ピースの又吉には親近感を抱いていた。

暗くて、思慮深い感じが好き。


その割には、お笑い芸人という人前に出る職業をしているし、

サッカーも得意で、おしゃれで、その上、芥川賞まで取る。

なんて才能にあふれた人なんだろうって思う。


そんな又吉が、太宰治を好きだという。


又吉が好きな私は、家にあった『人間失格』を、読んでみることにした。


『人間失格』を読むと、

主人公の葉蔵が自分のことのように感じられる人と、

まったくそうは思わない人に、

きれいに分かれるそうだけど、

私自身は、自分と主人公が重なって見えた。


正確に言うと、若いころの自分と、主人公が重なった。


他人が少し顔を曇らせただけでも不安で仕方なくなり、

みんなを笑わせるため、道化になった。

他人が何を考えているのか分からず、無言の時間が怖かった。


周りのことを怖がりながらも、バカにし、

その実、自分自身は地に足をつけて生きることもできていない。


私自身は、今は、子供という守るべきものもできたから、

前よりは、図太く、自分本位に生きるようになった。


でも実際は、

若い時の、常に周りのことを考え、

神経をすり減らせて生きていたころが、

なつかしい。


全身全霊で、他人に気に入られるように、頑張っていた。


そのときは、本当に、無私の精神が、実践できていたんじゃないかと思う。


でも、それは、長くは続かないものだった。


なぜなら、人間は稼いで食べて、生活していかなければならないから。

そのことと、無私の精神の実践を、同時に行うのは、不可能に近い。


かすみを食べて生き(あるいは、親などの庇護があり)、

いつ死んでもいいと思うような人でなければ、

無私の精神を貫くことは、できないだろう。


そういう意味で、私は葉蔵のようであった若いころを、

なつかしく思い出した。


私も若いころは、見た目は廃人の引きこもりのような時期もあったが、

精神だけは、理想を実現できていたように思うのだ…。