルが次から次へと出てくる中で,民進党も解党してしまい,野党の存在すら希薄になってしまった。
この寸隙をぬって自らの信をを問うつもりらしいが,国民はどれだけ投票に足を運ぶだろうか。

安倍首相は,そんなことは分かっていて,「勝てば官軍」とばかりに加計学園問題を始めとするダーティな部分を払拭しようとしているのだろう。
極めて姑息な手段と言わざるを得ない。

小池さんが「希望の党」を立ち上げ,野党再編を狙っているが,国民はどこまで期待できるだろうか。
方針も明確に見えない中で信任することは難しいと思う。

各議員は自分の再選ばかりの行動に走り,誰も「日本」を考えていない。
その意味では,安倍首相と何ら変わりはないとも言える。

このように,モラルハザ-ドを起こしている人たちに国政を任せるしかない我々は最も不幸な国民であろう。
また,この状況を突き破れるような人がいないことが悲しい。

利権団体や訳の分からない人たちが,安倍首相に信を与えるならば,日本は益々破壊されていく。
そんな国に未来を預けなければならない若い人たちは,この先不安で仕方がないと思う。

いっそのこと,こんな日本に見切りをつけ,世界に飛び出していく方が,同じ人生を歩むにしても,ずっと幸福かも知れない。

このまま衆愚政治を続けていくならば,本当に日本は破壊されてしまう。
もうその覚悟をしなければならない時に来ているのかも知れない。

あなたは今,自分の仕事を面白いと思って取り組んでいますか。
それとも嫌々ながら取り組んでいるのですか。
もっと言えば,仕事を楽しんでいますか。

仕事なんて面白いことも楽しいこともないと思っているのならば,あなたは不幸かも知れません。
私達は生きていく以上,多かれ少なかれ仕事をしていかねばなりません。
どんな小さなことでもいいのでそれを見つけないと,仕事そのものを続けていくことは出来ない可能性があります。

面白さがわかったり楽しんでいると,心が軽くなり,頭もスムースに働きます。
その反対だと,気持ちは沈み頭も働かない。
結局はいい仕事が出来なくなって,悪循環に陥り仕事を辞めてしまう羽目になる。

仕事は楽(らく)ではありませんが,楽しむことは出来ると思います。
楽な仕事ばかりを求めていては,その面白味も楽しさも分かることはないでしょう。

それは色々な仕事を経験しないと生まれてくるものではないかも知れません。
そして,自分の中に目的があるかどうかも大きな要因ではないか。

私は,何か新しい仕事を与えられた時,自分なりの目的を考えるようにしてきました。
それは何も職場の利益に直結する必要はありません。
あくまで自分の密かな目的であり楽しみであっていいのです。

行政官庁との折衝をやっていた時は,「これは知恵比べだな」と思って取り組んでいました。
どちらが問題の突破口を開くかのゲームと思ってやったこともあります。
何もご大層な目的を掲げる必要はないのです。

折角取り組むのだから,自分も楽しまないと損をするくらいの気持ちで考えることです。
そんな気持ちでいると,少々行き詰まっていても,それを楽しんでいる別の自分がいることに気づくことがあります。
もう一人の自分がいて,「もう少し粘ったら」などと言っています。

気持ちが乗らないと頭も働きませんから,出来るだけ軽い心境に自分を置くように心がけるのです。
仕事の締め切りが2時間後に迫っている時,「まだ」2時間ある,と考えるのか,「もう」2時間しか残っていない,と考えるのかによって気持ちの持ちようが変わってきませんか。
私は,必ず「まだ」と考えてきました。

すると,追い込まれていながらも自分がまだ粘れるのですね。
所謂腰が砕けていかない。
集中力も途切れることはありません。

雪山で遭難した人が,山小屋の一歩手前で亡くなっているのは,山小屋を見つけた時点で緊張を解いてしまうからです。
「見つけた」ことで人間の生理的反応が止まってしまう。
生き残れる人は,中に入って火をおこし,体を温めるまでは緊張を解かない。

仕事も同じく,楽しもうとするのかしないのかの差に過ぎないのですが,出てくる結果は異なっています。
やはり,楽しもうとする姿勢を持っている人の方が,どんな困難辛苦に出あっても完遂します。
自分の気持ちの在り方が結果まで左右するのです。

ですから,仕事そのものに何かを見つけることが,長くやっていく上での秘訣であると思います。
どうせ同じ仕事をしなければならないのなら,面白味や楽しみを見つけていい仕事をした方が,まわりも評価してくれるし,自分もやりがいがあると思いませんか。
例え,それが自分を騙すことであっても,乗り越えなければならない時はそんな手段も必要と思います。
あなたが就職試験を受けるのは,会社に所属することはもちろんですが,そこで「仕事をする」ことが目的ですね。
その会社でなにがしかの「仕事」をやりたいわけですね。
会社に「入る」ことだけが目的ではないですね。

何故この様なことを質問するのかというと,あなたの「仕事」に対する姿勢を確認したかったのです。
長年多くの人を受け入れてきますと,仕事に対する姿勢の違いがその人の伸びの格差になってくるからです。

私は,面接では業界の知識の有無をそれ程重要視していません。
そんなことは,仕事をやっているうちに身についていくからです。
それよりも,これから取り組もうとする仕事に対して,どのような考え方と姿勢を持っているかがとても重要だと思っています。

企業は,あなたが「仕事」を通じてどれだけ貢献してくれるかを評価の尺度にしています。
このことはどの時代にあっても変わることがない根幹だと思っています。
言葉を変えれば,仕事を通じて,あなたの重要性を会社に対してどれだけ認識させられるかどうか。

その為の努力を惜しまず,伸びていこうという姿勢を持っているかどうか。
面接していますと,この点がある程度明確な人とそうでない人がいます。
面接官は,あなたのそのような資質というか姿勢を確かめようとしています。
そうでない人は採用後も伸びてこない。

それは,あなたに伸びしろが残っていなかったせいなのかは意見の分かれるところです。
大学入試でそれを使い果たしてしまい,人生の本番では全く残っていないのかどうか。
大学はそこそこのところだけれども,充分伸びる余地がある人がいます。

大学のブランドは,社会の入口ではある程度有利に働くことは否定しません。
まわりの新入社員にはそのような人がゴロゴロいる。
しかし,就職を「出発」と考えているのか「ゴール」にしてしまっているのかは個々人で異なるでしょう。

ゴールと考える人には,伸びしろが少ないと思わされる場合があります。
仕事を頼んでも,単純に言われたことだけをするだけで,あなた独自の工夫がみられない。

一例を挙げますと,新卒の女性(Aさんとします)にコピーを頼んだことがあります。
内容は,A4の用紙が2枚,B5が3枚です。
Aさんは,そのままコピーして持ってきてくれました。

それはコピーするという指示に従っているので間違ってはいません。
文字通り言われたことを素直にしてくれた。
ただ,相手が何を目的にしているのかを考えた工夫がありません。

私は,同じことを同期の別の女性(Bさんとします)に依頼しました。
彼女は,私に下記のような質問をしました。
1.何部必要か
2.使用目的は何か
3.全て同サイズに揃えるのか。揃えるならばどのサイズか
4.揃える順番はどうするのか

上司が言わないことを補足的にたずねて,過不足のない仕事をするという姿勢の違いがわかると思います。

どちらも指示に従っており正解に違いはないのですが,Bさんの方が仕事に求める水準が高い。
たかがコピー一つでもここまでの違いがあるのです。
私は,次回からAさんには,Bさんがしてきた質問を全て口頭で言うことにしました。
そこで,私の指示の内容から,自分の気づいていなかったことを理解できればAさんは伸びてきます。

その様子を見ていたまわりの職員はBさんに頼むようになってきます。
そういうところに気づける姿勢のある人に対しては,自然に「仕事が出来る」という評価が下されていくのですね。
それは不公平じゃないかと考えるあなたは甘いと言わざるを得ない。
人間は平等でも,仕事は公平に与えてくれるわけではないのです。

社会は教育の場(学校)ではないので,公平なんかを考えてはいない。
出来る人に必然的に集中していく。
そして,上司は出来る部下をほしがるものです。
誰も部下の分まで仕事はしたくありませんから。

ここで勘違いしてはいけないことは,あなたに仕事が集中してきて忙しいめをしているのに,隣の部署の同期の社員は暇そうにしていることを羨んではいけません。
仕事が集中してくるということは,先輩や上司があなたの実力を認め始めているという証の場合がある。
それを誤解して将来を失ってはいけません。

はっきり言えば,新人の配属を受ける部署の上司は迷惑なことだと思っているかも知れません。
何故ならば,上司は自分の仕事の他にあなたを育てる仕事も負わされるのです。
ですから,あなたは一刻も早く一人前になるべく努力する義務があるのです。

その速さによって,あなたは「使えるヤツ」になるかどうかが決まってしまうと言っても過言ではない。
そう思わせれば,上司は喜んであなたに色々なことを教えてくれるだろうし,その効果によってますますあなたは伸びていく。
入社時には見えなかった差が,年を追う毎に見えてくるのはそのような違いがあると私は思います。
現役の時に自己啓発の講演会で聴いた事例を紹介したいと思います。

それは,東京ディズニーランドのレストランに勤務しておられるある女性のお話です。
あるご夫婦がやってこられて,お二人の食事とお子様ランチを注文されたそうです。
もちろんその時はお子様は同伴されていません。

彼女はウエイトレスで,その注文を受けたあと,ご夫婦の席にお子様用の椅子を持ってきて,その前にお子様ランチを置いたそうです。

何故,彼女は子供用の椅子を持ってきたのでしょうか。
それは,ご夫婦にはお子様がいたが亡くなってしまったがために,ここに連れてきてこれなかった思いを込めてお子様ランチを注文したのを察して,その椅子を用意したのです。

その行為にいたく感激したご夫婦は,後日お礼の手紙を会社に差し上げ,そのことが広報誌に掲載されてこのエピソードは有名になりました。
注文を受けるだけならば,子供用の椅子など用意する必要はありません。
しかし,もう一歩踏み込んで,「何故お子様ランチを注文するのか」と考えた時,彼女には上記の事情がわかったのでしょう。

ここに,同じ仕事をやるにしても,「気づき」がある方が素晴らしい仕事になることが証明されています。
次に,私の「気づけなかったこと」を紹介します。

それは,女房の実家に初めて招かれた時のことでした。
女房の実家はお寺で,私はお母さんに「正門」から招じ入れられたにもかかわらず,それに気づいていませんでした。
というのは,いつも遊びに行った時,脇の入り口から入っていたので,そこを正式な入り口と勘違いしていたのです。

長年,そのことが頭に引っかかっており,自分は正面玄関から招かれなかったとばかり思っていました。
ですから,最初にお伺いした時は正式な客ではなかったと考えていたのです。

後年,女房のお母さんが亡くなった時,棺を担いだのですが,それを出したのが初めて伺った門だったのです。
その時,私は初めて,お母さんは私を正式な客として迎え入れて下さっていたのだということに気づき,非常に申し訳なく思うとともに,自分を恥じました。

何度も遊びに行かせて頂いているのに,どうして気づかなかったのか。
それは,私の無知と,それによる勝手な思い込みにあります。

人には,ちょっと視点を変えれば見えるにもかかわらず,それが出来ないがために「気づかない」ままでいることが沢山あるのではないでしょうか。
その気づきの差が,人の心を歪めてしまったり,仕事の出来不出来にも影響を与えるように思います。

難しいことは必死になって考えるのに,簡単なことには気づかない。
これを人間の性(さが)と考えて,少しでも気づける人間になりたいものです。
また,気づきの差が人間の幸不幸を分けてしまうのかも知れないと考えています。